21話目 藪の中の荊の生さぬ仲
新涼の秋色が漂う頃。
事務所には各社新聞をローテーブルに広げて、何やら黙り込んでいる見藤、東雲、久保の姿があった。そこに猫宮の姿はなく、どうやらまだ煙谷の所にいるようだ。
いくら世間の流行に疎い見藤と言えど、社会情勢となると話は別物らしい。こうして各社新聞を揃え、日ごろから情報収集しているのだろう。その広げられた新聞には大きな見出しが共通して書かれている。
そこには、「疑似的な夢遊病患者の急増。若年層に顕著」という見藤と東雲にとって気になる言葉が書かれていたのである。
東雲が小さく呟く。
「見藤さん、これって……」
「この前の依頼人に当てはまるな」
見藤はかけていた眼鏡を外しながら、東雲が言わんとした事に頷く。
―― 先の依頼人の話だ。
依頼人は、SNSに夢日記として投稿されていた内容を好んで見ていた所。その内容を夢に見るようになった。
それをきっかけに、夢日記をつけ始めたまではよかった。しかし、そこから夢と現実が曖昧になり始めたばかりか、悪夢をみるようになったのだ。
最終的には、夢遊病のような症状を発症し、専門医療機関へ入院した。その容体は未だ芳しくない。
その場にいなかった久保には、東雲が事情をかいつまんだ話をしていたようだ。この記事に対する見藤と東雲の反応に理解が追いついている様子を見せている。
眉を寄せながら考え込む見藤は、独り言を呟く。
「一種の集団ヒステリーのようなものなのか……?」
見藤の言葉に、久保と東雲は互いに顔を見合わせていた。すると、久保は自身のスマートフォンを取り出し何やら操作している。そして東雲に画面を見せると、彼女も首を傾げたのだった。
そこには、以前久保が流行していると言っていた、SNS上の夢日記とされる投稿の数々が表示されている。東雲がよく見てみると、大まかな内容は似通っているのだが、人によって細かい部分は若干異なっているように見受けられた。
伝播する夢、と言うなんとも不思議な現象だが、それには個人的差異があるようだ。
「……分からん。怪異関連なのか、集団ヒステリーなのか」
「キヨさんからは?」
久保からの問いかけに、見藤は困ったように答える。
「今の所、何も連絡はないな」
全国各地で引き起こされる怪異による事象や事件の情報を総括しているキヨ。そんな彼女からの連絡や、夢の事象に関連する依頼が何もないのだ。
こちらから情報を照会してみようにも幾分、確証がなさすぎる、と見藤は思考を巡らせる。
「事がどうなるのか……一旦、待ちだ」
「分かりました」「そうですね」
見藤が決めた今後の方針に、久保と東雲は頷いた。
そうして見藤はふと、久保が持つスマートフォンを一瞥した。そう言えば、この現代の夢日記とされる情報を持ってきたのは久保であったと思い出す。
「あ、そうだ久保くん」
「はい?」
「君も、そのネット上の夢日記を見ていただろう。あまり深入りはしないように」
「大丈夫ですよ。僕は見ているだけで、夢日記はつけていませんから」
「そうか、ならいい」
何かと首を突っ込む久保の事だ。見藤は「大丈夫」その言葉を久保の口から聞くと安心したように頷いた。
そして、事務所の壁にかけられた時計を見上げた。時刻はもうすぐ昼に差し掛かろうとしていた。時刻を目にした見藤は何かを思い出したのか、慌てて二人に向き直る。
「しまった、今日は来客がある」
「霧子さんの知り合いですか?」
そう話す見藤。伝播する夢という現象にすっかり気を取られていた。事務所に来客がある事をすっかり忘れていたのだ。
そして、久保はいつかの都市伝説由来の怪異の存在を思い出す。今はもうその姿も名前も思い出せないのだが、不思議と霧子の知り合いという事だけは記憶に残っていた。
久保の問いに、見藤は首を横に振る。
「いや、今回は違う。すまないが、今日はここまでだ」
「分かりました! 他に情報がないか、調べてみます」
「助かる。気をつけて帰るんだぞ」
久保はそう言うと、東雲と共に事務所を後にした。
* * *
二人を見送った後、慌ただしく事務所内を片付けていた見藤。彼の耳に響く、インターホンの音。どうやら予定していた通りの時間に、依頼人がやってきたようだ。
見藤が扉を開くと、事務所の前に佇んでいたのは四十代くらいの男だった。仕事の合間をぬって、この事務所を訪れたのかスーツ姿だ。その風貌はごく一般的だが、身につけている物の主張が強い。
男の腕時計は煌びやかに光を反射し、ネクタイピンやカフスもそれに続いている。そして、靴や鞄に使われている皮は良いものだと、被服に疎い見藤でも見て分かる。
使い古されくたびれたスーツ姿の見藤と上等なスーツを身につけている依頼人。なんとも可笑しな対比だ。
見藤は思わず眉を顰めた。自己顕示欲が強いと思われるようなこの手のタイプは面倒だ、と経験が告げている。
その一方で、相手方も見藤のような体格に恵まれた人間が出迎えると思っていなかったのか。一瞬たじろぐような様子を見せた。
気にする素振りを見せず、見藤は差し障りのない挨拶を交わす。
