26話目 夢の深淵③
白沢が口にした、妖怪の先祖返り。それは妖怪として、より強力な力を持つことだろう。心を読む妖怪、覚が夢を覗く、というのも不可能ではないようだ。
見藤はふと、霧子との仲違いの発端を思い出した。もしかすると、彼女は本能的に沙織の先祖返りを感じ取っていたのかもしれない。それ故に見藤に害を成す者として、極端に拒絶していたのだとすれば――。今更ながらに申し訳なく思い、眉を下げた。
そこで更に、見藤は思い至る。久保の異変を知らせに来た白沢についてだ。こうも現世の状況を把握しているとなると、常に監視されている気分になるというもの。久保のプライバシーなど、漏れなく筒抜けだろう。
見藤は少し考える素振りをして、白沢に話し掛ける。
「……その眼、封印しておくか?」
「それは絶対イヤや。アイデンティティが無くなる。勘弁シテ下サイ」
「それは残念だ」
鼻を鳴らしながら、言い放つ見藤。
白沢は身震いした。彼は神獣をも封じる術を持つ。千里眼の封印など簡単にやってのけるに違いない、と――。白沢は人知れず、これを最後に覗き見は止めようと誓ったのだった。
束の間の談笑はさておき。現状を打破するには白沢の言う通りにする他ない。すると、白沢は更に言葉を続けた。
「ひとまず、夢の深淵には辿り着いていない。猶予は残されとる。その隙に、はようあの子を呼んで来てほしい」
「夢の深淵……」
「せや。そこまで堕ちてしまうと……獏に夢ごと、人格も魂も喰われてしまうで。今、あいつはそうして力をつけとるみたいや」
夢の深淵、なんとも哲学的な呼び名だ。そして、白沢から出た言葉に見藤は目を見開く。
神獣の一柱、獏。一説によれば、白澤と同一視される神獣だ。
見藤はおおよその見当をつけていた。しかし、聞き捨てならない事を聞いてしまったものだ。――聞きたいことは山ほどある。しかし、今は久保が最優先だ、と思考を振り払うように首を振った。
見藤はポケットからスマートフォンを取り出し、沙織に連絡を取る。幸いにもすぐに電話は繋がり、見藤は矢継ぎ早に事情を説明した。すると、沙織の反応は意外にも冷静だった。
『やっぱりお兄ちゃんは運がいいね。ちょうど近くにいるから、すぐに行くね』
「すまない」
『大丈夫、なんとなく……そんな気がしてたから』
沙織の意味深な言葉に、見藤は思わず眉を顰める。
「それは、どういう――」
『視たの。お兄ちゃん、孤独を抱えてたから。何かを抱えている人ほど、悪夢をみやすいから』
「………………」
沙織の言葉に、見藤は何も言えなかった。そうして静かに「頼む」と呟くと、通話を終えた。
そして、見藤は白沢を見下ろす。沙織が到着するまで、ここからは尋問の時間だ。
「で、どうしてお前が獏の仕業だと知っている?」
「いやぁ……そのぉ……」
「もう一発食らうか?」
なんとも歯切れが悪く、言葉を濁している白沢。見せつけるように、見藤は目の前で拳を力強く握る。すると、拳骨の痛さを思い出したのか、白沢は慌てて白状した。
「えらい、すんません!! 俺がいろいろやらかしてる最中に、獏に頼んで人に夢を見せて操ってたことがあってな。あのぉ、ほら……おっさんに怪我させたあいつとか……」
「……………………」
――思い出した。
白沢の言葉に、見藤は眉をこれでもかと寄せた。
夏が過ぎ去った、秋の始め頃。怪異達の異変、摂理への介入、神獣 白沢の悪戯と呼ぶには影響が大きすぎた例の事件。
そこで見藤を襲った男。あの男は白沢に操られていたとばかり思っていた。と言っても、あのような状況で冷静に分析などできる訳はなかった。
あの男が夢現に操られていたのは、獏によるものだと白沢は言う。
――ということは、社会現象にまで発展した夢による事象。元を辿れば、やはりこの白沢の仕業である、ということに他ならない。
見藤が白沢に制約を結ばせるまでに、彼は獏と共謀し、怪異達の異変や人攫いを画策していたのだとすれば――。片割れである白沢が片棒を降りたが故に、獏は好き勝手にことを起こしている、という結論に辿り着く。
