16話目 凶兆、現る ~ 調査遂行 ~
こうして、慰霊碑参り代行は終わった。不穏な雰囲気を肌で感じてしまった久保は体調が優れないのか、与えられた客間で横になり休んでいる。
見藤は部屋の隅で久保の様子を見つつ、調査に動くのなら今日の夜中かと考えていた。
そして、どう煙谷と合流したものかと、スマートフォンの画面を眺める。すると、一言「なんとかする」とだけ返信が来たのだった。
◇
――見藤と煙谷が合流したのは、皆が寝静まった夜中だった。
暗闇に紛れ込む見藤と煙谷。特に煙谷に至っては、身に纏っている物が手首の数珠以外、黒だ。闇夜を散策するにはうってつけだろう。
不意に目の前に現れた煙谷に、見藤は目を丸くしたのだった。
「なんとかってお前……、どうやってここまで来た」
「秘密」
悪戯な調子で答えた煙谷に、見藤は溜め息をついた。
見藤は持参した懐中電灯を点けると、煙谷と共に民家からかなり離れた雑木林に足を踏み入れる。見藤の目前には呪いにより、蝶を模った紙が空を舞い、二人を先導するように飛んでいく。
見藤と煙谷は鬱蒼とした林を進む。見藤の身のこなしは軽やかで、器用に枝や葉を避けている。
煙谷は見藤が避けた動線を追うだけで、枝に服が引っかかることも、葉に肌を擦ることもない。煙谷は珍しく素直に感心していた。
そうしてしばらく、蝶の後を追い足を進める。すると、竹林に隠されるように長年放置されているであろう小屋を見つけた。
小屋を目にした見藤は足を止めた。懐中電灯の明かりが小屋の外観を照らす。小屋の屋根は崩れ落ちそうなほど劣化が激しく、引き戸は外れている。見藤はぽつりと言葉を溢す。
「……やっぱり、な」
「あぁ、大体こういうのは隠れ家的な場所があるっていうのがセオリーだよねぇ。まぁ、あからさまのような気もするけど」
その呟きに煙谷が頷き、率直な意見を口にした。
見藤が懐中電灯で小屋の中を照らし出す。放置されていた小屋、にしては人が出入りできそうな動線が確保されているのは一目瞭然で、明らかに不自然だ。
そして、色の違う床板。そこだけ板の状態が違う。――大方の目星は付いたようだ。見藤は力強く頷くと、首を振った。
「今日はここまでだな、流石に暗すぎて何も見えん」
「そうだな」
迂闊に潜り込みすぎるのも危険だ、ということは二人も理解している。
調査再開は明日の日中だ。幸いなことに明日は予備日のため実質休み、田舎のプレ農業体験として企画を準備しているそうだ。それには引率の同行は不要らしく、住民からの監視の目も薄まるだろう。
そうして、二人は元来た道を引き返し、雑木林を抜けた先で別れた。
* * *
そして、翌朝。いつものように早朝に目が覚めた見藤と、時間きっかりに起床した久保は明日の帰宅に向けて簡単に荷物をまとめておく。身支度を整え、老夫婦と挨拶を交わし、朝食をご馳走になった。
その食卓に息子は不在だったため久保が尋ねると、息子はまだ動けないらしい。お大事に、と声だけをかけて食事を済ませた。
「今日は別行動だ。無茶はするなよ」
「はい、見藤さんも」
互いに声を掛け、二人は別れたのだった。
◇
見藤は民家を出立すると、昨晩発見した小屋へ赴いていた。そこには既に煙谷の姿があり、暇そうに煙草をふかしていた。
すると、煙谷は見藤に気付くと、おもむろに眉を寄せた。
「それ、どこから持ってきたんだよ」
「民家から拝借」
見藤の手にはバールが握られていた。流石の煙谷も二度見している。
「あった方が便利だろ?」とでも言うように不敵に笑う見藤に、今度は煙谷が呆れたように首を振った。見藤が持つと最早、立派な武器だ。余計なことは言うまい、と煙谷は再び煙草をふかすのであった。
そうして、合流した二人は小屋の中に足を踏み入れた。――床板が少しずれている。二人は昨日見た位置から床板がずれていることに、違和感を覚えずにはいられない。互いに顔を見合わせた。
見藤は床板がずれないか試すが、動かない。すると、突然。見藤はバールを振り上げ ――――。
「うわっ、危ないだろ! ぶっ壊すなら何か一言くらい言え!!」
「ん?」
「ほんと、君って奴は……!」
床板をバールで破壊したのだ。
