3話目 東雲あかりの探しモノ
日常は変わりなく訪れる。しかし、その裏で久保は迷い家に誘われる、常世に渡る口裂け女を見送る、という奇妙な経験をした。
理解の範疇を超えた出来事で疲弊した頭と体を引きずり、今日も大学へ向かうのだった。
そんな久保を友人が出迎える。久保は友人の変わらぬ様子に安堵しつつ、講義のある教室へ向かった。
すると、友人が不思議そうに尋ねる。
「それにしても……。この前、なんで急に帰ったんや?」
「いや、そんなつもりは……」
どうやら、友人からすれば、迷い家に誘われた久保はそう見えたらしい。
久保は気まずさから頬を掻くと、視線の先に捉えた物があった。疑問に思い、床に落ちていた物を拾う。
「なんや? 落し物?」
「そうみたいだけど……。お守りだ」
久保が拾ったのは古びたお守りだった。怪奇な体験をした矢先、お守りを拾うとは何とも意味深だ。だが、次に久保の脳裏に浮かぶのは、お守りの持ち主のことだった。
「持ち主に返してあげた方がいいよな」
辺りを見渡す。だが、構内は人の往来が多く、持ち主を探すのは困難だろう。どうしたものかと首を捻る久保に、友人が声を掛けた。
「えぇ〜。なんかそのお守り、気味悪いわ……。妙な気配っちゅうか――」
途端、友人はそこで言葉を切った。久保はどうしたのかと、彼を見やる。
すると、視線の先にいたのは――二人を見つめる、明るい髪色をした女学生だった。彼女は気まずそうに口を開く。どうやら、先程の会話を聞いていたようだ。
「あの、すみません。そのお守り……私のなんです。落としたみたいで」
「よかった。持ち主が見つかって」
「ありがとうございました」
互いにぎこちなくではあるものの、軽く言葉を交わし、久保は彼女にお守りを手渡す。お守りを受け取った彼女は、しきりに久保を気に掛ける様子で去って行った。
そんな彼女の様子と偶然、拾ったお守り。久保の中にひとつの疑問が湧き上がる。
(……まさか、視える人だったのかな)
それは、奇絶怪絶な体験をした久保だからこそ感じたことだ。
* * *
久保が出会った女学生――、東雲あかりは霊感体質だった。その言葉通り、幼い頃から幽霊といった、人には視えないモノが視えた。
彼女は焦燥感に駆られながら、大学構内を闊歩する。手にしているのは、彼らに拾ってもらった古びたお守り。しかし、東雲の胸中は怒りに荒れていた。
(人の大事なお守りを、気味が悪いって!? なんて失礼な!!)
はたと立ち止まり、手にしていたお守りをじっと見つめた。
このお守りは幼い頃、祖父から貰ったものだ。それに加えて、初恋の大切な思い出も詰まっている。
東雲は遠い記憶に目を細めた――。
◇
あれはいつのことだったか。まだ幼かった東雲は、お守りをなくしたことがあった。
それから、黒い靄のようなものが話しかけてくるようになったのだ。それらが話す言葉は理解できない、否。理解してはいけないと思い、解らない振りをしていた。
祖父の「決して会話するな」という教えを守り、東雲は無視を続けた。だが、ある日、ついに恐怖が限界に達したのだ。
黒い靄が人の形に変わり、おどろおどろしい顔で迫ってきたのだ。東雲は小さな悲鳴を上げ、動けなくなった。伸ばされた手が目前に迫ったそのとき――。
「お嬢ちゃん、このお守りは君の?」
穏やかな声が響き、目の前に青年がしゃがんでいた。差し出されたお守りは、祖父から贈られた見慣れたもの。
東雲はこくこくと頷き、震える手で受け取った。ふと気付くと、黒い靄は跡形もなく消えていた。――だが、青年にはその気配すら見えていないようだった。
「そうか、よかった。じゃあね」
青年は優しげな笑みを残し、立ち去る。その背中を、東雲はずっと見つめていた。彼の心地よい声と温かな目元が、幼い心に深く刻まれた。お礼を言えなかった後悔が、胸に小さな棘となって残ったのだ。
(また会えたら、ちゃんとお礼言わんと……)
それ以来、黒い靄は現れなくなった。東雲は神社の拝殿で祈りを捧げ、青年との再会を願うのが日課になった。やがて、その記憶は初恋という甘やかな病に変わっていった。
◇
そうして、現在。大学進学と共に上京した東雲は、密かな願いを抱いている。
「いつの日か、あのお兄さんに会えたらええなぁ……なんて。それにしても、最近はお守りを頻繁に無くしてしまう……。どうしたんやろう……」
呟きながら、東雲はお守りを握りしめた。
その瞬間。視界の端で何か黒いものが揺れたような気がして、彼女は息を呑む。恐怖心を払拭するかのように首を横に振る。
東雲は日常を装うかのように歩き始めたのだった。
* * *
偶然の出会い。しかし、久保と東雲。二人が再会するのに時間は掛からなった。
久保は驚きのあまり、言葉を失った。落ちているのは、あのお守りだ。ふと、視線を上げれば、既視感に見舞われる光景。
「げっ――」
素直な感情が口から漏れ出た彼女は――。
「私、東雲と言います。一応、自己紹介」
「どうも、久保です……」
「毎度、お守りを拾ってもろうて――ありがとう」
棘のある言い方だ。東雲の久保を見る目に、疑いの色が混じっていた。
(これは……あらぬ誤解を受けている……!)