「お待ちしておりました、どうぞ」
「あぁ、失礼します」
見藤が事務所へ招き入れると、依頼人の男は軽く会釈をした。そうして、応接室の役割を果たしている、ローテーブルとソファーが置かれている場所まで案内する。
依頼人がソファーに腰かけるのを見届けると、見藤も後に続いた。軽く互いに自己紹介をすると、依頼人の名は斎藤と言った。
斎藤は言いよどむ素振りを見せていたが、意を決したように口を開く。
「その、依頼というのはですね……」
彼の表情は硬く、何やら後ろめたい事でもあるのだろうか。しきりに自身の手を触っている。
「娘に、関する事なんです」
「娘さん……?」
「どこから話せばいいのか……」
斎藤はそう言うと、自身の家族について話し始めた――。
彼には気立てのよい妻と娘がいたのだという。しかし、一年前に妻は忽然と姿を消してしまった。一言、書置きを残して。
痴情のもつれなどは考えにくく、警察にも届けたがまともに取り合ってもらえなかったという。一人姿を消した妻には、連れ子がいた。
それが、今回の相談事にも挙がった娘だ。血の繋がらない娘、そう何度も口にする斎藤に見藤の眉間の皺は徐々に深くなっていく――。
娘はよく出来た子だった。口数が少なく、何を考えているのか分からない事を除けば、学校の成績は非常に優秀、スポーツもできた。
大人から見た、まさに「良い子」の手本だ。妻が姿を消してからは、子どもながら気丈に振る舞っているようだ。
しかし、娘の言動に悩んだ末。この事務所をやっとの思いで見つけたのだと、斎藤は話した。
「時折、全てを見透かすような目で私を見るのです……、それがなんとも気味が悪くて。それに、こちらが思っていることを言っていないはずなのに、それを口にする事が増えて……。どこで何をして、何を考えていたのかまで筒抜けで。思い返してみると、妻もそのような振る舞いが多かったと改めて感じまして。妻は自分の良き理解者なので、考えている事も言わずとも伝わっているのだと、そう思っていたんですが……」
そう話す斎藤は目線を下に向けたまま、視線はせわしなく動き回っている。斎藤が辿り着いた一つの可能性、その心理状態が言動に顕著に表れている。そうして、意を決したように口を開く。
「時折、あの子は人ではないナニか、なのではと……。感じてしまって。あの子は、血の繋がらない子なんです。だから……」
その先の言葉を言いよどむ斎藤に、ついに見藤の堪忍袋の緒が切れた。
「何だ? はっきり言えばどうだ? その婚姻関係は社会的信頼を他者から得るための手段だったと。その女性が姿を消したとなれば、残された娘の面倒をみるのは願い下げだとでも言いたいのか?」
見藤の鋭い視線が斎藤を射抜く。語気の端々に、義憤を滲ませていた。
見藤の指摘は図星なのだろう。斎藤は慌てて、否定の言葉を口にするが――。
「そ、そんなつもりはっ……!!」
「なら、どういうつもりでこの事務所に来た? ここがどういう依頼を引き受けているのか、知っているだろう。娘さんが人でないと分かれば、あんたはどうするつもりだ? あんたは彼女から、これまでに何か損害を被ったのか?」
「………………」
人ではない――、その言葉を聞いた斎藤は黙ってしまった。
そして、どうするのかと問われた斎藤の頭に思い浮かんだ言葉は、人として、仮にも親として最低な言葉だったのだろう。彼の表情がそれを物語っている。
故に、口に出さなかった事が唯一褒められた事だろうか。口にしてしまえば待っているのは強烈な軽蔑の眼差しだ。加えて、先程から聞くに堪えない斎藤の言葉に我慢できなくなった見藤が怒り、非議しないとも限らない。
さらに口調が厳しくなる見藤。
「一緒になる時、連れ子だとしても……。あんたは、その子の親になったんだろうが。責任から逃れるには、都合が良すぎるだろう。それが人であれ、そうでないにしろ、その責任は負わねばならない」
見藤は大きく息を吐くと、たった一言。
「お帰り下さい」
「ま、待って下さい……!」
斎藤は慌てて見藤を説得しようと言葉を並べる。だが、そのどれもが見藤にとっては中身のない、薄っぺらな言葉の羅列でしかなかった。
仮に見藤の言葉通り、斎藤の継子が人ならざる存在であったとして――。彼が被害を受けた訳ではなさそうだ。
それ以前に。斎藤の身勝手な言動に憤りを抱いた見藤には、この依頼を請け負うつもりが全くない。
見藤の何ひとつ変わらない表情と態度に、斎藤は諦めがついたのか項垂れた。しかし、顔を上げるとその様子は一変し、逆上したかのような雰囲気を纏っていた。おおよそ、それがこの男の本性なのだろう。
ところが、見藤にひとつ睨まれると、その怒りもなりを潜めてしまった。なんとも度量の狭い男だ。
そうして、見藤は事務所を後にする斎藤を見送った――、と言っても半ば追い出すような形だった。項垂れる男の背を見送った後。見藤は事務机に向かいながら椅子に深く腰掛けた。
「はぁ……」
そして、大きな溜め息をついたのだった。そんな見藤の頭を巡るのは、先程の斎藤の話だった。




