23話目 異変③
流れ行く情報の中、人の関心というものは移り変わりが激しい。時間が経てば暴漢事件のことなど所詮、他人事だったのだろう。
事件の報道頻度も極端に減ってゆき、それは日常を取り戻したかのようだ。しかし、謎の夢遊病は依然として広まっている。
珍しくその日は、斑鳩が事務所を訪れていた。今日は勤務中なのか、警部らしく畏まったスーツに身を包んでいる。
ところで、長期不在にしていた猫宮。久々に事務所へ帰ったかと思うと、その様子は二日酔いのおっさんとでも言うような表情を浮かべており、心なしか毛並みもぼさぼさだった。
そして、斑鳩を見るや否や――。
「犬臭い」
と言い放ち、言って早々に出掛けてしまった。
見藤は悪友とは言え、斑鳩に謝罪をしておく。そのとき、斑鳩は複雑そうな表情を浮べていた。
「おい、猫宮……。うちのがすまん」
「いや、構わない」
そうして、斑鳩は見藤に依頼していた夢遊病の調査進捗を尋ねる。
「で、進捗状況はどうだ?」
「はぁ……、それを確かめる為にわざわざ寄ったのか?」
「それもあるが、少しばかり耳に入れたい事があってな」
斑鳩が見藤の元を訪れた理由。――例の暴漢事件を起こした男は不起訴となる見込みだという。それを伝えに来たと話した。
見藤は途端、斑鳩を睨み付けた。いくら元凶が怪異の可能性があるとはいえ、その蛮行を許すつもりは毛頭ない。――あまりに理不尽だ。東雲は例の一件から、恐怖心を抱えて過ごしている。
見藤の口から出た言葉は、語気に怒りを孕んでいた。
「検察は何してる」
「……見藤。そう、睨むな。今は検察組織も腐敗が進んでいる――、なんて周知の事実だ」
「ちっ……。そんな組織、価値があるのか」
「まぁ、そう言うな」
斑鳩の言葉を受け、更に見藤の眉間の皺が深くなった。
応接スペースに対面するように座っている二人。見藤の悪態に、斑鳩は溜め息をつきながら足を組もうとした。彼の体格で足を組もうとすると、ローテーブルが邪魔をする。斑鳩はそっとローテーブルを見藤の方へ寄せ、足を組んだ。
むっ、とした表情を見せる見藤。わざとなのか――、斑鳩は気にしない素振りを見せている。
「まぁ、そんな組織という物に縛られたくないから……腕がいいっていうのに何処にも属さず、お前は一人。ここをやってるというのも分かるけどな」
斑鳩はそう言いながら出された茶に手を伸ばす。ほどよい熱さの茶は、少なからず心を落ち着かせる。
組織に属する斑鳩と、孤立を選ぶ見藤。
斑鳩が得たのは権力、失ったのは自由だ。その選択に後悔はないのだろうが、今回ばかりは見藤の自由が少しだけ羨ましいと思ってしまったようだ。斑鳩の立場上、口が裂けても言えないことは察せる事情だ。
自らの正義をも曲げねばならないなど、若かりし頃は思ってもみなかったのだ。この暴漢事件の犯人不起訴に、見藤の次に怒っているのは紛れもなく斑鳩本人だ。
斑鳩は湯呑を置くと、そっと口を開く。
「あの状況じゃあ、被害者になるのは寧ろお前だ。実際、あの子は切りつけられ、怪我を負っていないからな」
「…………はぁ。くそっ……」
「まぁ、気持ちは分かる」
斑鳩の言葉に、見藤は深い溜め息をつく。それに共感する斑鳩の言葉に、義憤を抱いていた見藤の心の内は多少なりとも慰められたのだろうか。
見藤は斑鳩の返答に「お前の立場でそれを言うとは――」と困ったような表情を浮かべる。しかし、その心情とは別だと言わんばかりに、斑鳩の組まれた足を下ろせと指す。
斑鳩が従うと、見藤は寄せられたローテーブルを今度は大幅に寄せた。思わずして受けた反撃に斑鳩は足を閉じる。テーブルの攻防は見藤に軍配が上がったようだ。
