22話目 悪友との邂逅、そして累が及ぶ④
そうして、一足先に久保と東雲は警官の保護の元、自宅へと送り届けられることになった。その計らいをしたのは斑鳩だ。
特に東雲は精神的に滅入っている様子だと、後に伝えられた。今後しばらくの間は、一人で外を出歩くことにも恐怖を抱くかもしれない。
見藤はどうしたものか、と溜め息をついた。
恐怖心に打ち勝つのは東雲自身であり、起こった出来事は変えられない。どうしてあげることもできない――、と目を伏せる。
そこでふと気付く、久保の変化。彼はいつも東雲に敬称をつけて呼んでいたのだが、先程までずっと彼女を呼び捨てにしていた。――東雲のことは久保に任せよう、疲労に負けた頭ではそう考える他なかった。
◇
久保を見送った後、見藤は斑鳩と共に帰路に着こうとしていた。
すると、突然。斑鳩が立ち止まり、これまで抱いていたであろう疑問を見藤にぶつける。
「で、お前に憑いている怪異はどうした?お前に何かあれば、すっとんで来るんだろ?」
「…………」
「なんだ、喧嘩でもしたのか?」
「…………」
「おいおい、図星か」
見藤は斑鳩に返す言葉を持ち合わせていない。――鋭い奴だ、と斑鳩を睨みつける。
見藤に取り憑いている怪異の女――、霧子の存在。斑鳩はこれまで、その目に彼女を映すことはなかった。だが、その存在は認識している。
その怪異の女は見藤に対して、異様なまでの執着と独占欲を持っていることを、斑鳩はそこはかとなく感じ取っていた。
それを斑鳩は茶化したのだが、見藤は見るからに機嫌が悪い。斑鳩はやれやれ、と首を振った。そして、表情をしたり顔に変えると、励ますように見藤の肩を軽く叩く。
「ここで俺からのアドバイスだ。女の言い分は百パーセント聞いておけ、口答えはするな。それが円満の秘訣だ」
「…………ひとつも参考にならん」
「まぁ、人と怪異じゃあ……持ち合わせている物の尺度が違うからな。人の善悪に当てはまらない場合もあるだろうな」
見藤に辟易とした表情で返されれば、彼には到底当てはまらない助言であったと斑鳩は苦笑する。
そんな斑鳩を一瞥すると、見藤は再び歩き始めた。
斑鳩は置いて行かれないよう、小走りでその後を追った。追いつくと、その歩みをゆったりとしたものに変え、二人は肩を並べて歩く。そして、斑鳩はふと思い出したかのように、口を開く。
「そうだ、あの被害者の子」
「東雲さんか?」
「そう、その子だ。自分が危うく切りつけられる所だったっていうのに、話を聞けばお前の心配ばかりしていたぞ。それに、お前のジャケットを片時も手放さなかった」
斑鳩が話す、事件後の東雲の様子。東雲と初対面の斑鳩から見ても、彼女が見藤に寄せている好意は分かりやすいものなのだろう。
見藤は依然、辟易とした表情を浮かべて歩みを進める。
斑鳩は見藤の顔を覗き込むように、背を少しだけ屈めた。
「なぁ、見藤」
「…………」
まるで同意を求めるかのように、斑鳩は見藤の名を呼んだ。直接的な言葉を見藤に掛けることはない。
しかし、彼が言わんとしていることは理解できる。見藤の眉間には皺が刻まれている。そっと見藤の口から出た言葉は、東雲の好意の本質を突いたものだった。
「あの子は父性を求めているだけだ。ちゃんと断っている。応えるつもりはない」
「おい」
見藤の返答を聞くや否や、「そんな突き放し方はないだろう」と斑鳩は見藤を咎めた。そして、斑鳩は大きく息を吐き、神妙な面持ちで見藤を見据える。その表情と声音はとても真剣なものだった。
「……いい加減、人と一緒になることも考えろ。子どもを授かって、その成長を見守るのも、とても幸せなことだ」
そう話す斑鳩の表情はいつになく柔らかい。家族のことを思い出しているのだろう。この男が家族の話をするときは、あの鋭い眼光もそのなりを潜めてしまっている。
そして、どこか昔を懐かしむような表情を見せたかと思うと、今度は少しばかり複雑そうな表情を見せる。
「分家の俺は、家同士の利益を見越した見合いだったが……。結果として、かけがえのないものを得た」
今時、家同士の利益や見合い婚は古くに廃れた風習だろう。しかし、近代化に伴いその数を減らす呪いを扱う名家の存続をかけ、他の名家と交わることも少なくない。
その中で互いに想い合える伴侶と出会えた斑鳩は、至極幸福とも呼べるだろう。決して、誰しもがそうではない。
――恐らく、斑鳩の大層早い出世は家族が原動力になっているのだ。そして、斑鳩の言う選択肢は、見藤が端から持ち合わせていないものだった。
