16話目 凶兆、現る
そうして、その日の夜。
見藤は久保が寝ていることを確認。猫宮にも久保から離れないように念押しし、民家を抜け出していた。民家が点在している一定の場所を離れ、あの雑木林へと近付く。
すると、気配を感じて足を止めた。そして、警戒――。このような田舎だ。街灯はほとんどなく、頼りになるのは月明りだけだ。じっと、暗闇を注視するが夜目が利かない。
「っ、!!??」
見藤は突然、頭に強い衝撃を感じた。衝撃を感じるのと同時に意識が朦朧とする――、軽い脳震盪だ。こめかみから頬へ、何か温かいものが流れる感覚。ふらつき、鼻腔を鉄の匂いが掠めた。
見藤は足を踏ん張り、両手を地面に着いた。咄嗟に膝を折ったため、頭から倒れることはなかったが、視野が狭窄している。肩で粗い呼吸を繰り返し、目の前の状況を理解しようと視線を上げるが、上手くいかない。
揺れる視界にようやく映ったのは、杭打ちハンマーをさらに振りかぶった――、人の影だった。
「見藤さん!!??」
(久保くん……?)
名を呼ぶ声が聞こえた。久保だ。彼は寝ていたのではなかったのか、猫宮は言いつけを守らなかったのか――、言いたいことはあるが、意識が朦朧として口が回らない。
◇
久保は走る。見藤が地面にうずくまるのが見えたのだ。咄嗟に、共に駆けて来た猫宮に向かって叫ぶ。
「頼む!」
「言われなくともなァ!!」
すると、猫宮は本来の姿をとったのだ。火車の姿を晒す。――猫宮にとって、久保と見藤に本来の姿を視られることなど、目前の危機に比べれば些細なことなのだろう。見藤は人の手で傷つけられても良い存在ではない、と言わんばかりに猫宮は怒りを露にし、大きな口を開けて牙を剥き出しにする。
猫宮は杭打ちハンマーを振りかぶった人影に襲い掛かった。大きな猫の手が、人影を地面に押し倒す。
「こいつ……!!」
猫宮はウゥウ……、と猫特有の威嚇音で低く唸った。そして、猫宮によって踏みつぶされた人影の素顔が、月明りに照られて露になる。
「こいつは……!?」
猫宮はその顔を見るや否や、驚きで目を見開く。
その人影は昨日、慰霊碑参り代行の際に引き返した男だったのだ。行方不明になる所か、見藤に危害を加えるとは ――猫宮の怒りにより、牙は更に剥き出しになる。制裁を加えようと牙が男に近付いていく。
しかし、それを止めさせたのは、見藤が呟いた微かな声だった。
「猫宮、待て」
その瞬間、ぴたりと猫宮が動きを止めた。
見藤は駆けつけた久保に体を支えられ、立ち上がる。そして、本来の姿をした猫宮を視た。その姿は猫又というよりも、火車であり荘厳。見慣れない猫宮の姿に見藤は一瞬、驚いた顔をする。だが、傷が痛み、すぐにその表情は苦痛に歪んだ。
「……そいつは、違う」
見藤がそう言い終わるや否や ――。周囲に声が響く。
「こんな時間に、こないな所で何をしとんねや!!」
久保が聞き慣れた人物の声が木霊した。久保は助けが来た、という安心感で息を短く吐く。――しかし、見藤の視線は鋭く、その存在を射抜く。
それに気付かない久保は白沢を振り返り、助けを求める。
「し、白沢!! 手をかしてくれ、見藤さんが……!」
「なんや、何されたん!?」
白沢の姿を一目視た見藤は、白沢に近寄ろうとした久保の腕を即座に引いた。それ以上近寄るなと、ぐっと力を込める。久保はなぜ見藤がそういった行動を取るのか理解できず、戸惑いの表情を浮かべている。
しかし、目の前に佇む白沢は、見藤の行動がどういう意味であるのか理解している様子だ。心配を装った表情をしていたが、徐々にその表情は崩れていく――。
「あーあ、やっぱその眼で視られたら一発でバレてしまうか。だから会わんようにしとったに。てか、入り口の侵入者用の罠をいじったのは、おっさんの仕業か。あれ、苦労したんやで?」