「はぁ…………」
ひと際大きな溜め息が部屋に響いた。見藤は額に手を当て、項垂れている。
見藤の様子に、縮こまりながら冷や汗を垂らしている白沢。これでは最早、神獣の威厳など皆無だ。
見藤は静かな怒りを抱えながら、現在起こっている事象について白沢が知っている事を聞き出した。
まず、流行の発端は単なる偶然だった。偶然をきっかけにして、捕縛された白沢の元を離れた獏は衰えた力を取り戻そうと画策するようになったらしい。
「それで?」と、見藤がその先を聞こうとした矢先――。凛とした声が部屋に響き、それは遮られた。
「おじさん」
「ん、来たか」
沙織だ。伝えた通り、早々に駆けつけてくれたようだ。
見藤が慌てて部屋へ押し入ったために、扉は開かれたままになっていた。その甲斐あって、あの甘い香りも鼻を掠めることはなくなっている。
沙織は眠る久保の脇にしゃがむ白沢を一瞥する。すると、「ふーん」と興味なさげに視線を見藤に戻した。そして、白沢が言っていた、覚の先祖返りについて訂正を入れる。
「別に、私は夢に介入できる訳じゃないよ。そんな都合のいい事、できる訳ない」
「……、どうすれば」
「記憶を呼び起こすだけ。だから、楽しい記憶を呼び起こすの。そうすれば悪夢はかき消されて、夢から出られる。そうよね、おじいちゃん?」
勝手に能力を明かされた仕返しなのだろうか。沙織は白沢をじとっと見やりながら、彼を「おじいちゃん」と呼んだ。
確かに、悠久の時を生きる白沢。沙織からしてみれば、そう呼んでも可笑しくはない。ただ、彼が模っている姿は久保の友人である男子学生、白沢だ。呼び名と姿が見事に噛み合わない。可愛らしい仕返しには丁度いいだろう。
「……その呼び方は止めてもろてええか?……お嬢ちゃん」
困ったように眉を下げた白沢の表情に、沙織は満足したようだ。鼻を鳴らすと、眠る久保を見やった。
「まぁ、やってみるよ」
沙織は強く頷いた。白沢と場所を交代するように久保の傍へ寄る。そして、久保の額に手を置いた。特に目に視えて変化はない。一瞬、眠る久保が眉を寄せたかと思うと、次には安らかな寝顔に変わった。
久保の額から手を離した沙織は、少し考えるような素振りを見せる。
「うーん、これで様子見かな……。あとは目覚めるのはお兄ちゃん次第なんだけど……」
「そうか……」
「どのくらいで目覚めるのかは分からない。悪夢に負ければ最悪このまま……」
「…………」
沙織の言う最悪の場合とは、斑鳩の報告にあった昏睡状態のことだろう。見藤は黙って、状況を受け入れる他なかった。
いくら健康体であったとしても、数日に渡り脱水と低栄養状態に陥れば、自ずと衰弱していくことは目に見えている。そして、昏睡状態というからには、脳にも少なからず影響が出始めるだろう。このまま様子を見ると言うのは得策ではない。
見藤はすぐさま医療機関へ連絡を取り始めたのだが――――。
「くそ……、ここまでとは」
彼の悪態に、沙織と白沢は心配そうに視線を送る。
社会現象にまで発展した疑似的な夢遊病。そして、それが行き着く先の昏睡状態。そうすれば、入院病床はすぐに満床となってしまうのは必然だ。
例にもよって、見藤が連絡を取った病院も満床。外来にて、点滴処置だけでも処置してもらえないだろうか、という要望すら聞き入れてもらえなかった。
「はぁ、こればかりは……。腹を括るか」
見藤はそう呟くと、再び電話をかけ始めた。
「あぁ、キヨさん? 突然すまない、あぁ、そうだ。少しばかり便宜を図って欲しいことが……。うっ、確かに今回は俺の力不足だが……そう言わんでくれ。……はい、スミマセン」
電話の相手はキヨだった。見藤は顔を顰めながら、どうにか事情と現状を説明する。
