20話目 地獄の沙汰も金次第③
猫宮が煙谷の事務所へ派遣された翌日。
今度は、煙谷自ら見藤の事務所を訪れていた。その雰囲気はいつもの飄々とした楽観的なものではなく、珍しく厳しい表情を浮かばせ、張り詰めている。
煙谷のそんな様子を初めて目にした見藤は思わず笑いが込み上げそうになったのだが、咳き込んだ振りをして誤魔化しておくことにした。
煙谷は扉から一直線に、見藤が向かう事務机の前まで歩いて来ると一言。
「あの子、貸して。東雲サン」
「あ? うちの助手だぞ」
煙谷が言い放った言葉に、見藤の眉間にこれでもかと皺が寄った。
その次に、驚いたのは応接スペースのソファーに座っていた東雲本人だろう。「えぇ……、何……」と絶妙な反応をしつつ、煙谷と見藤の会話を聞いている。
その隣には霧子が座っており、煙谷の方を睨んでいる。そこに久保の姿はなく、どうやら今日は大学の講義のため時間が合わなかったようだ。
煙谷は久保の姿がないことを確認し、そっと口を開いた。
「本当はあの助手クンにも声を掛けたかったんだけど……。いないね」
「なんだ、えらく立て込んでるな」
見藤の言う通り、煙谷に舞い込む依頼は後を絶たなかった。
明確に霊障を引き起こしている霊を捕縛するには人からの依頼が一番手っ取り早い。
煙谷はその依頼をこなしつつ、空いた時間には浮遊霊を捕縛したり、人に取り憑いたはいいものの大して強い霊障を起こさず人に認知されていない霊たちを捕縛するのに追われていた。
猫宮の派遣により、煙谷は大いに助かっていた。だが、それでも人手が足りなかった。
凶悪な悪霊は猫宮や榊木たちに任せているものの。ちょっとした出来心で現世に渡った霊たちの数が異様に多かったのだ。それも、あの世とこの世が近づくにつれその数を増やしている。
流石の煙谷も、地獄の獄卒たちは何をしているのかと激を飛ばしに行きたいと思う程だ。
このままでは、最もあの世とこの世が近づく彼岸の中日は大騒動になるだろう。そうならない為にも、この三日間が峠だ。
そして、その日を境に今度はあの世とこの世は離れてゆき、その頃になるとこちらへ渡る霊もいなくなる。残りの三日間は、地獄へ送り返すだけの流れ作業だ。
煙谷の頭ではその考えが巡り巡っている。できる事なら、現世での獄卒人員をもっと派遣してもらいたいものだが、そうもいかないのが現実。
「はぁ、全く……忙しいのは性に合わない。煙草も没収された」
「誰に」
「檜山。吸う時間が勿体ないんだとさ」
「ぶっ、…………はっはっはっ!!!!」
煙谷の話を聞いて流石に笑いを我慢できなかったのか、大笑いし始めた見藤を恨めしそうに見る煙谷。
話を聞くに、あの檜山という女記者。煙谷に対してなかなかに遠慮がない様子だ。
「あっはっは、いい相棒だな」
「…………」
未だに腹を抱えて笑っている見藤、それを睨みつけている煙谷。いつもの彼らの態度が逆転したようだ。
そして、珍しく声をあげて笑っている見藤を目に焼き付けようとソファーから身を乗り出している東雲――、というなんとも珍妙な光景であった。
煙谷は恨めしそうに見藤を一瞥したかと思うと、後ろで身を乗り出している東雲を振り返った。
「で、どう? 僕の所で短期アルバイト」
「どうって言われましても」
煙谷に対してあまりいい印象を抱いていない東雲だ。彼女からいい返事はもらえなさそうだ、と煙谷は察するや否や。短い溜め息をついたかと思うと――、いつものおどけた様子で東雲に報酬を提示した。
「若い頃の見藤の話でどう? あいつ、それはそれは一匹狼のようで――」
「ええでしょう」
「お、おい!!!」
それは、ささやかな煙谷からの仕返しだ。一方、力強く返事をした東雲の目は本気だった。「まぁ勿論バイト代は弾むよ」と煙谷らしからぬ爽やかな笑顔を東雲に向けている。
目の前の光景に、見藤は酷く嫌そうな表情を浮かべるのであった。
煙谷からの提案を承諾する決定権は東雲本人にあるため、見藤がどうこう言える立場ではない。だが、その報酬は遠慮願いたいものだ、と天を仰ぐ。
煙谷によって徐々に買収されていく面々。すかさず、煙谷はソファーに座っている霧子を見やるが――。
「そんな事で私は買収できないわよ」
「うーん、そうでしょうね」
失敗したようだ。霧子の鋭い眼光に、流石の煙谷も肩を竦ませてしまった。
――こうしてさらに東雲の派遣が決まった。
* * *
煙谷の所へ東雲が派遣される当日。彼岸入り三日目。
事務所の扉の前に見藤と久保が並び、東雲を送り出そうとしていた。どうやら久保は煙谷の人員買収から免れたようだ。
見藤は東雲に渡す物があると言い、小さな箱を手にしていた。
「念のため、これを持って行くといい」
「これ、ですか?」
東雲へ手渡されたのは、小さい木札だった。木札を両手を付け合わせた掌で受け取る。