斑鳩はローテーブルをリズムよく叩くと、話を続けた。
「まぁ、書類送検までは良かったんだ。ところが、被疑者が昏睡状態になった」
それは予想だにしていなかった話だと、見藤は眉をぴくりと動かす。
斑鳩は言葉の先を続ける。
「被疑者が昏睡状態で起訴となる、それを面倒くさがったんだよ。検察は。今は小競り合い程度の暴行事件が多発している。それを、いちいち起訴してたらキリがないとでも言うような雰囲気だ」
「……はぁ、これだから警察検察連中は。自分の手柄ばかり……」
「耳が痛いな」
見藤の言葉に肩をすくめる斑鳩。検察との内情をここまで事細やかに話す彼は、見藤に何を望んでいるのか。立場上、斑鳩が直接動けない事の方が多いのか――。想像の域は出ない。
見藤は斑鳩の背後にある事情を察して特に気にする様子もない。更に、斑鳩は先を続ける。
「まぁ、医者が言うには半昏睡状態、というものらしい。俺には違いなんて分からないけどな。まぁ、平たく言えば疑似的夢遊病が行き着く先、とでも言おうか」
昏睡状態になれば、いくら健康体であってもゆくゆくは衰弱していく。そうでなくとも、昏睡状態に陥ると脳へのダメージは芳しくないだろう。その後、意識が回復したとしても、何かしら障がいを残す可能性もある。
疑似的夢遊病の行き着く先。そう斑鳩が表現したのは――。それは恐らく、昏睡状態に陥るのはこの被疑者だけに留まらない、ということだろう。
見藤はそう思い至ると、ことの大きさに頭痛がして眉間を押さえる。
「擬似的夢遊病が進行した状態が半昏睡だとしたら、今後増える一方だぞ……」
「あぁ、俺もそれを懸念している」
斑鳩は強く頷いた。そうして、二人の溜め息が重なる。
見藤と斑鳩はこれまでの出来事、情報を整理していく――。
◇
ことの発端はSNS上の夢日記。その認知の広まりに呼応するように、今度は伝播する夢。伝播する夢は、見続けると悪夢に変わることが多いようだ。
悪夢を見続けると、夢と現実の狭間を移ろい、どちらが現実での出来事なのか判断がつかなくなる。
そして、人の奥底に眠る本性が凶暴性であった場合、その衝動が現実となる。そうして更に、夢に呑まれた者は昏睡状態となる。数は増える一方だ。それは若年層に多い。――ここまでが判明していることだ。
何をきっかけにそうなるのか、未だ不明な点が多い。そして、認知の操作を得意とする斑鳩家でさえ、広まる認知に対抗するには遅れを取っている。
もしかすると、既に夢日記を記すことなど、関係ないのかもしれない。ここまで大衆の認知が広まれば、その事象を目にし、知る者であれば夢に囚われてしまうのかもしれない。そうなれば、その被害は莫大な数になる。
見藤はことの大きさに、眉間を押えたままだ。白澤の一件以来、摂理を揺るがすような重大な出来事は勘弁願いたいと思った矢先だ。
斑鳩はそんな一大事件などつゆ知らず。眉間を押える見藤をどうかしたのかと眺めている。そして、疑問をそのまま口にした。
「ここまでの規模の異変。それを引き起こす怪異なんているのか?」
「そこら並みの怪異ではないが――、いる」
「何だ……?」
見藤はとうに答えに辿り着いていた。その存在の名を口にする。
すると、斑鳩は面白おかしいと言わんばかりに、豪快に笑った。ひとしきり笑い、気が済むと見藤を見据える。
「おい、見藤。お前が冗談を言うようになるとはなぁ」
「はぁ……冗談じゃない。大真面目だ」
見藤の真剣な眼差しに、斑鳩は冗談ではないと思い改めたようだ。
「まさか――」
