20話目 地獄の沙汰も金次第②
秋の彼岸入りをすると数が並び始める、おはぎ。見藤の事務所では、数ある和菓子店が売り出しているおはぎをその年ごとに店を変え、味比べをするのが恒例となっている。
ローテーブルに置かれた洒落た折。そして、せっかく和菓子を食すのだからと用意された黒文字楊枝と、市松模様に絵付けされたモダンな銘々皿。綺麗に折られた懐紙が銘々皿の上に置かれている。
見藤はひと思いに、おはぎを頬張る。その美味しさから年甲斐もなく、目を輝かせた。
「お、今年は当たりだな。うまい」
「どっちが美味しい?」
「個人的にきなこ」
見藤と霧子。二人だけで開かれた、ちょっとしたこだわりの茶会。きな粉と粒あんのおはぎを食べ終えた見藤が、霧子に食べるよう勧める。
折にはきな粉の他にも、残された粒あんのおはぎが鎮座している。小豆が光に反射しその艶やかな餡子が醸し出す、美味しそうな見た目は最早職人技だろう。しかし、選ばれたのはきな粉。嗜好とは無情だ。
「あら、ほんと。美味しいわね」
霧子の感想を聞きながら、満足げに見藤は玄米茶を啜った。和菓子と日本茶の組み合わせは間違いないだろう。
ゆっくりとした時間が二人の間に流れる。そんな日も悪くない、そう思わせてくれる。
「だっあぁっ! ほんと、やだ!! こっち来んといて!!」
「だぁから、ちゃんと見藤さんの言う事は聞いておいた方がいいって……!」
「久保君に言われとうない!!!」
――そんな二人の時間はあっけなく壊された。
「見藤さんっ!!! 塩!! 塩、ありましたよね!?」
「………………」
「あら、賑やかね」
事務所の扉が開け放たれるや否や、慌てた東雲と執拗に塩を要求してくる久保。
思わず見藤は顔を顰めた。こうも賑やかな助手達はいらぬ問題ごとを運んできたというのが関の山だ。
もちろん、見藤の目には何も映っていない。だが、久保と東雲の慌てふためく様子やその言葉からして推測できること――。
見藤は手に持っていた蓼の花が描かれた丸湯呑を置くと、霧子に向かい一言。
「霧子さん、頼む」
「仕方ないわね」
そう返事をすると、霧子は久保と東雲の背後に向かい、睨みを利かせた。すると、どうだろう。久保と東雲は後ろを振り返り、ほっとしたような表情を浮かべた。
どうやら、二人を追いかけまわしていたものは、霧子の睨みに恐れ慄き退散したようだ。すると、東雲は霧子に礼を言い、ソファーに座る彼女に抱き着いた。
「わぁああぁん、霧子さん!! ありがとうございます!」
「ふふ、いいのよ。東雲ちゃん。でも、どうしてあんな質の悪い霊に追われていたの?」
霧子の口ぶりから聞くに、どうやら二人を追いかけ回していたのは霊だったようだ。
東雲は役得と言わんばかりに霧子の膝を堪能している。その光景を無表情で見つめる見藤。――二人の時間、更には霧子を取られた男の悋気とは非常に情けないもので、見藤は自戒するかのように首の後ろを乱暴に掻いた。
霧子に先程の状況について尋ねられた東雲。抱き着いていた霧子の腰から体を話すと隣に座り直した。いつの間にか久保も見藤の隣に座っている。
「いやぁ、ここに来る途中で目をつけられたんです」
「それは東雲さんが不用意に話しかけるから……。お守りも置いてきたとか言うし」
「だって!! 困っとるかもしれへんやんか!」
「こら」
久保と東雲の言い合いを制したのは見藤だ。
彼ら二人、そして成仏できていなかった霊との京都を巡ったあの旅を知らない見藤にとっては、二人がなぜそんな言い争いをしているのか理解できていない。
そして、その経験が東雲の意識の変化を促すことになったことを知る由もない。
成仏できない理由。それを解決することができれば、霊は苦しまずにあの世に渡れるかもしれない。そして、その手助けをできるのは霊を視ること叶う自分ができる事なのではないか、と。
なんとも無知で無謀な彼女の行動を止めることができたのは、その時隣にいた久保なのだが――なんとも役立たずである。
成仏できていない霊は人の成れの果てだ。元より怨恨によって悪霊と成った者を除き、例えそれが遺した者達を憂う心優しい未練だとしても、時間が経てば悪霊に転ずる可能性は十分にある。
それは数多の霊障を引き起こし、人への害となる。だからこそ、煙谷のような祓い屋や獄卒たちが死後の世界を管理している。
見藤は今でこそ霊を視ること叶わないのだが、少年の頃に垣間見た人の本質を理解している。そのため、霊に関わっても碌なことはないと十分に理解している。
だからこそ、東雲にはお守りを持ち歩くように言いつけていたのだが、その助言は聞き入れられなかったようだと若干呆れ気味だ。
「まぁ、彼岸の時期はあの世とこの世の距離が近くなるらしい。霊感体質の東雲さんは格好の餌だろうな」
