25話目 帰路と婦女たちの茶会③
◇
楽しい時間は過ぎるのが早いようで、外はすっかり夕方を迎えていた。その頃になると、ローテーブルの上はごった返していた。それは話に花を咲かせた余韻とでもいうようだ。
すると、廊下を軽快に歩く足音が近づき、事務所の扉を開いたのはここの主だった。
「ただいま。楽しそうで何よりだ」
そう言った見藤の視線は、ごった返しているローテーブルへと注がれる。
霧子は一瞬しまったという表情を浮かべた。見藤は自身の身なりに無頓着な割に、綺麗好きなのだ。こうも散らかしていては後で何を言われるのか分からない。
しかし、今日はどうやら機嫌がいいようで、特にお咎めはないようだ。
ほっ、と胸を撫で下ろした霧子を余所に見藤は段ボールを抱えている。事務机まで荷物を運んで行く。東雲と沙織もその荷物が気になるのか、視線で追う。
そんな興味津々な視線に応えるかのように見藤が口を開いた。
「霧子さんの社を分霊しようと思ってな」
「えっ」
「あんな殺風景な社にいたんじゃ……その、……寂しいだろ?」
「っ~~~~!……別に寂しくなんてないわよ!」
「いだっ……、ほら、こっち来て」
霧子は恥ずかしさを隠すようにべちん、とソファーの後ろを通りかかった見藤の背中を叩く。そしてソファーから立ち上がると、そそくさと距離を取ってしまった。
しかし、見藤の優しい声音には逆らえないようで、今度はおずおずとその距離を縮めている。机に置かれた段ボールの中を覗くと、そこにあったのは真新しい神棚だった。
怪異である自分に神棚など必要はないはず、と霧子は首を傾げる。しかし、見藤はその様子を見て、困ったように笑ったのだった。
霧子による神隠しに見舞われた見藤。そこで見た彼女の社は寂しく、殺風景なものだった。
神社自体は人の手によって管理はされている様子はあったものの、その光景には眉を顰めたくなるものがあった。
長年、霧子を想いつつも、怪異である彼女の領域にどこまで踏み込んでいいのか。その距離を測りかねていた見藤。だが、一度そんな殺風景な社を目にしてしまえば何とかしてやりたいと思うものだ。
そして、考えたのが社の分霊だった。
「既製の神棚だが、これから少し彫る。ほんとは一から作ってやった方がよかったんだが……」
「おじさん、それは重いよ。愛も信仰心も、重い」
「…………え、そうなのか?……そうか」
沙織からの思わぬ指摘。見藤は自覚がなかったのか、驚いている。
それに対しての霧子は、先の一件から寄せられる見藤からの愛情でいっぱい、いっぱいだ。不貞腐れているような、しかし顔は赤く照れているような、なんとも複雑そうな表情を浮かべた。
そんな二人を眺めていた東雲は「いいものを見た」と言わんばかりに、目を細めている。なんとも残念な顔をしていることに本人は気付かない。
東雲と沙織は二人の邪魔をしないように、と事務所を後にするようだ。
散らかしたローテーブルの片付けを見藤も手伝わされる羽目になり、彼はなんとも言えない表情をしていた。
そうして、片付けを終えた東雲と沙織は軽く別れの挨拶を交わし、事務所を後にした。
彼女達が帰った後。見藤は神棚に細工を施すため、事務机へと向かう。
怪異であっても人が懇切丁寧に祀り上げれば、それは神にも成り得る。御霊信仰がいい例だろう。人の御霊を人が祀り上げればそれは神と違わない存在に昇華される。
それを霧子に憑かれている見藤自らが神棚を用いて分霊を行えば、自ずとそれは社となる。
少年だった頃に霧子へ抱いていた、彼女の自由を願う想い。それとは裏腹にまさか自分の事務所に社を分霊しようと思い至ることになるとは、と見藤は嘲笑する。
しかし、それを満更でもなさそうに、そわそわと落ち着きのない霧子を見ると、この選択で良かったのだと思えるのだから不思議なものだ。
「じゃあ、ここに名入れするぞ?」
「いいわよ」
見藤が持つ筆の先を真剣な表情で見つめる霧子。いつ見ても彼が画く線はとても綺麗だと思う。それが自分の名を懇切丁寧に画くのだから、必然的に嬉しい気持ちになると言うものだ。
あとはこの場所に霧子がいれば自然と御霊分けが行われるだろう。何せ祀られる本人がこの場にいることを望むのだ。
そうして、霧子の社の役割を担った神棚は見藤の手によってその姿を現す。
高い位置に飾られ、事務所内を見渡している。その神棚は一社型と呼ばれるもので、彼女を祀るお神札を中央に、そして神鏡、あとは丁寧にも全ての神具が揃えられている。それは見藤の気持ちの表れでもある。
そして、見藤が手を加えて彫り上げたのは、彩雲を呼び込む八咫烏が象られた模様だった。なんとも縁起が良さそうだ。
霧子はその神棚を嬉しそうに見つめている。いつも見藤が仕事をする机も、皆で談笑する来客スペースも、見藤の居住スペースへ繋がる扉も、全て見渡せる。
「なかなか、いいんじゃない?」
「それはよかった」
嬉しさと気恥ずかしさから、そわそわと落ち着きのない霧子を見つめる見藤の目は柔らかい。 だが、どうしてもっと早くこうしてやらなかったのか、と少し後悔していた。
――霧子との距離を縮めることに億劫になりすぎていたのかもしれない。今はこうして手の届くところに、その存在を感じられる。
そうして、夜は更けていく。
見藤は簡単に食事を摂り、身支度を終えた。
夜もいい時間になると、見藤は霧子と就寝の挨拶を交わして自身は居住スペースへと向かう。そして、ベッドに横になった。溜め息をつき、仰向けに姿勢を変え、天井を見上げる。
今日は一日、斑鳩との詮議や社の分霊と言った私用に追われることになってしまった。まだ夢の伝播や疑似的な夢遊病の広がりは続いている。問題は解決していない。久保の体調も気になる、彼は大事ないだろうか。
明日はもっと情報を広げ、この事象の根源となる存在をあぶり出すための策を講じなければ――、見藤の頭の中は思考に埋め尽くされる。
しかし、疲労による睡魔には勝てなかった。しばらくすると規則正しい寝息を立てる。
その時を見計らっていたのは、霧子だ。彼女は見藤を起こさないように静かに扉を開けると、眠っていることを目視する。そして、これまた静かにベッドサイドへ近寄った。
「こ、これくらいは、いいわよね……?」
霧子はぽつりと呟くと、眠る見藤の唇に自分のそれを重ねた。そして、そっと離す。
見藤を覆い隠すように垂れた彼女の髪が少し遅れて離れていく。それはまるで、口付けを終えることが名残惜しいとでもいうようだ。
ぱちり、と霧子は瞑っていた目を開けるが幸い、見藤は眠ったままのようだ。よし、そんな掛け声が聞こえてきそうな力強い頷きをすると、彼女は鼻歌混じりに事務所の方へと姿を消したのであった。新しくできた、心地の良い社へ還るのだ。
「………………っ」
彼女が扉を閉める音が聞こえたのを合図に、眠っているはずの見藤が顔を両手で覆った。
年甲斐もなく恥ずかしさやら嬉しさやらで、小刻みに震えている彼の姿を見た者はいない。
突然始まる同棲生活。
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