残念そうに話す白沢。未だ状況が理解できていない久保を見て、にやけた笑みを絶やさない。
――実のところ、見藤は内心えらく動揺していた。
見藤の目に視える、本来の白沢の姿。それは大昔に姿を消したはずではなかったのか、と。しかし、今まさに目前に害を成す者として存在している。
その動揺を気取られないようにするため、見藤は白沢に尋ね、話題を逸らす。
「どうして、久保くんに……、付き纏っている?」
「んー? ただの興味本位。いやぁ、吉兆の印である俺でも驚くほど運がええ」
白沢の答えに、見藤は眉を顰める。
そして、久保は困惑した表情を浮かべていた。――見藤と白沢。彼らは一体、何の話をしているのか。同じ言葉を話しているはずだが、到底理解が及ばなかった。
すると、白沢はに下卑た笑みを絶やすことなく、言葉を続けた。
「だって、久保。お前なぁ……本当やったらあの日、迷い家に憑り殺されるはずやったんやで?」
――迷い家。
それは、久保が偶発的に遭遇した怪異。久保を襲った怪異だ。『偶発的』そのはずだった。しかし、今の白沢が発した言葉を理解するに、どうやらそれは決められていた事象のようだ。――不意に、久保の背筋を強烈な悪寒が走ったのだった。
そんな久保の様子など、お構いなしとでも言うように白沢は言葉を続ける。
「それを持ち前の運だけで回避しよった。こないおもろいもん、あるかいな。バイト募集の住所、間違えとったやろう?それで、ことが起きる前におっさん所に辿り着くんやもんなぁ」
低い笑い声を噛み殺しながら、ひとり喋り続ける白沢。その身振り手振りは、まるでこちらを警戒していない。己が上位者である、という確固たる自信が見て取れる。
白沢の言葉に、久保ははたと思い出す。
(そうだ、あの時の見藤さんは「バイトを募集した覚えはない」そう言っていた……)
よもや、勘違いで尋ねた見藤の事務所。その行動が、久保の顛末を書き換えたのだ――。
一方の猫宮は、突如として現れた存在に警戒を強めていた。男を取り押さえた手に力が入り、鋭い爪が男に食い込んだようだ。男が小さく呻く声が聞こえた。
その声を聞いた見藤は眉を下げつつも、猫宮を諫める。
「……猫宮、なるべく傷を負わせるな。後々面倒になる」
見藤にそう言われてしまえば従う他ない、と猫宮は不本意だと言わんばかりに鼻を鳴らした。そして、少しだけ男を取り押さえた手の力を緩めたのだった。
しかし、それに便乗するかのように白沢が茶々を入れたのだ。
「そうそう、そいつは悪くないんや。俺がちょっと嫌な夢を見せるよう頼んだんや。現実か夢か、一時的に分からんなっとるだけや」
猫宮は不愉快そうに眉を動かした。そして、鼻で笑うと白沢を見据えて言い放つ。
「はン! どうりで牛臭い訳だ」
「ああん?」
猫宮の言葉に、白沢の表情が豹変した。
「野良猫風情が!」
これでは最早、売り言葉に買い言葉だ。
白沢が怒鳴り声を上げた途端、額にはギョロギョロと左右に動く目玉が勢いよく見開かれたのだ。すると、彼の怒りに呼応するかのように突風が吹き荒れる。
突風を受けた見藤と猫宮。そして、久保は思わず目を瞑ってしまう。次に目を開けた瞬間には、大柄な牛の姿をした怪異――、もしくは妖怪が、怒りに任せこちらに鋭利な角を向けて突進してくるのが見えた。
その大柄な牛の姿は、まさに上位者。角は闘牛のように立派で、肌は薄い梔子色をしており、第三の眼を開眼させている。
流石の猫宮でも足元に取り押さえている男を放り、巻き添えを喰らわないよう投げ捨てた。――だが、これでは衝突の衝撃を受けるには間に合わない。猫宮の後ろには依然ふらついている見藤と、それを支える久保がいる。どうしたものか、と考える時間はないようだ。思わず、猫宮は大きく舌打ちをした。
