20話目 地獄の沙汰も金次第④
そうして、彼岸の中日。時刻は夜中、煙谷と猫宮は山の中にいた。
人為的なものなのかどうか不明だが、そこには大きな岩が互いを支えるかのように寄りかかり、その間にはまるで口を開けたかのような空洞ができている。
そして、夜中ではあるものの月明りは煌々と木々を照らしている。だというのに、その空洞は不自然なほど真っ暗で、その奥には空間が続いているように見える。
「黄泉平坂は久しぶりだ」
「そうなのか、煙谷」
「ん? 君はそうじゃないのか?」
「いやァ、見藤に舞い込んでくる依頼によっては、ここまで怪異を送り届けたりするからな」
「うわぁ、怪異使いが荒いね」
猫宮の口から思わずして出てきた見藤の名に、嫌そうな顔を見せる煙谷はいつもの調子だ。
煙谷と猫宮が立つこの場所は黄泉平坂と呼ばれる、あの世とこの世を繋ぐとされている洞窟だ。それは人があの世や彼岸と呼んでいるもの、怪異からすれば常世に繋がる道だ。
あらゆる物が普遍とされる常世。認知の薄れた怪異がその存在を消滅させないために、常世へ移り住むときや、数を減らした妖怪の類が移り住むとき。そう言ったモノ達が黄泉平坂を通る。
そして、黄泉平坂はあの世への入り口であれば、出口でもある。
「用意はいいかい?」
「あぁ、礼は弾めよ?」
「勿論」
煙谷の言葉を合図に、火車として本来の姿をとる猫宮。やはりその体躯は大きく、煙谷の背丈を優に超える。ひだ襟のような首元の飾り毛の先は深蘇芳色をした炎がゆらめき、篝火が辺りを照らす。
煙谷は手首に着けられた深緋色の数珠を外した。体の一部を煙と化して空間に開放し、煙は地面に大きな円を形取る。
すると、猫宮はその円の形をした煙に向かい、複数の篝火をくべた。
「いい調子だ」
「ふん、当然」
煙谷の言葉に得意げな猫宮が答える。篝火は炎の勢いを増し、円を描いている煙をなぞり、広がっていく。円を篝火が一周するとき、その底はなだらかな地面ではなく、赤黒い底沼のような空間が広がっていた。
底からむせ上がってくる熱気と濃い血の匂い。それは、煙谷にとって懐かしい匂いだった。懐かしさから、ふと口元が緩んだようだ。ぽつり、と煙谷が呟いた。
「開門だな」
開かれたのは地獄への扉だ。炎が揺れ、轟々と鳴り響き、よく耳を澄ますと亡者の悲鳴が聞こえくる。
煙谷は外していた数珠を着け直すと、ポケットから取り出したソフトパックから煙草を一本取り出して口に咥えた。どうやら、今日は忘れずポケットに忍ばせておいたようだ。久しぶりに味わう煙草の味に、深く呼吸をする。
すると、背後から突然声が掛けられた。その声に煙谷と猫宮は振り返る。
「よっ! もうそろそろか? なんだ、猫宮もいるのか? 珍しいな」
「榊木、樒はどうした?」
「どこぞで手間取ってる最中」
「……助けてやりなよ」
「やだね。私だって余力は残しておきたい」
その声の主は獄卒である女鬼人、榊木だった。
彼女は錫杖を手に、ゆったりとした足取りでこちらへ向かって歩いて来る。相棒である男鬼人、名を樒というようだ。
――彼の姿はない。どうやら榊木のいう通りであれば、遅れて来るのだろう。
彼女がいつも着けている憎女の面は朱の紐で腰に吊り下げられており、その素顔を晒している。彼女の瞳は金色、その眼光は鋭い。片目を隠すように伸ばされた前髪を耳にかける仕草をすると、煙谷は異変に気付く。
「榊木、その角は?」
「ちっ、やられたんだよ。タチの悪い亡者に」
榊木を慮ってか、眉を顰める煙谷。
獄卒の中でも、榊木は腕っぷしに自信がある。彼女に怪我を負わせるような亡者など、そうはいないはずなのだが、と煙谷は首を捻る。