見藤の突然の行動に慌てる煙谷。だが、見藤は適当に返事をすると、散らばっている木片を足でどかし始めた。
床に木片が散らばり、砂煙が上がる。砂煙が落ち着くと、そこには地下に繋がる石階段が現れた。日の光があまり差し込まず、下までは見えない。
しかし、その階段には引きずられたような、赤褐色の擦れたような痕跡が見て取れた。どうやらかなり昔のものなのだろうか、染み付いているようだ。
「うわ、最悪」
煙谷の悪態に見藤も同調し、眉をしかめたのであった。
石階段を少し下ると、そこにはまだ新しい血痕が生々しく残されていたのだ。その状況証拠だけで、十分に何が起こったのか察することができる。――檜山の勘は正しかったのかもしれない。
その光景を目にした見藤はぼそりと呟く。
「今回ばかりは怪異の仕業であることを願うな……」
「これを人がやったというなら、世も末だよ」
珍しく二人の意見が合致した。
二人がさらに石階段を下ると――、やはりというべきか。そこには屠殺場を思い起こさせるような部屋が一つ、設けられていた。最後の階段を下り終えると、肌を刺すように冷たい空気は異変を感じさせるには十分だった。
煙谷がさらに奥へと足を進めようとしたが、見藤はそれを止めた。止められた煙谷は、眉を寄せ抗議する。
「なに?」
「待てって。これ」
見藤はそう言うと、床を指した。煙谷があと一歩踏み出すと、その足で踏んでしまう位置にある奇妙な文字列。これは呪いの痕跡だろう。
見藤は煙谷に見せつけるかのように足で床を数回、軽く踏む。そして、悪戯な表情をしながら、口を開いた。
「踏むなよ」
「踏んだらどうなる?」
「さぁ?」
「お前……」
相変わらずのやり取りを繰り広げている二人。だが、見藤の中では疑問が渦巻いていた。数多の呪いの知識を持つ見藤でさえ、足元に描かれた文字列は目にしたことがなかったのだ。
見藤のように古くから存在する牛鬼という妖怪から教えられた特殊な例は除くが、人が行う呪いに使われる文字というのはある程度共通だろう。しかし、足元の文字列は牛鬼の教えの中にも在らず、人が使用する文字という訳でもなく、この文字はそのどちらでもなかったのだ。
そうなれば――、考えられるのは高位の存在。
「……あぶり出すか」
そう呟くと見藤はポケットから書くものを取り出し、がりがりと床の文字列に何やら付け足している。
見藤は経験上、知っている。呪いを扱う術者というのは探求心、好奇心、虚栄心が非常に強い。構えたその文字列や紋様に、第三者が手を加える、となると凄まじく怒りを抱き、何かしらの行動を起こすだろう、という目算だ。――尻尾を掴む魂胆である。
見藤が作業をしている間、煙谷は周囲を探索することにした。見れば見るほど、気分が悪くなっていく光景がそこに広がっていた。
天井から吊り下げられているのは皮膚だ、無論、何のとは言わないでおいた方がいいだろう。そして、壁に沿うように置かれた机の上には蒸留される前の酸化した血液のようなもの、何かを乾燥させて粉末にしたようなもの。
そして、あれは肝臓だ。細胞の再生を目的としているのか、培養液に浸され小刻みに動いている。
――見ていくとキリがない。流石の煙谷も異様な光景に辟易とし、大きく溜め息をついていた。
◇
そうして、地下室の探索を終えた二人。小屋の前で佇み、会話を交わしていた。
煙谷はどこか遠い目をしながら煙草をふかしている。煙を吐き出すと、そっと口を開いた。
「結局、何なのか分からず終いだったなぁ。気分が悪くなる物を見ただけで終わってしまった」
「怪異であれば……高位なナニか、だろうな。或いは――、げほっ」
見藤は少し咳き込みながらも、煙谷を諫めることはしなかった。見藤には思い当たる存在があったのだが、なにしろ不確定要素だと、考えを払拭するように首を横に振った。――だが、何が起こっているのか分からない。それならば、最悪の事態を考え、準備するだけだ。そう、見藤は力強く頷いた。
「まぁ、一時撤収だ。あの細工に引っかかってくれれば、最悪……今晩が勝負だ」
「期待はしないでおくよ」
煙谷はいつもの調子で悪戯な仕草で手を振りながら、煙草を吸っていた。




