25話目 帰路と婦女たちの茶会②
そうして、後日。
事務所に顔を連ねていたのは珍しく霧子、東雲、沙織の三人だけであった。
見藤は霧子との一件の後、斑鳩と話があるということで外出している。久保は先日、見藤と霧子の顔を見て安心したのか。珍しく体調を崩しており、今日は自宅で休むという連絡があった。
霧子は見藤が買い置きしていた茶菓子を戸棚から見つけ、意気揚々とローテーブルへと運んでいる。東雲は皆で食べようと買ってきたアップルパイを皿に出し、テーブルをセッティング。そして、沙織は見藤から教わった紅茶の入れ方を真剣な眼差しで実践中だ。
それはさながら女子会、というやつだ。
女子会と銘打たれたためなのか、猫宮は三人からの視線に追い出されてしまった。彼は渋々、縄張りのパトロールに出かけたのであった。
白と青を基調とした綺麗な模様が描かれたポットを運んできた沙織は、ソファーに座る霧子に話しかけた。
「それにしても、大変だったね。霧子姉さん」
霧子は沙織の気遣いに「ありがとう」と返し、沙織がソファーに座れるようにポットを受け取ってやる。
どうやら霧子の中にあった彼女への拒絶。それは見藤と霧子の距離が縮まったことで、少し解消された様子だ。
人の世で生きることを選んだ沙織の目にもあの動画は届いていたらしく、妖怪と異なり認知により存在を左右される霧子の身を案じていたようだ。そして彼女は東雲から一部始終、見藤が神隠しに遭ったことを聞いていた。
東雲は安堵に満ちた溜め息と共に、口を開く。
「いやぁ、見藤さんと霧子さんが仲直りしてくれてよかったぁ」
「心配かけたわね」
「私は霧子さんの味方ですから」
ふんす、鼻息荒く胸を張る東雲に、霧子は申し訳なさそうに眉を下げる。
傍から見れば一応、恋敵であるはずの二人のそんな仲睦まじい様子。
沙織は溜め息をつくと、ポットから紅茶を注ぐ。ミルクをたっぷり入れると、一口飲んだ。そして、東雲をじっと見つめる。
沙織は東雲が抱いていた過去の思いを垣間見る。
喧嘩ばかり繰り返していた両親。そして、次第にどちらも家には帰らなくなった。
気付けば、東雲は祖父と暮らしていた。再婚など御免だと吐き捨てて母が出て行ってしまったのを幼いながらに覚えている。
母に一緒に行こうと言われ手を引かれたが、幼心に祖父を心配して、それを拒否したのは東雲自身だった。
夫婦など所詮他人だ。同じ人間だというのに、同じ言葉を話そうとも完全には理解し合えない。
それは幼い東雲の心に影を落とし、よくない物を引き付けていた。それには少なからず彼女の霊感体質も影響していた。
そこで、出会った若かりし頃の見藤。彼は優しさに溢れていた。その優しさは今となっては、彼に憑いていた霧子への想いがもたらしていたもののように思う。
見藤は幼い東雲のお守りを拾い、その守護を強めた。出会いこそ一瞬であったが、彼女にとってその出会いは衝撃で、初恋となった。
そうして成長し、すっかりその恋心はなりを潜めていたのだが、縁による必然的な再会。それだけで初恋を思い出すには十分だった。
そして目にしたのは、見藤と霧子の不器用に拗れた恋模様。人と怪異、種が異なる二人が互いを想い合いつつもすれ違う。だが、互いに離れまいとする姿は東雲にとって、強い憧れを抱かせることになった。
始めこそ見藤に対する恋心は本物だった。しかし、それはいつしか複雑な恋心へと形を変えた。
もし、何かの拍子に見藤が東雲の好意に振り返ったとしても、それは東雲が恋した見藤ではない。東雲はそれを否定するだろう。
今では、彼が大切しているものを自分も大切にしたい、そう願うようになった。
――人の心というのは難しい。そして、何処までもいじらしい。
沙織は東雲から垣間見た記憶。そして、その想いをそっと自分の中に閉まっておく。
沙織は見藤から、人の心をあまり覗くなと叱られている。だが、覚として成体とはいえ、精神的に幼い彼女の好奇心は止められなかった。
沙織はもう一口、紅茶を飲む。
(まぁ、惹かれるのは分かるな。人としても怪異としても)
誰かを一途に想い、大切にする心は周囲にも伝わるのだろう。そんな見藤が孤立を望んだとしても、その不器用な優しさに一度でも触れてしまえば、それは本人が望まずとも人を惹きつける。
それが久保や東雲に始まり、妖怪である猫宮や沙織が彼を慕う理由だ。
沙織はちらり、と霧子を見る。覚りは人の心を読む妖怪だ。怪異である霧子の胸中は読めない。
しかし、なんとも分かりやすい。見藤の名を出されれば、その表情を緩めている。
(霧子姉さんのそういう所が可愛いんだろうな、おじさんも。お姉ちゃんも)
沙織はうんうん、と一人納得したように頷き、彼女の人間観察は終わりを迎えた。
すると、霧子がこちらを見つめていることに気付く。どうやら、東雲の心を読んでいた事がばれてしまったらしい。彼女は少し険しい顔をしている。
沙織はばつが悪そうに少しだけ視線を逸らしたが、今度は何か思いついたかのように霧子に視線を戻した。心なしかその表情は悪戯っ子のようだ。
「大丈夫だよ。もう、おじさんの心は読まないから」
「……そ、そう? ならいいわよ」
「ふふ、だって霧子姉さんの事でいっぱい、いっぱいだったから。なんだかお腹いっぱい」
「もう! 大人をからかわないの!!」
随分と年下であるはずの沙織の言葉に、顔を真っ赤に染め、愛らしい姿を見せる霧子。それに東雲は、ははーんといつぞやの猫宮のような表情を浮かべていた。