慌てた久保は、この再会は偶然であることを告げる。
しかし、不思議なことに、この偶然は繰り返される。すると、次第に久保と東雲は友人関係となっていった――。
* * *
春を終え、緑が豊かに生い茂り始める頃。ある日の事務所。
見藤は訝しんだ様子で、言葉を反芻した。
「お守りが頻繁になくなる?」
「そうみたいなんです。友達の話のなんですけど……。いつも鞄に着けてあるのに、気付かない間になくなっているらしくて」
「ふーん」
「そのお守りを何度も僕が拾うんです。だから、ひょっとして怪異の仕業なんじゃないかって思って……」
「ほーん」
久保は東雲から聞いた話を見藤に相談するが、なんとも歯切れの悪い返事ばかりだ。
見藤は眼鏡を掛けて、新聞を読んでいた。文字が見えにくいのだろう、眉間に皺を寄せている。そんな態度に、久保は苛つき始めた。眉間の皺を指で伸ばしてやろうかと、心の内で思う。
「見藤さん――」
「うちは慈善事業でも、なんでもないからな」
久保が言い切る前に、見藤が言葉を遮った。
見藤の言葉は至極当然のことで、久保は口を噤む他ない。彼は「俺の仕事は人助けじゃない」と言っていた。人助けなどするつもりは毛頭なく、それは現実主義で面倒事を嫌う見藤らしい言葉だった。
見藤は視線を久保へ向けると、小さく溜め息をつきながら口を開く。
「久保くんが友達思いなことは知っているが、それとこれと話は別だな」
「そこを何とか、お願いしますよ! このままじゃ、僕がストーカーに間違われて――」
「相変わらず……、不憫だな」
「あっ! 他人事だと思って!」
ぽつりと呟かれた見藤の言葉に、久保は大きく声を上げた。すると、そこへ掛けられる声。
「いいじゃない、相談に乗ってあげれば? 減るものでもないんだから」
「……」
見藤と久保との間に、霧子が割って入ったのだ。
黙っておいてくれ、と言わんばかりの見藤の表情を眺めながら、楽しそうに笑う霧子。久保は心の内に、ガッツポーズを取った。
(霧子さんが味方してくれれば、心強い! 見藤さん、霧子さんにはノーって言わないからな)
最近、久保は気付いていた。霧子の介入は意見が分かれたときの鶴の一声だ。
見藤は霧子にめっぽう弱かった。昔馴染みであるが故なのか、はたまた見藤が彼女に惚れている弱みなのだろうか。この二人の関係性もいい加減はっきりして欲しいところだ、と久保は大きな溜め息をつく。
見藤は読みかけの新聞にさらに顔を近付けると、すっぽり隠れてしまった。その仕草が見藤の体格と風貌に似合わず、思わず久保は笑ってしまった。すると、足元にいた猫宮が突然に口を開く。
「本人が雑な扱いをしない限り、お守りなんて物はそう持ち主から離れないぞ。そいつはお守りを大事にしているんだろ?」
「そうなんだよ、又八」
猫宮の援護射撃もあってか、深い溜め息をついた見藤。彼は隠れた新聞から少し顔を覗かせて――。
「まぁ……、一度うちへ遊びに来るといい」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、内容によっちゃあバイト代から依頼料天引きだぞ」
「えぇっ!?」
これだけは譲れないと言わんばかりに、見藤は語気を強めてそう言った。その言葉を聞いた久保は、驚きの声を上げる。
すると、またしても霧子が口を開く。彼女は困ったように眉を下げて、口を尖らせた。
「まぁ、ちょっと酷いのね」
「霧子さん、ちょっと黙っててくれ……頼むから」
霧子のお小言を凌ぐ術を、見藤は持ち合わせていないようだ。