やや脅かすような物言いをする見藤に、ばつが悪いのかさっと視線を逸らす東雲。そんな彼女を庇うように霧子が体を寄せ、見藤に抗議するようにむっとした表情をする。彼女たちに結託されれば、見藤の頭が上がらないのは必然だ。
見藤は誤魔化すように立ち上がり、給湯場の戸棚から新しく銘々皿を取り出した。懐紙を斜めにずらし綺麗に折ると、黒文字楊枝と共に銘々皿に乗せる。その皿を二枚手にし、こちらへと戻ってきた。
ローテーブルに置かれていた開封されていない折を新たに開けてやる。そこには、見藤と霧子が味比べをしていたおはぎが鎮座していた。
「君たちの分もあるぞ」
姿を現した大ぶりなおはぎに目を輝かせて、折を覗き込む二人。あるのは、きな粉と粒あんのおはぎが喧嘩をしないようにそれぞれ二人分。
「いただきます!」
「わぁ、ありがとうございます」
久保と東雲は手を合わせるとおはぎを口に入れ、その美味しさに舌鼓を打つのであった。そして見藤は甲斐甲斐しく、茶を淹れてやろうと再び立ち上がろうとした。
そこでふと目に留まる、空になった折。そこには霧子がまだ食べていない、粒あんのおはぎが残っているはずなのだが。
「猫宮」
「げ!? ばれたか……」
見藤の呆れた表情に、久保と東雲はその視線の先を追う。
そこには、短い前足に粒あんをつけた猫宮の姿があった。その前足を器用に舐め、顔をあらっている。どうやら、残った最後のひとつは猫宮の腹に納まったようだ。
「腹を下しても知らんぞ」
「だァから、俺はただの猫じゃないっつてんだろ」
眉を寄せながら話しかける見藤。ちらりと霧子を見やれば、彼女はきな粉のおはぎを食べ終え満足したのか、茶をのんびり嗜んでいる。猫宮が霧子の分のおはぎを食べた事に関しては不問としたようだ。
猫宮は先程までは居なかったはずだ。どうやら縄張りのパトロールから帰ったようだ。前回、タルトを食べ損なった猫宮に、見藤も厳しく追及することはできなかった。
見藤がそう言い終わった矢先、スマートフォンが鳴った。初期設定そのままの着信音が事務所内に響く。見藤はスマートフォンを手に取り、画面を見やる。機器自体に登録はされていないものの、画面に表示されているのは何やら見覚えのある電話番号だ。
ぽつり、と呟く。
「……面倒事の予感がする」
「にゃァ? どうしたンだ?」
「はぁ……。あいつからだ」
見藤は深く溜め息をつくとソファーから立ち上がり、少し場所を移動する。
猫宮は見藤の背を見送った。時折聞こえて来る溜め息と悪態が、どこぞの二人のやり取りであることを伺わせる。
そうして、窓際で電話をしている見藤を余所に。霧子と見藤が開いていた茶会は、久保と東雲、霧子と猫宮という面子にすっかり様変わりしたのだった。見藤不在の中、楽しげな雰囲気で茶会は進む。
それから数分後。見藤は電話を終えると、ソファーで丸くなりくつろいでいる猫宮の方へ戻ってきた。
「猫宮、ご指名だぞ」
「あァん?」
「煙谷から。彼岸にかこつけて現世に渡ってきた霊を回収してくれだとさ」
見藤の言葉に、猫宮は思わず顔を歪ませる。髭を前足で整えながら、見藤を一瞥する。
一方、久保と東雲はおはぎを食べながらも、何事かと興味津々な顔をしている。
猫宮は見藤の言葉に顔を顰め、ぺっと悪態をつく。
「何で俺が」
「ん? お前、獄卒じゃないのか?」
「それは昔の話だ。今は自由を謳歌するただの猫又だァ」
「そうなのか」
「そうだよ!」
先の神獣白澤の一件だ。煙谷と猫宮は、煙々羅と火車。
見藤はてっきり猫宮は地獄の獄卒として、その役目を全うしているのだと思っていた。しかし、どうやら猫宮は違ったようで、ただ見藤の身を案じて白澤との攻防戦を繰り広げていたのか。それを考えると見藤は、申し訳なさそうに頬を掻いた。
そして、猫宮を納得させるために煙谷から言付かった、交渉材料について口にする。
「何でも礼として、なんとかの酒があるとか言ってたぞ」
用件以外、煙谷の言葉に興味がないためか。その酒の名前を覚えていない見藤は適当に言葉を並べる。
ところが、猫宮には何の酒なのか伝わったようだ。その瞬間、猫宮の耳がぴくぴくと小刻みに動き、心なしか機嫌が良さそうだ。
「それは仕方ない。手伝ってやろう。あの酒はうまい」
そう言って、舌を覗かせた猫宮はどこからどう見ても、酒に釣られたおっさんのそれだった。
実のところ見藤にも、猫宮を借り受ける報酬が提示されたことを知らない。なんとも人を扱うのが上手い煙谷だ。
見藤は軽快に、言葉を掛ける。
「いや、少し動いて痩せてこい」
「余計な世話だっ!!!!」
「いだっ!!」
小太りな猫宮の体から放たれる、強烈な猫パンチを頬に受ける見藤。
――こうして猫宮の派遣が決まった。