――突如、忌々しい呑気な声が見藤の耳に届く。
「お、本当に釣れてるねぇ」
鈍い空気を含んだ音がして、辺り一帯の視界を遮る煙。その煙に押され、牛の怪異は身を翻し、距離を取った。そして、その牛の怪異は瞬く間に白沢の姿へと戻る。
煙が晴れると、目の前に佇む人影を目にした見藤は力なく名を呼んだ。
「煙谷……」
「なになに、珍しくやられてるねぇ。いや、僕が知る限り二度目かな?」
「はっ、こいつは……」
皮肉じみた煙谷の言葉に、見藤は軽く笑みを溢す。煙となって目の前に現れた煙谷に、見藤はさして驚かなかった。
それは先の夏のこと、廃旅館火災からの救出。見藤の中で、合点が行ったのだ。そして、思い出す。
その後の出来事だ。煙谷から吹きかけられた、煙草の煙に激怒した霧子の怒りの意味。人に友好的な怪異、人の中で紛れて暮らす怪異と言うのは見分けがつかないものだと、見藤は笑った。
――目の前に敵意を剥き出しにする牛の怪異は、一目視て正体が分かったというのに。
煙となって現れた煙谷を見るや否や。白沢は眉を顰め、嫌悪感を孕んだ声音で呟く。
「なんで、地獄の番人共がこうも揃うんや」
「何でって。思い当たることは、いくつもあるはずだよ。神獣白澤」
白沢の問いに、飄々と答える煙谷の口から告げられた、彼の正体。
――神獣、それは神の一端。人が招いた愚行により、悉く姿を消していったとされる吉兆の者たち。
現代ではその姿を目にすること叶わず。伝承にのみ、その姿を記す。だが、この神獣は違ったようだ。
神獣白澤。そう呼ばれた白沢と、地獄の番人と呼ばれた煙谷と猫宮。それは役者が揃ったと言わんばかりの光景だ。煙谷は腕を組み、白沢の前に立ちはだかる。
◇
久保は依然、蚊帳の外だ。
――友人だと思っていた白沢が怪異だった。それを、どう受け止めていいのか分からない。
目の前の光景は、あからさまに敵対している。それは成す術も、口を挟むことも許されない。そう言われているような気がして、唇を噛んだ。
見藤は自力で立ち上がろうと膝に力を入れ、久保の心情を慮るように背中を軽く叩いた。その真意に気付いた久保は、少しだけ安堵の表情を浮かべながら頷く。そして、白沢へと視線を向けた。
見藤は立ち上がると、揺れる視界をなんとか紛らわそうと頭を押さえる。そして、白澤と呼ばれた怪異をしっかりと見据え、質問の続きを口にしたのだった。
「で、怪異を唆していたのは、お前か」
「んー、せやけど。別に俺は悪い事はしとらんやん」
「……、なぜ摂理を引っ搔き回す?」
「うーん、妖怪の類は数を減らす一方。怪異は認知に存在を左右され自由に生きられへん。人は進歩の歩みを止めてしもうた。だから、俺がそれぞれの進歩を促しただけやんか」
神獣白澤というのは、なかなかにお喋り好きのようだ。見藤は言葉を続ける。
「で、かの崇高な神獣白澤が――、何故、人間を薬にしようと思った?」
「なんや、質問責めやんか。まぁ、……ええやろう」
見藤の問いに頷いた白沢は、「白沢」と呼ばれている人の姿から、今度は梔子色をした牛の姿。そして、今度は獅子の姿。次には、また別の青年の姿、最後にそのすべてが入り混じったような異形へと姿を変えた。
まるでテレビのチャンネルを無造作に変えているような――。これでは、自身がとるべき姿が定まっていないとも見て取れる。――いや、最早、本来の姿を忘れてしまっているようだ。
「俺をこんな姿にしたのは人間だろう。その治療だ」
そう言い放った白沢の声音は、今までとは明らかに異なっていた。口調も違う。それは酷く怨嗟が籠っていた。
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