28話目 流布の始まり②
足取り重く向かうキヨの元、小野小道具店。その頃になれば外はすっかり夕刻を迎え、京の町を緋色の光が照らしている。
見藤はその光を背に受ける。溜め息もほどほどに、店の扉に手をかけ一呼吸おいて、開けた――。
来客を知らせる竹製の振鈴が景気よく鳴った。前回、キヨの元を訪れたときにはなかったはず。見藤がちらりとドアベルを見ると、ぎょろり、と目が合った。この振鈴は付喪神だ。
鳴釜といい、妙な収集癖があるのは道具屋としての性分なのだろうか。見藤は何度目か分からない溜め息をつき、ここの店主を呼んだ。
「また妙なものを……。キヨさん、いるか?」
「あぁ、よく来たねぇ」
すると、見藤の声を聞いたキヨが奥から顔を覗かせた。いつもと変わらない着物に割烹着、背筋はピシッと伸びている。なんとも気品がある出で立ちだ。
キヨは見藤を出迎えると、カウンターに出てきた。見藤もカウンターまで足を進めると、例の手荷物を上に置く。
手荷物は風呂敷に包まれている。キヨは何事だと言わんばかりに訝しんだ表情を浮かべた。
見藤は構わず、言葉を続ける。
「キヨさん、これ」
「……なんだい?」
「この間の礼だ」
言い終わると、風呂敷をほどいた。すると、それは四方十五センチほどの木箱だった。異様なのは、木箱の蓋の部分に札が貼られていることだろう。
キヨは思わず眉を寄せた。木箱に札、という組み合わせはあまり《《良いもの》》ではない、というのが定石だ。そのようなものを礼と言って差し出すとは何があったのかと、更に訝しんで見藤を見上げる。
しかし、当の本人は何食わぬ顔で、木箱を軽く叩いている。
「あぁ、これは見せ掛けだから問題ない。本題は中身の方」
彼はそういうと、いとも簡単に札を剥がしてしまった。そして、木箱を開けるとそこから出てきたのは、封印の朱赤の匣。
見藤が扱う呪いを視てきたキヨは、この匣が何を意味するのか、理解している。彼女は見藤に負けず劣らず、大きな溜め息をついた。
「はぁ、また……お前さんって子は。今度は何を持ってきたんだい」
「まぁなんだ、置物にでもすればいい」
「そんなこと、できる訳ないでしょう」
冗談めかして言い放たれた言葉。その裏にある怒りを察したキヨは咎めるような視線を送る。しかし、見藤は悪びれる様子もなく、肩をすくめて見せた。その匣は見藤が扱う封印の呪い――、朱赤の匣だ。
見藤は何食わぬ顔で、匣の中身を告げる。
「件の事件を引き起こした、獏を封印してある」
キヨの眉間には深い皺が刻まれた。手を頬に添えながら、いかにも困りましたという仕草をする。
世間を混乱に陥れた、獏の事件。キヨの元には、疑似的な夢遊病の情報が数多く挙がっていた。そして、夢遊病の原因を引き起こしている正体――、ある程度の予測はしていた。見藤から度々、情報照会を受けていたためだ。
その最中、久保の入院先に便宜を図ってくれ、という見藤からの頼み。キヨは電話口で、助手という一般人の立場である彼を守り切れないようであれば、それは呪い師として未熟だと叱咤したのだ。
(それがどうして――、こうなったのかねぇ……)
更に深い溜め息をつくキヨ。――あまつさえ、神獣など伝承上の存在。
先の夏の事象において、ようやく元凶が神獣白澤である、とその存在の有無が明るみに出たというのに。まさか、その同胞を封印し手中に収めてしまうとは――。
キヨは思い至る。これら全て、人の手には負えない事案だということを、見藤は全くもって理解していないようだ。
キヨが知らない見藤の過去。――恐らく、そこに答えがある。
呪いという衰退の一途を辿る術。それにも関わらず、数多の呪いの知識を持ち、神獣までも封じる術を持つ、特異な才能。その答えを追及したとしても、見藤が素直に答えるとも到底思えない。
(それにしても、この子が置物にしてしまえ、だなんて。獏という神獣はどれほど、この子を怒らせたのやら――)
キヨは頭痛がして、目を瞑った。口から出るのは溜め息ばかりだ。
「はぁ、……どうしようかしらねぇ」
「こいつを利用するのも、置物にしてしまうもの、キヨさんに任せる」
「はぁ……。こんなもの、持っているだけで目をつけられるよ」
「ん? 誰に」
「色々だよ、全く」
キヨは悪態をつくので精一杯だった。
呪いを扱う者は斑鳩、小野、見藤だけではない。キヨは昔、見習いであった見藤に教示したはずだ。――古より伝わる、呪いを扱う名家が存在する。
こうして、呪い師の情勢に疎いのは興味がないからなのか。はたまた、見藤自身が知ることを拒否しているのだろうか。
キヨは思考が巡り、ふと思い出したことがあった。
(まだ、この情報を明かすには早計だろうねぇ……)
今の見藤に提案しても拒否されることは容易に想像できる。
キヨは長い沈黙を誤魔化すように、声を掛ける。少なからず、本心も交えて。
「そう言えば――」
「うん?」
「大変だったそうだね」
「……」
見藤は沈黙する。キヨはただ黙って、答えを待つ。――世間に過大な影響を及ぼした獏の捜索、そして封印。助手である久保の入院。見藤を取り巻いていた凶事を想像すると、キヨは眉を下げた。
