22話目 悪友との邂逅、そして累が及ぶ②
見藤は警官によって強固に拘束された暴漢を見届ける。そして、少し離れた場所で座り込んでいる東雲と、彼女の体を支えている久保の元へ急いで駆け寄った。
「久保くん、東雲さん! 無事か……!?」
「っ、あんた、馬鹿ですかっ!!??」
しかし、見藤を待ち受けていたのは、久保からの罵倒だった。
普段、声を荒げた事がない久保が見藤を罵倒している。だが、その声は涙声で、目には薄っすらと涙を浮かべている。何もできなった自分を責めるように唇を噛み、血が滲んでいた。
東雲を支えている久保の手は、見藤から見ても震えていた。見藤は目を伏せ、そっと口を開いた。
「……怖い思いをさせた」
「違いますよ!!! あんた、ほんとに馬鹿だ!!!」
「…………、すまない」
さらに声を荒げる久保に見藤はどうしていいのか分からず、ただ謝罪の言葉を口にする。
反対に久保は見藤の心中が理解できず、その表情を怪訝なものに変えた。
久保は見藤の身を大いに案じている。それなのに何故、あのような言葉が出るのか――。「悔しい」その一言が久保の中に浮かぶ。怪異だけでなく、人からの悪意でさえ、見藤は立ち向かい、自分達を守ろうとする。
見藤の過去を知らない久保。見藤の怪異に対する心の砕き方は目に見えて異常だ。そんな中、自分が少しでも人との繋がりを担うことで、その身を顧みない行動を減らすことができれば――。そう願ったはずだった。
しかし、結果はどうだ。暴漢の悪意に立ち向かう見藤の姿を目にしたとき、想像してしまった最悪の結果。
それは見藤と人の繋がりを求めた結果だ。自分と東雲が、怪異など知らぬただのアルバイトであったなら、ただの通行人であったなら――。
見藤はその背に誰も庇うことなく、身を危険にさらす事はなかったのかもしれない。
久保の中の悔しさと後悔と恐怖心。ぐちゃぐちゃになった感情は、見藤に伝えたい言葉を表現するには難しかった。
見藤は膝をつき、久保と東雲と同じ目線になる。おもむろに久保と東雲、各々の肩に左右片方ずつ手を添える。すると、二人の顔を見ると安心したのか、今度は俯いた。そうして大きく息を吸うと、その分長い息を吐いた。
(もう、失うのは御免だ……)
見藤の胸中をこの場の誰が理解できるだろうか。二人の肩に置かれた見藤の手は、僅かに震えていた。
その震えた手を握ったのは、久保と東雲だった。見藤が顔を上げるとそこには半べそをかいた久保と、何も言わず静かに涙を流している東雲の姿があった。
思わず見藤がぎょっとした表情を見せると、東雲が小さく呟く。
「えっ、……!?」
「あんま、見んといて下さいっ……」
泣き顔を見られるのは乙女心ながらに遠慮してもらいたいのだろう。そして、控えめに見藤のジャケットの裾が握られる。
思いがけず人の悪意に晒され、一番恐怖したのは東雲だろう。いつもの風景、いつもの日常。そんな中で突然、見ず知らずの人間から向けられた悪意。
それを身を呈して防いだのは、彼女が複雑な恋心を抱いている人だ。東雲も久保同様、見藤に抱いている感情は似ている。
人から危害を加えられるという恐怖、慕っている人を失うかもしれないという恐怖。それは、心では処理しきれず、防衛本能として涙になる。
見藤は申し訳なさそうに眉を下げると、ジャケットを脱いで東雲にかけてやる。東雲は縋るようにジャケットをぎゅっと握った。そこにいつもの能天気な彼女の姿はない。
三人が身を寄せ合い、無事を確かめ合っている最中、野太い声がその場に響く。
「あちらです」
「おう」
その声に聞き覚えがあった見藤は思わず振り返る。
規制線が貼られた向こう側から、こちらに向かって歩いて来る大柄な男と、彼を案内する若い警官。その大柄な男は、警官に案内されるにしては場違いで、私服だった。
今まで目の前の事に気を取られていたが、周囲の野次馬の数を目の当たりにした見藤は眉を寄せる。
大柄な男が近づくと見藤は目を丸くした。その大柄な男も、見藤を見るや否や一瞬驚いた表情を見せる。だが、すぐにニヤリと口角を上げた。
「よぉ。まさか、暴漢を取り押さえた勇敢な一般男性とやらが、お前だったとはなぁ。久しぶりだな、見藤。二、三年ぶりか? お前、まーた面倒事に首を突っ込んでんのか」
「…………どうみても違うだろ」
「見たぞ、被疑者。あれはやりすぎだ、過剰防衛になっちまう」
「そんな事言ってられる状況か、……ちっ」
「まぁ、そうだがな」
悪態をつきながらも大柄な男と親しげに話す見藤に、今度は久保と東雲が目を丸くした。そんな二人を余所に、見藤と大柄な警官は会話を進めている。
「まぁ一応、話は聞かせてもらう決まりでなぁ。同行してもらう」
「おい、斑鳩。まずは彼らを保護してやってくれ」
「この子らが被害者か」
斑鳩と呼ばれた大柄な男も警官らしい、と久保はじっと彼を見る。
斑鳩は若い警官に指示を出し、久保と東雲を保護するように伝達している。すると、数名の警官がこちらへ走って来た。
暴漢事件の現場となってしまったこの場では、他者による好奇の目に曝される。見藤は東雲にかけてやったジャケットの襟元を掴むと、彼女の頭がすっぽり隠れるように被せた。
東雲は見藤が何故その行動をしたのか疑問に思い、少しだけジャケットをずらす。そこで目にした光景に思わず気分が悪くなった。
