20話目 地獄の沙汰も金次第
白露もそろそろ過ぎ去り、秋の彼岸入りを迎えようとしていた。その頃になると、忙しさに追われるのは見藤の事務所ではなく――――。
「ほんと、毎年、毎年……! 檜山!!」
「はいぃい!?」
「明日の依頼は?」
「えっと、このお寺です。それと――」
地獄の獄卒である、煙々羅。煙谷の事務所であった。
煙谷は事務机に向かいながら、檜山から書類を受け取っている。机上の灰皿に捨て置かれた煙草の残骸が、その忙しさを物語っているかのようだ。
一方、檜山は通常であれば月の始め頃にしか訪れない煙谷の事務所だが、いつも飄々とした彼が仕事に追われている様子に物珍しさを感じ、この時期に足を運んだことが運の尽き。彼女の記者としての仕事そっちのけで、煙谷の仕事を手伝う羽目になったようだ。
それは祓い屋、人間社会での煙谷の顔だ。他の祓い屋や拝み屋、さらには寺の住職でも祓いきれなかった霊を祓って欲しいという依頼が後を絶たない。
一体どうしてお彼岸の時期に、と疑問を抱く檜山だがそれを煙谷に尋ねる時間の余裕はない。
夏の時期にお盆と呼ばれる盂蘭盆会は、あの世で地獄の釜休めの時期とされ、霊たちは現世に一時の里帰りを果たす。しかし、お彼岸は異なった特質を持つ。
そもそも人間が煩悩や迷いを抱えながら、あくせくと生きる現世を「此岸)」としたとき、「彼岸」では大きな煩悩や迷いに苦しめられることなく、永遠に幸せに暮らすことができる、という考えがある。
「彼岸」とは普通の人であれば死後のみ辿り着けるとされる場所だ。
そして、「彼岸」は西。「此岸」は東にあるとされるらしい。年に二回だけ、昼と夜がほぼ同じ時間になる日がある。太陽がほぼ真東から登り、ほぼ真西へ沈む。
それは、三途の川を挟んだ彼岸「あの世」と此岸「この世」の距離が最も近づき、死者と通じやすくなる日なのだ。つまり、お彼岸の中日だ。そうした特質の中でお彼岸では大抵、墓参りをする。
あの世とこの世の距離が最も近い日の、墓参り――。
すると、煙谷はふと手を止めて、口を開く。
「彼岸の時期の墓参りに乗じて人に取り憑き、現世に留まる霊が後を絶たない。もともと霊を呼び寄せやすい人間は、どういう訳か墓場に引き寄せられるからね」
そうして、墓場から霊を連れて帰って来てしまった人は体の違和感や霊障、そう言った物に悩まされた結果、寺や神社へと助けを求めるのだ。よって、祓い屋煙谷の仕事は増える一方で――。
何も言葉を口にしていない檜山の考えを読んだかのように答えた煙谷に、檜山は驚いた表情を見せる。と言ってもその説明には「彼岸に乗じて現世に渡ってくる霊たち」という最大の問題を割愛したものだったのだが、檜山にはその説明は不要だろう。
煙谷は檜山に視線をやると、にやりと笑った。
「十分、顔に出てたよ」
「えぇ!?」
「はい、次の予定は?」
驚く檜山を余所に、煙谷は次の書類を要求する。
煙谷はさらっと説明していたが、実は檜山が担当する週刊誌の心霊特集にはうってつけの内容だ。しかし、そのような考えを抱かせないほど、目の前の仕事は多忙を極めている。
キヨからの依頼や、個人から持ち込まれた依頼。そして、贔屓にしている寺の住職からの依頼、それらを効率よく捌くための段取りに追われている。
目前の予定の摺り合わせを終え、煙谷はおもむろに事務机に置かれた煙草の箱に手を伸ばした。あくせく働くのは性に合わない、そう思い至り一服しようとした。――だが、檜山が煙草の箱を取り上げた。
思わずして煙草を取り上げられた煙谷は、事務机の前に立つ檜山をじとっとした目で見上げた。
「何すんの」
「効率よく行くんですよね? 吸う時間、勿体なくないですか?」
「ははっ、言うねぇ」
煙を好む煙々羅から嗜好品を奪うなど――、怪異と知らぬとは言え檜山の大胆な行動に、煙谷はその表情を変えて面白そうに笑うのだった。
すると、すぐさま元の気だるそうな様子に戻り段取りを進めていく。
「はぁ、ほんと面倒。あくせく働くのはあいつだけでいいよ」