榊木は大丈夫だ、と言うように煙谷の背中を叩き、猫宮にも視線でその意を伝える。猫宮は彼女の様子に「どいつもこいつも身を粉にして働き過ぎだ」と、呆れたように溜め息をついたのだった。
榊木自身はあまり気にしていない様子で、こともなげに口を開く。
「やられたモンは仕方ない。今は今日を乗り切る事を考えよう」
「……そうだな」
二人と一匹は黄泉平坂を目前に並び立つ。そして、時刻は丑三つ時。
――するとどうだろう。けたたましい音を立てながら、黄泉平坂の奥の方から風が吹き荒ぶ。
風の強さに思わず煙谷と猫宮は顔を逸らすが、榊木だけは視線を逸らさず一点を見つめている。
「来たぞ」
榊木の言葉を合図に、猫宮は牙を剝き出しにして身構える。
風の音にのせられて耳に届く、幾その足音。徐々にこちらとの距離を縮めている。洞窟の中に月明りが少しばかり差し込むと――、とうとう姿を現した。
亡者の群衆だ。
後ろから何かに追われるように一目散に掛けている。亡者を視界に捉えると、榊木と猫宮は数歩下がり、地獄の門との距離を確認する。
そして――、必死の形相もさることながら、亡者の切羽詰まった声が響く。
『そこをどいてくれ!!!』
「それはできない相談だ」
榊木がそう言う否や。猫宮が亡者の首根っこを咥え、空中に投げ飛ばす。
投げ飛ばされた亡者は宙を舞い、落下する直前に榊木が振りかぶった錫杖によって、その体を打たれ地獄の門へと突き落とされたのだった。
――まさに地獄に落ちる、その言葉通りだ。
「はいはい、どんどん行くよ」
煙谷の呑気な声を合図に、こちらに走ってきた亡者たちが煙谷によって、または猫宮によって宙を舞う。それを榊木が、まるで野球ボールをバットで打ち返すかのように、悉く地獄へ叩き落とす。
あの世とこの世が最も近づく、彼岸の中日。それにかこつけて現世に渡ってきた亡者たちは、すぐさま地獄に送り返される羽目になったのだ。
「すまん! 手間取った!!」
「いいから、早く手伝え! 亡者の数が多い!!」
途中、樒と呼ばれていた榊木の相棒である男鬼人も合流し、その場はさらに混迷を極めたのだった。
◇
そうして、大活劇は夜が明けるまで続いた。
あとは、あの世とこの世の距離はひらいていくだけ。そして残るは、この四日間で現世に渡った亡者の取りこぼしを回収するだけだ。
いくら怪異や鬼人と言えど、暴れ出そうとする亡者を長時間に渡って相手にしていれば、疲労の色も見えてくるというものだ。
煙谷は辟易とした表情を浮かべて、ぽつりと言葉を溢す。
「はぁ、流石に疲れたな」
「にしては余裕そうだな、煙谷」
猫宮の大きな体躯に立ったままもたれかかり、その毛並みを堪能している煙谷に榊木が声をかける。
ついでと言わんばかりに、榊木も猫宮の柔らかい毛並みに体をうずめた。その折「もふもふだ……」と小さな声で呟かれた彼女の声。猫宮は枕じゃないぞと、静かに溜め息をつくのであった。
「閉じるぞ」
榊木のその言葉を合図に、彼女は手にしていた錫杖で円を形取っている炎の端を突いた。すると、炎は徐々に円を狭めて行き、ごぽっ……と、音を立てて消えてしまった。
――地獄の門は閉じられた。
煙谷は再びポケットから煙草を一本取り出すと、一仕事終えたと言わんばかりに大いにその煙をふかしていた。
煙はゆったりと宙に上ってゆき、その姿を消した。
* * *
そうして、彼岸明けを迎えようとしていた。
どうやら、煙谷は多忙を極めたらしく、あれからというもの連絡がない。煙谷の事務所へ派遣していた東雲は、彼岸の中日を境にその役目を終えたのか。見藤の事務所へ顔を出すようになっていた。
一方、猫宮はまだ戻らない。煙谷にこき使われているのだろうか――。見藤は少しばかりの同情を抱くが、彼岸が過ぎれば帰ってくるだろう、とそこまで心配はしていなかった。