見藤が答えあぐねていると、先にキヨが口を開く。
「まぁ、結果。大事なかったのなら、いいんだけどねぇ」
「……あぁ、問題ない」
柔和な表情を浮かべたキヨに対して、見藤は気恥ずかしくなったのだろう。そっと頬を掻いた。
キヨは見藤を息子のような、孫のような存在だと思っている。例え血が繋がっていなくとも、親というのは子がいくつになっても心配だ。しかし、見藤の性分を十分に理解しているキヨは決して施しだけは行わない。ただの一方的な施しであれば、同情しているのかと彼の自尊心を傷つけてしまうのは明らかだ。
いつも見藤に対し、対等な対場で交渉してきた。キヨなりの、見藤に対する親の愛情というものだ。彼の意思を、行動の選択をいつも尊重している。――時に、老人の我儘という事で、キヨは見藤に無茶な要求をすることもあるが、そこは目を瞑ってもらおう。
キヨは短く息を吐くと、そっと声を掛ける。
「泊まってくかい? この礼は十分すぎる」
「そうだな、そうするよ。……久しぶりに」
「そうだね、久しぶりにうちにおいで。老人の独り暮らしは寂しいものよ」
「……よく言うよ」
見藤はどこか懐かしむように。キヨは目を細めながら、少しばかり嬉しそうに答えるのであった。
人は老いる、見藤もキヨも例外ではない。それが祖母と孫ほどの歳が離れていれば、それを感じるのはより顕著なことだろう。
見藤はキヨの店じまいを手伝うと、一緒に夕飯の支度の買い出しに出掛けたのであった。二人の背は夕陽に照らされ、隣に並び立つ二つの影をその地面に映し出していた。
◇
そうして、翌朝。
見藤は簡単に身支度を終えると、朝食の支度をするために台所へと足を運んだ。すると、看板猫である老猫が足元に擦り寄ってきた。
朝の挨拶なのか、ご飯の催促なのか。どちらか分からないが、その猫らしい行動に思わず口元が綻ぶ。
「お前も、久しぶりだったな」
いつだったか、猫宮と出会った頃に拾った子猫だ。その子猫も、もう十分に老猫と呼ばれる歳になってしまった。見藤はしゃがんで、老猫の顔周りを撫でてやる。すると、ごろごろと喉を鳴らすもので、さらに口元は綻んだ。
そこで、背後から掛けられた声があった。
「おや、起きてたのかい。おはようさん」
「あ、おはようございマス」
振り向くと、そこには二階から降りてきたキヨの姿があった。見藤は長袖シャツにスウェットという具合のラフな格好だ。思わず「まずい」と肩に力が入り、妙に敬語になってしまった。キヨは身なりにはうるさいのだ。
キヨは自宅では着物ではなく、洋服を身に纏っている。しかし、やはり淑女の嗜みを忘れてはいない。髪は早朝だというのに綺麗に結わえられ、着ているものも齢に見合ったお洒落なものだ。
見藤は自分の身なりに小言を言われまいか内心冷や冷やしていた。だが、どうやら彼女の機嫌は良いらしく、杞憂に終わったようだ。
そうして、キヨと簡単に朝の挨拶を交わした後。二人で並んで台所に立ち、朝食を作るのであった。
食卓に並ぶのは白米、沢庵、きゅうりを切ったものに麦みそが乗っている。そして、出汁巻玉子、白菜ときのこの味噌汁。最後にほうれん草の白和えだ。どれもキヨの好物で、せっせと見藤が下準備をし、彼女が味付けをした。二人でやれば品数が多くとも、支度が早いというものだ。
キヨが先に席に座るのを見届けたあと、見藤もそれに続く。二人揃っての朝食は本当に久しぶりだった。
「いただきます」
「頂きます」
両手を合わせ、次に箸を持つ。汁椀を片手に持ち、味噌汁を口にすれば懐かしい味に不思議とほっと一息つく。そうして、特に会話もないまま箸は進んでゆく。
すると、何を思ったのか。キヨは壁に掛けられた見藤の使い古したスーツを一瞥すると、呆れたように口を開く。
「あ、そうそう。お前さん、こんな使い古したスーツでなくて上物を一着。用意しておくんだよ」
「……なぜ」
「時に必要になるからねぇ」
「そんな機会はないと思うが――」
「そう言わずに、年寄りのいう事は聞くもんだ」
「……はい」
ぴしゃりと言われてしまえば、見藤はそれに従う他ない。――いくら格好に無頓着とはいえ、キヨの言う事も一理ある。しかし、なぜ突然そのようなことを言い出すのかと、首を傾げる。だが、考えても答えは出なかった。そうだとすれば、今考える必要はないだろうと思考を放棄する。
(向こうに帰ったら仕立てに行くか……)
珍しく、見藤はぼんやりと考えていた。
そうして、一宿一飯の礼としてキヨの小間使いとして少しばかり店の手伝いをした後。見藤は事務所への帰路につこうとしていた。
「それじゃ、また顔を出しに来るよ」
「あぁ、向こうでしっかりおやり」
「……そう言われるとプレッシャーだな」
困ったように笑う見藤を、キヨは微笑みながら送り出す。
――知らぬ間に大きくなったその背中が見えなくなるまで、彼を見送っていた。
「さて、あやつをどうしようかねぇ……。やんちゃ坊主はいくつになっても大変だわ」
溜め息と共に呟かれた彼女の言葉を聞いたのは、店先の付喪神だけだろう。