道具屋を営みつつ情報屋でもあるキヨの伝手を頼れば、協力者の手を借り、どうにか久保を入院させてもらえる医療機関を見つけられるのではないか、そう考えた。だが当然、キヨの厳しいお言葉を賜ることになってしまった。
その様子を見ていた白沢は恐れおののいていた。神獣をも封印してしまう術を持つ見藤でさえ、頭が上がらない存在。彼以上の強者が、人の世に存在するのか――、と冷や汗を垂らしていた。
見藤の表情は徐々に曇り、眉は下がって行く一方。更に、電話口から漏れて聞こえて来る、冷静な声音。それは、静かな怒りを含んでいた。
すると、通話はひと段落したようだ。
「礼は弾ませてもうらうから。……あぁ、頼みます」
そうして、見藤は電話を終えた。白沢は戸惑いながら尋ねる。
「ど、どない?」
「……明日には入院できそうな病院を知らせてくれるそうだ」
「そうかぁ……」
白沢は神獣らしからぬ、安堵した表情を浮かべた。――それは友の顔だ。
そして、見藤の返事に安堵の声を漏らした沙織。
「よかった……」
「あぁ」
見藤は力強く頷いた。仕事の早いキヨの事だ、明日になれば早いうちに連絡を寄こしてくれることだろう。――それだけでも、心持ちが違ってくる。
しかし、今日はこのまま帰る訳にもいかない。久保が夢現に誘われ、どこかへふらっと出掛けてしまうかもしれない。そうなれば、行方知れずとなってしまう可能性は否定できない。
見藤と白沢は、ここで夜を明かすことを決めた。見藤は事務所の固定電話に連絡をし、霧子にことの流れを伝える。もちろん、彼女も久保を心配していた。
猫宮が電話口に変わると、東雲は何事もないとの報告を受ける。見藤は安堵の溜め息をついたのだった。
見藤は沙織に、暗くなる前に帰るよう促して礼を述べる。すると、彼女は「いいってこと」と、可愛らしい笑みと共に軽く返事をして帰路についた。
◇
そうして、夜が来る。
神獣である白沢に休息は必要はない。だが、人である見藤は違う。簡単な食事を摂り、久保の様子を見守り、白沢と交代するように床に座って眠りにつく。
すると、やはりというべきか――。深夜になると、久保はその体を起こした。
「久保くん……?」
見藤が名を呼ぶ。しかし、返答はなく、彼の目は虚空を見つめている。それは夢遊病のような症状だ。
久保はベッドから起き出すと、ふらりと廊下に向かった。そのままうずくまり膝を抱える。すると、膝に顔をうずめるような体勢になると、静かに泣き始めた。それはまるで――、幼子のようだ。
見藤と白沢は何も言わず、ただ見守っていた。
そうして、朝を迎えた。
約束通りキヨから連絡を受けた見藤は医療機関に連絡を取り、なんとか久保の入院を取り付けたのだった。
大部屋の一角に設置されたベッド、そこに眠るのは久保だ。未だ、目は覚めない。できることはやった、あとは待つしかない。
見藤は久保に付き添う白沢にその場を後にすることを伝え、院内の通話スペースに移動した。
そして、見藤は久保が通う大学に連絡をとる。彼の両親に一報を取り付けてもらおうとした。しかし――、返答は耳を疑うものだった。
大学側が久保の両親に連絡を取った所までは良かったものの。両親は現在、海外赴任中であり一時帰国できず、彼の様子を見に来ることはない、という返答だった。
孤独――――、沙織の言葉を思い出す。両親から受けた愛情を、何不自由ない生活や注がれた金銭から感じるというのは、幼少期であれば難しいことだろう。
久保は孤独に耐え、その孤独をひた隠し、成長していたのだとすれば――。見藤は深い溜め息をつく。
「はぁ……」
久保はいつも人に囲まれていた。それは見藤にとって理解できないことだった。人の本質を見てきたから、というのも一理あるだろう。そもそも、見藤は孤独を感じたことはなかったのだ。
それは共にいた牛鬼や、今もこうして連れ合っている霧子の存在が大きい。
人は人の中でしか生きられない――、まるで久保はその言葉を体現しているようだ、と思う。見藤は人知れず、白い天井を見上げたのであった。