その頃には、東雲は霊との札貼り合戦の賜物なのだろう。一回りも、二回りも精神的に強くなったであろう貫録を伺わせていた。そんな彼女に、煙谷は報酬としてどのような若かりし頃の見藤の話をするのか。今から身震いをする見藤であった。
見藤が止めてくれと申し出た所で、既に契約は成されている。諦めるしかない、と見藤は静かに項垂れた。
それも相まって、いわゆる現実逃避だ。見藤と久保は、事務所を抜け出して住宅街に繋がる路地を歩いていた。住宅街の中ではあるが、美味しい食堂があるという事で珍しく二人で昼食を摂りに向かっていたのだ。
すると、少し先に住宅街の中に佇む、比較的新しい外装をした寺が見える。住宅街に建てられているためか、それほど規模は大きくない。
久保は不思議に思い、率直な感想を述べる。
「こんな所に、お寺ってあるものなんですね」
「あぁ、あそこの寺は一風変わってるぞ」
「……え、そうなんですか」
二人はゆっくりとした足取りで、徐々に寺に近付いていく。やはり、目にした外壁は真新しい。
見藤はその寺に覚えがあったのか、得意げに語る。
「なんでも、あの寺の住職。霊は存在しない、という立場を取ってるらしくてな」
「へ、へぇ……」
「あくまでも、寺というのは人の心を導く役割を担っている、という事らしいぞ」
見藤がそう言い終わる頃だろう。寺の入り口手前に設置されている掲示板。心の教訓が書かれた張り紙が久保の目に留まる。へぇ、と言葉を漏らした久保は興味なさげに視線をすぐさま目前に据えた。
二人が寺の入り口を通過しようとした時だった――。突然、辺りに響く老人男性の声。
「ですからぁ!!!!」
心底あきれ返ったような声があまりにも大きい。久保は驚き、肩をびくつかせる。
「うわ、びっくりした」
丁度、寺の入り口を通過する所だったため、久保は興味本位で少しだけその門を覗いた。
すると、寺の講堂に繋がる階段付近に、頭を丸めた老人男性ともう一人、中年男性が何やら言い合いをしている。老人男性は黒い法衣、袈裟に身を包んでいるためここの住職だろう。中年男性はしつこく住職に何か頼み込んでいる様子だ。
「うちの寺ではお祓いなど行っておりません! 幽霊などいないのです!」
再び大きな声が辺りに響く。その内容は見藤が久保に話していた通りのものだった。
住職に頼み込んでいる男性は大方、寺ならばどこでもお祓いをしていると思い、お祓いを頼んでみたのだろう。そして、門前払いを食らおうとしている。
(少し、可哀そうかも)
どのような事情があるのか知らないが、久保は中年男性に少しだけ同情する。
すると、久保の様子を見ていた見藤。久保の後ろから顔を覗かせて、声を荒げる住職を見た。その次には首を傾げ、ぽつりと言葉を溢す。
「なぁ、久保くん。あの坊さん、誰に向かって話してる……?」
「えっ、……見藤さん?」
久保は思わず、見藤の方を振り返った。しかし、見藤の表情は疑問に満ちており、住職の目前には誰もいない、と言った様子だ。今度は久保の方を見て、首を傾げている。
「ん?」
(見藤さんが視えていないってことは……)
――大方、そういうことだろう。あの中年男性は幽霊だ。
久保は思わず身震いする。咄嗟に見藤へ「行きましょう」と声をかけ、再び歩き始める。
二人が寺の門を通過したとき――、人知れずその場に降り立ったのは憎女の面を着けた女鬼人。
鬼人は喚ている中年男性の元へ駆け寄ると、その勢いのまま手にしていた錫杖で男の頭を思い切り小突いた。そして、体を小脇に抱え瞬く間に消える。
そこには、呆気にとられた住職だけが一人、残されていた。
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