――東雲に向けられたのは、好奇の視線だけではない。繰り返し鳴り響く、シャッター音、動画の録画音。
そして、そんな中、見藤の鼻を掠める慣れた香り。咄嗟に霧子がこの場に現れるのを制止しようとするが、遅かった。
「霧子さん! 今、出て来るのはっ……!」
――まずい、と見藤が顔を上げる。そこには怪異本来の姿をした霧子が佇んでいた。
不自然に辺りに立ち込めた霧を、群衆はどう捉えるのか。不特定多数の人の好奇の目。ましてや、今しがたの暴漢騒ぎで人の目はいつになく多い。
霧子は怪異本来の姿のため、視える人間にしか認知できないはずだ。しかし、向けられた視線の中にその姿を捉えてしまう人間がどれだけいるのか。更に、その目はこの場にいる人間だけではない。
未だ鳴り響くシャッター音、動画の録画音。それらは全て、この場だけに収まらないだろう。
霧子は見藤の無事を一目確認すると何も言わず、すぐに消えてしまった。その時、彼女の表情は物言いたげだったが、耐えるように唇を結んでいた。
瞬く間に姿を消した霧子に、見藤は少しだけ安堵した。
――そうだ、沙織のことで喧嘩をしていたのだった。それを棚に上げ、言葉を交わすのは憚られる。
霧子が姿を現したのはほんの一瞬だったのだ。その僅かな時間であれば、その姿を目にした人も少ないに違いない。懸念したことは起こらないだろう。
まさかの出来事に見藤が気を取られていると、若い警官から声を掛けられた。
「こちらへ」
警官に促され、一時的に久保と東雲は保護された。一方、見藤は状況説明のため斑鳩に連れて行かれることになった。
◇
斑鳩に連れられた見藤は駅構内にある、関係者用の一室に案内されていた。そこには久保の姿もあり、事情聴取に同席している。
その場に東雲の姿はなく、被疑者に狙われた彼女は別室で女性警官から精神的なケアを受けている最中だと聞き及んでいる。
そして、見藤と斑鳩の間で進む会話。
「で、このはからいは有難いんだが……」
「文句言うなよ、俺だって非番だったんだ」
「そうなのか」
「そうだよ」
彼らの会話は久保が先程も感じた通り、いつになく親しげだ。どことなく疎外感を抱いた久保は、おずおずと口を開く。
「あの、見藤さん」
「あぁ、大丈夫だ。こいつは俺の知り合いだ」
久保の疑問に答える見藤は、気だるそうにパイプ椅子に体重を預けている。その片手は殴られた頬に氷嚢を当てていた。患部は赤く腫れあがり、事件の壮絶さを物語っているようだ。
一方、久保は見藤の隣のパイプ椅子に座っており、簡易的な机を挟んだ向こう側には斑鳩の姿。
斑鳩は見藤の言葉に眉を寄せて抗議する。
「ああん?親友の間違いだろう?」
「黙ってろ」
斑鳩の軽口に、今度は見藤が眉を寄せた。
(やっぱり見藤さんって、変な人に好かれやすい……)
久保は鼻をすすりながら、そんな事を思っていた。
軋むパイプ椅子に座る斑鳩は、腕組みをしながら不服と言わんばかりに見藤を睨んでいる。彼の格好は勤務中には思えない。それがどうして、暴漢を取り押さえた見藤の事情聴取を行うというのだ。久保が想像するよりも、警官としての立場は上なのだろう。
斑鳩の風貌は如何にも警官というような生真面目さが窺える。その髪色は珍しく赤銅色をしていて、瞳は赤褐色にも映る。
そして、見藤と並び恵まれた体格。座っているため分かりづらいが、斑鳩の方が背丈は高いだろうか。一般平均の体格をしている久保が華奢に思えてくる。
斑鳩は眼光鋭く、久保を射抜く。鋭い視線に、久保は思わず身をすくめる。しかし、見藤は大丈夫だと言わんばかりに目配せをしたのだ。その次には、仏頂面をしながらも口を開く。
「こいつはある意味、俺と同業だ」
「同業者……」
「普段は強面警官を装ってはいるが、れっきとした呪いを扱う家の出だ。俺達の事情にも理解がある」
見藤の言葉に、またもや不服と言わんばかりに鼻を鳴らしたのは斑鳩だ。
「おい、普段はってなんだ。一応は本業だ。まぁ要は、俺もこっち側の人間ってことだ。俺が出た方が、話が早いだろ?」
そう言って不敵に笑う斑鳩はなんとも頼もしい。更に、その立場と警察という権力の傘を借りれば、怪異によって引き起こされた事件や事故を処理しやすいのだろう。こうして見藤と久保、事情を知る者同士を引き合わせて保護してくれている。
久保に紹介を終えると、斑鳩は腕を組み小さく息を吐いた。
「不幸中の幸いだ、俺が近くに居合わせた。運がよかったな」
「そうだ、な……。……そうか、久保くんのお陰か」
斑鳩の言葉に思い当たる節があった見藤は久保の名を口にする。
「はい? 僕ですか?」
久保の強運が、非番であるはずの斑鳩をあの現場に呼び寄せたのだろう。
それは突き詰めれば――。久保が見藤を買い出しに誘わなければ、東雲はあの凶行の餌食となっていた可能性を孕んでいたことになる。
不運を強運でリカバリーした久保。そんな彼を「なかなかに興味深い」と斑鳩は笑った。そして、「できることなら、もっと早く駆けつけて欲しかった」と悪態をつく見藤はすっかり、いつもの調子に戻っていた。
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