「いるんだよ、この時代にもまだ」
「……神獣」
斑鳩が驚くのも無理はない。見藤はそう思い、目を伏せた。
牛鬼からその存在を聞かされていたほどではない。そこら並みの呪いを扱う者達 ――その者達を呪い師とでも呼称しよう。
呪い師達の間では、神獣など伝承上の生き物だ。そして、神獣は神の一端。神と呼ばれたものなど、とうにいなくなったこの世だ。その名でさえ、借り物のように扱われている現代。
斑鳩からすれば、神獣の有無を聞くことになろうとは思ってもみなかったのだろう。訝しむように首を傾げた。だが、見藤の言う事は本当だろうと、己の中の常識と戦っているのか、険しい表情を浮かべている。
見藤でさえ、いざ目の前にしたとき、その存在に目を疑ったものだ。先の事件を思い返し、口にした言葉は疲労を滲ませていた。
「まぁ、色々あったんでな」
「……お前も大概だな」
困ったような笑みを見せた見藤に、斑鳩は少し呆れたような笑みを返す。
斑鳩はしばしの時間、思考に身を投じる――。
斑鳩は自身が警察組織本部で出世頭だと自覚している。そして、周囲も、そう囃し立てる。だが、斑鳩からしてみれば、見藤の方がよほど傑出した力量を隠し持っているように思う。
ただ、見藤本人はそれを自覚しておらず、目立って力を振るおうとはしない。いつもこうして、見藤が「面倒事」と呼ぶ、他者から言わせてみれば大事件に巻き込まれる方が多いのだ。
斑鳩は情報を咀嚼し、飲み込む。次なる一手に思考を切り替えた。
「あとはそいつをどう取っ捕まえるか、だな」
「それが難儀なんだ……。まず、居場所が分からない」
そう言って、見藤は肩をすくめた。
白澤の時と違い、この神獣は実体を顕現させていない。今回は夢という目には視えない物を媒体とし、事件を引き起こしている。居場所を突き止めるには骨が折れそうだ。
考え込む見藤を尻目に、斑鳩はまたもやそっとローテーブルを寄せた。そして、思い出したかのように声を上げる。
「あ、そうそう。お前は見ていないよな? SNSで拡散された夢日記」
「……そういうのは疎いんだ」
「わっはっは!! そうか、スマホも電話とメッセージのやりとりしか使えないタチか」
「…………笑うな」
斑鳩の豪快な笑い声に、見藤は機器に疎いことが気恥ずくなり、少しだけ眉を下げた。――二人の会話は小難しい話から世間話へ変わる。
斑鳩は人懐っこい笑みを浮かべながら、話を続ける。
「お、それで思い出した。言い忘れていたが、今は例の事件のことよりも別のものに注目が集まってるぞ」
「ん?」
「お前、こういうものに疎いのは仕方ないが……。と、悪い」
突然、鳴り始めたスマートフォン。斑鳩のものだろう。斑鳩は何かを言いかけたが、その先の言葉を見藤が聞くことはなかった。
斑鳩は見藤と霧子がどのような繋がりがあるのか、知らない。斑鳩からすれば、怪異の女に恋慕の情を抱く悪友と、そんな彼に取り憑いている怪異。その程度の認識だ。
斑鳩が見藤に伝えようとしたこと――。それは斑鳩の中で、ほんの些細な出来事に過ぎなかったのだ。
――怪異は認知によって、その存在の有無を左右される。時には望まぬ力を持つことがある。そのことが、見藤と霧子にとって重大なことであるとはつゆ知らず。
斑鳩は通話を終えたようだ。スマートフォンをポケットにしまうと、すっと立ち上がった。
「悪い、戻るわ」
「あぁ」
そうして、簡単な別れの言葉を交わすと、見藤は斑鳩を見送った。
ご覧頂き、ありがとうございました。
最後にブクマ・評価★・感想など、いずれでも頂けると励みになります。