だが、見藤の答えは聞かれる前より決まっている。溢した言葉は、本心でもあった。
「…………俺に、そんな甲斐性はない」
「ったく」
斑鳩は悪態をつくと語気を強め、その紫黒色の瞳を見据える。斑鳩の表情はいつになく真剣だった。
「俺達、人は先に死ぬ。遺された怪異がどんな思いをするのか、想像してみろ。あいつらは時間の猶予が違う。下手をすれば数百年ずっと、遺されたままになるんだぞ」
「…………」
斑鳩の言葉に「その傷跡が欲しい」と言ってしまえば、なんと酷い男かと罵られそうだ。見藤はその答えを口にすることなく、飲み込んだ。
そして、斑鳩の言葉に「余計なお世話だ」と答えてしまえば、それまでだ。斑鳩という友が自分を心配していることは分かる。分かってはいるものの、それを素直に受け取ることはできない。
斑鳩が自分の家族が一等大切なように、見藤にとっては霧子が唯一なのだ。
沈黙の肯定を続ける見藤に、斑鳩は大きな溜め息をつく。
「はぁ……。お前は怪異に入れ込み過ぎだ」
「否定はしない」
呆れたように首を横に振る斑鳩に、見藤は間髪入れず答えた。
例え十年来の友人だったとしても、見藤の過去を知らない斑鳩にとって、彼が怪異の女に傾倒するさまは傍から見ていると、心配にならざるを得なかったのだろう。
時に、怪異の本質は残忍である――。そのことを、怪異によって引き起こされた事件や事故の後始末を請け負う斑鳩は身を以って知っている。
見藤と、彼に取り憑いている怪異の女。彼らの関係性は極めて異質である。その怪異がどのような認知を持ち、どのような性格をしているものなのか斑鳩は知らない。
――下手をすれば、見藤は連れていかれるかもしれない。その不安がなかった訳ではない。
だからこそ斑鳩は、怪異に心を砕く見藤が耳を貸しそうな言葉を並べ、忠告する。
怪異と人が結ばれたとしても、残るものは何もない。しかし、その忠告も無用の長物となってしまったようだ。
「まぁ、上手くやってるなら、それでもいいと思ってたんだがなぁ」
――その言葉は友である斑鳩の本心でもあり、少しばかり諦めの心情。
「その様子じゃ、そうでもないみたいだしな」
「黙ってくれ」
「おーー、怖ぇ」
わざとらしく肩をすくめる斑鳩に、見藤は溜め息をつく。
この斑鳩という男は、どこまでも友だった。こうして、見藤が触れてほしくない部分に目を逸らさず、真剣に思いを伝える。そういう存在を邪険にできないのも、見藤だった。
そんな会話をしている内に、駅出口に辿り着いたようだ。二人はゆったりとした歩みを止めた。
斑鳩が見藤の数歩先を行き、振り返る。
「俺は帰るぞ。せっかく非番だったっていうのに、とんだ災難だ。家族との時間が減っちまった」
「……それは災難だ」
「そうだろうが」
そう言って斑鳩は不敵に笑った。そして、頼むぞと言わんばかりに見藤の背中を景気よく叩いたのであった。
◇
斑鳩と別れた後。見藤は一人、駅出口に佇んでいた。
空はすっかり夜の帳を下ろし、満天の星を輝かせている。そして、秋の澄んだ空気がより一層、星々を際立たせている。その夜空は、彼女の瞳を思い起こさせるには十分だった。
(会いたい……)
あれだけ言い合いをしたというのに、見藤の胸を占めるのは霧子だった。見藤は暗がりの中、これまでの雑念を掻き消すかのように首を振った。
「さて、やることが山積みだな……」
急速に広まる夢の認知、伝播する悪夢。夢と現実の狭間に捕らわれ、凶行に及ぶ人。そのどれもが、怪異の関連性を窺わせる。
まずは、その正体を絞ることから始めなければならない。夢に関連する怪異など、そう数は多くないはずだ。その元凶を叩けば、社会現象となった夢日記や夢遊病のような症状も落ち着きを取り戻すに違いない。
巡る思考は渦になる。見藤は思考を放棄するように、首を横に振った。
「ことが大きすぎるが……、仕方ない」
見藤は堪らず溜め息をついた。すると、その胸中を察するかのように、その頬を冷たい風が撫でる。
ひっそりと事務所を切り盛りしたいと願う見藤にとって、今回の事件は遠慮願いたい規模のものだ。だが、なんせ悪友である斑鳩の頼みでもある。無下にはできないと、己を納得させた。
秋の寒空の下、見藤はその体を震わせる。ジャケットは東雲に渡してしまっているために、かなり肌寒い。
「ぶっえっ、くし!」
見藤の一際大きなくしゃみが辺りに木霊した。
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