「あぁ、見藤さんですか?」
「正解」
煙谷はそう言うと頬杖をつく。そして、思い出すのは先の夏の出来事。
見藤と共に怪異の異変を追っていた煙谷は、獄卒の特命として神獣白澤の捕縛を命じられていた。この白澤が起こした事件の痕跡はあまりにも広範にわたっており、その後始末に追われるのは必然的であった。
その後始末の途中に、秋の彼岸入りを目前にしたのだ。それはもう煙草に手が伸びる回数も増えるというもの。
(ただでさえ、彼岸の時期はあの世とこの世の距離が近い。それなのに今年はあの神獣の悪戯のせいで、摂理が滅茶苦茶になった)
神獣と言っても神の一端には変わりなく、その影響は凄まじかった。怪異を唆して、人の魂が巡る輪の流れを滅茶苦茶にしたのだ、それを短期間の内に戻すのは些か困難というもの。
そうすれば自ずと獄卒の人員も手薄となり、質の悪い霊や、三途の川を渡る前の霊魂達は隙をついて現世に戻ろうとする。その結果、先の煙谷の説明となる。
人間社会に居着いている煙谷は、こうして依頼を受けるという形でその役目を全うしようとしているのだ。
そして、現世に逃げ出したはいいものの。ただ単に漂っているだけの霊の回収はあの女鬼人――榊木と、その相棒である男の鬼人の二人が担当しているのだが、これだけでは圧倒的に人手が足りない。どうしたものかと煙谷は首を捻る。
そうしている間に、持ち込まれた依頼の段取りが終わったようだ。それを見た檜山はその綿密すぎる予定に、思わず眉を顰めた。
「えぇ……、このスケジュールで大丈夫ですか?」
「多少、無理は利く。さっさと地獄に送り返してしまえば、その分仕事も早く終わる」
余程のことがない限り疲労など蓄積しない丈夫な体を持つ怪異である自分と、人である檜山とでは物の感じ方が異なるのだろう。
強いて言えば、犬や猫などの動物から怪異に転じたようなものや、鬼人に比べて煙の怪異である煙谷は休息をあまり必要としない。
日夜祓い屋としてその腕を振るうには持って来いの体質だろう。にも関わらず、地獄の主の命以外あまり物事に真摯に向き合おうとしないのは、その時々を移ろう煙としての性分なのだろうか。
普段よりのらりくらりとその場の成り行きに身を任せる煙谷には今会話をしている相手が、彼が怪異であることやこの世の死後の摂理など何も事情を知らない檜山であることを失念していたようだ。
正体を知る者が増えれば面倒なことこの上ない、それも怪異や霊をその目に視ること叶わない人間であれば尚更だ。
(しまった、つい)
「やってやりましょうよ!!! これだけ忙しいと、逆に何だか燃えますよ!!」
「そう……」
しかし、煙谷の心配は杞憂に終わった。檜山を見れば、ついでと言わんばかりに特集のネタになるようなものを探している。商魂たくましい限りだ。
そんな檜山は霊感体質とまで言わないのだが、悉く霊を引き付ける体質にある。ところが、本人に霊障など自覚症状は全くなく、ただその体に霊を取り憑かせるのだ。
普通の人であれば体調や精神に異常を来たすというのに、この通りぴんぴんしている。その体質を利用し、煙谷は自身の仕事を少しでも減らそうと名立たる心霊スポットへ彼女を送り出し、霊を連れて帰って来てもらう。そして、獄卒としてその霊を回収するというなんとも怠惰的な仕事をしている。
檜山自身も彼女が勤めている出版社の週刊誌、心霊特集のいいネタになるという理由からその役目を喜んでいる。その豪胆さは称賛に値するだろう。
――今回もいつも通り、彼女にも協力してもらうことになりそうだ。
(檜山が鈍くて助かった)
よく分からないやる気を見せている檜山を見た煙谷は面白そうに、ふっと笑った。そして、人手に関して当てがあることを思い出す。
「ついでに猫の手でも借りるかな」
「……?」
煙谷はそう言うと、事務机に置かれた固定電話に手を伸ばす。
――秋の彼岸が明けるまでの七日間、煙谷の忙しい日々が幕を開けた。
ご覧頂き、ありがとうございました。
最後にブクマ・評価・感想など、いずれでも頂けると喜びます。