よくよく見るとその木札には梵字が複数書かれており、それを取り囲むように綺麗な模様が彫られている。その裏を見れば、これまた細かく綺麗な細工と水牛の角を模したかのような絵柄が彫られている。木札の最上部には紐が通せるように小さな穴があけられていた。
東雲は首を傾げながら尋ねる。
「これは?」
「身代わり木札。久保くんの分もあるぞ」
見藤はそれだけ言うと、隣に立っていた久保にも同じものを手渡した。
身代わり木札とは文字通り、災厄に見舞われた際に持ち主の身代わりとなるお守りだ。木札が割れたりすれば、その役目を全うしたのだと言われている。
今しがた久保と東雲に渡された身代わり木札。東雲の目に映るのは神社の出である彼女でも見たことがないような身代わり木札だ。
それは見藤が二人のために作り上げた身代わり木札、ということだ。そして、その効果は言わずもがな。
「肌身離さず持っているんだぞ」
「肌身離さず……」
静かに見藤の言葉を咀嚼している東雲。久保は呆れたように、どこか遠いところを見ていた。
見藤は餞別となる物を渡せたという達成感からなのか、木札を大事そうに握り締めている東雲の内なる真意に気付いていない。
そして、久保は渡された木札をしばらくの間眺める。二人の身を案じ、見藤が手作業で作り上げたお守りだ。
怪異という存在に心を砕く見藤に、少しでも人との繋がりを結んで欲しいと願った久保にとって、嬉しいものだった。
「簡単な作業だけと聞いてるので、心配ご無用です!」
「そうか、いってらっしゃい」
「はい!」
東雲は元気よく返事をすると意気揚々と事務所を後にした――、まではよかったのだが。
◇
「うっわ、気持ち悪い……」
遠路はるばる辿り着いた煙谷の事務所の中には、囚われた霊たちがこれでもかという程うごめいていた。そんな状況でも煙谷は平然な顔をして事務机に向い、依頼の確認をしているようだ。
煙谷による結界の様なものなのだろうか、足元には正方形が角度を変えて幾重にも重ねられた模様が大きく描かれ、霊たちはその線から外へ出られないようだ。
霊たちは東雲に気付くと言葉を発したり、こちらへ来るように手招きをしている。
その光景に思わず東雲は先程の言葉を漏らしたのだ。霊が視えないと仕事にならない為、いつものお守りは自宅に置いてきた。東雲は思わず、見藤からもらった木札を強く握り締める。
すると、煙谷は呑気な調子で依頼内容を語る。
「大丈夫、この札を貼っていくだけでいいから」
「確かに簡単な作業ですけどっ!!! これは気持ち悪いですって!!」
そう言って、煙谷から差し出された札を東雲は叫びながら受け取った。
札をうごめく霊たちに貼るというのは、相当な勇気が必要になりそうだ。東雲は思わず、ごくりと唾をのみ込んだ。――彼女はうまい話には裏がある、ということを身を以って体験している。
「これを貼れば、彼らをあの世へ送り返すことができるから」
煙谷のその言葉に、ちらりと結界に囲われた霊たちを見やる。それは性別年齢様々であったが、やはりと言うべきか。一度はあの世に渡ったにも関わらず、こうして無理やり現世に渡るという執着を見せた者達だ。その人相は些か善人とは言い難い。
すると、最前列にいた老人の霊が東雲の姿を見るや否や鼻で笑った。
『なんだ、ちんちくりんな嬢ちゃんじゃないか。あの爆乳姉ちゃんはどこへ行ったんだ?』
東雲の額に青筋が浮かび上がった。
――恐らく、「あの姉ちゃん」とは檜山のことなのだろう。霊となっても人を見る目に欲を滲ませるというのは最早同情の余地はない。東雲は札を握る手に力を込めた。
「はーーーん!? やってやろうやないですの!? 皆さんあの世へお帰り下さい!!! うらぁあ!!!」
『ぷぎゃっ!!!!』
東雲の気合に満ちた掛け声と共に「べちん!!!」と大きな音を立てながら、老人の霊の額に札が貼られた。すると、その霊は足元から徐々にその姿を消していったのだ。その光景に、結界内に囲われている霊たちはどよめき、何やら焦りを見せ始めた。
その様子を確認すると東雲は札を握り締めながら――。
「覚悟しい」
力強く呟いたのであった――。見藤から渡された身代わり木札の出番はないだろう。
そうして――。コツを掴んだのか、ひしめき合っている霊たちに悉く札を貼っていく東雲。
煙谷は東雲にその場を任せ、依頼をこなすため事務所を後にした。
いよいよ明日は彼岸の中日だ。この峠を越えれば、残る三日間は事後処理だけとなるだろう。
ゆったりとした足取りで依頼に向かう煙谷はポケットに手を伸ばすが、そこにあるはずの煙草の箱はない。彼は大きな溜め息をつきながら、もう片方の手で頭を掻いたのだった。
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