15話目 動き出す、凶兆
久保と東雲による、見藤に休息を取らせるための奔走は功を奏したようである。見藤の顔色は少しだけ良くなっており、どこか機嫌も良さそうだ。そんな彼は、今日も事務机に向かっている。
その様子を目にした東雲は、したり顔をしながら口を開いた。
「はぁーーん、見藤さん。霧子さんとデートでもしたんかな?」
「東雲はさ、俗っぽいこと好きだよね」
「そりゃ、好きな人と好きな人がイチャイチャしてたら、こっちも嬉しいやろう!」
すると、どこからともなく現れた霧子が抗議の声を上げた。
「イチャイチャって……! そ、そんなことないわよ……!」
「照れることはないぜ、姐さん」
どうやら、霧子は先程の会話を聞いていたようだ。拗ねた表情をしながら、霧子は猫宮に向かって睨みを利かせている。しかし、こともなげな様子で猫宮はケタケタと笑っていた。
するとそこへ、珍客が現れる――。
「やぁ」
煙谷だった。そして、彼の隣にはいつぞやの女記者、檜山の姿があった。
煙谷の呑気な声が事務所内に響いたかと思えば、見藤の鋭い視線が彼を射抜いた。
前回、煙谷が事務所を訪ねて来た時は、付喪神である鳴釜をこの事務所に捨て置かれ、迷惑千万被ったのだ。そして、鳴釜をキヨに引き取ってもらうと今度はその引き取り料だと言わんばかりに、後日見藤は見返りを要求されたのだ。その元凶である煙谷を見藤が許すはずもなく――。
「何の用だ?」
「うわぁ、その目。止めた方がいいよ?」
類を見ない見藤の苛つきに流石の煙谷も「やだやだ」と言葉を漏らし、わざとらしく手を振る。
そんな二人のやり取りを困ったように見つめる久保と東雲だ。そして、煙谷に連れられて事務所を訪れた檜山は、初めて目にする見藤と煙谷の犬猿の仲に呆然としている。
突然の来客に眉を寄せたのは、見藤だけではなかった。東雲は眉をぴくりと動かすと、すっくと立ちあがり、久保の隣へと移動する。そうして、小さな声で耳打ちしたのだった。
「押しかけ女記者……、再びやな」
「東雲さん、あの人のこと嫌いだろ?」
二人のやりとりを眺めていた霧子は、思うところがあったのか――、気配を消して、見藤の元に寄り添い立った。それは、彼女の怪異らしい特質だろう。
突然の霧子の行動に見藤は驚いた様子だったが、彼女の表情を目にすると、険しかった表情を柔和なものに変えたのだった。
そんな見藤と霧子のやり取りを眺めていた東雲は、ここぞと言わんばかりに浮足立っている。
「霧子さん、逆に見せつけるタイプ……?」
「いや、霧子さんの姿はあの人には視えてないみたいだよ……? 東雲、やめな?」
「ハイ……」
珍しく久保に咎められた東雲は意気消沈し、大人しくなっていた。
そんな会話をしながらも久保は、檜山が茶封筒を抱えていることに気付く。
――あれは、見藤への依頼書なのか。はたまた、怪異事件に関する資料なのだろうか、と久保の好奇心は沸き上がり、観察眼は鋭い。
そんな助手二人のやりとりなど構いなく、見藤と煙谷のいつものやりとりは続く。
「まぁまぁ、前回のことは水に流してさ」
「その台詞をお前が言うな」
煙谷は悪びれる様子もなく、見藤の元に足を進めて行く。それに伴い、見藤も席を立った。彼の背後には、怪異として気配を消した霧子がそっと佇んでいる。
――霧子は、無意識のうちに見藤が女性を避ける傾向にある事を知っている。無意識であるが故に、その心労による疲労感は大きい。こうして、見藤に寄り添い立つことで、少しでも彼の傍に在ろうとする霧子の健気な一面だだろう。
無論、煙谷からすれば霧子の行動は理解できず、怪訝な顔を晒していた。そんな煙谷の様子に睨みを利かせる見藤は、席を立ったはいいものの。ソファーは使用中であるため、机に少しだけ腰かけ、腕を組んだ。
すると、この場でいいと言わんばかりに頷いた煙谷は檜山に声をかける。
「檜山、渡してやって」
煙谷に促され、檜山は抱えていた茶封筒を開封する。中には、一部分が黒塗りにされた書類が入っていた。そして、そっと見藤に手渡す。
その書類を受け取った見藤は無言で目を通していく。度々、眉間に皺を寄せながら、目線が徐々に下げられる。そして、大方見終わったのだろうか、書類から顔を上げるや否や――――。
「久保くん、東雲さん。今日はもう帰りなさい。これから少し、こいつと仕事の話がある。……すまんな」
「いえ……分かり、ました」
見藤の言葉を受け、久保が戸惑いながらも頷いた。
それは二人にとって、ある種の拒絶のようにも捉えられたが、久保と東雲は見藤の指示に従う他なかった。それ程までに、見藤の雰囲気が普段と違っていたのだ。
久保が東雲を見やると、彼女も「今日はもう帰ろう」と言わんばかりに頷いている。二人は簡単に荷物をまとめると、皆に簡単な挨拶をして事務所を後にした。
久保と東雲が退室し、事務所の扉が完全に閉じたことを見藤は確認する。すると、煙谷はこの時を待っていたかのように、もったいぶった口調で話し始めた。
「と、まぁ……和やかな話はここまでだね」
見藤は事務机にもたれて話を聞くようだ、書類を片手に持ちながらも腕組みをし、次の言葉を待っている。それに倣うかのようにソファーの上で寝ころんでいた猫宮も事務机の上に移動し、聞き耳を立てている。
そして、今度は檜山が口を開く。
「とある田舎で、過去に訪れた人が不慮の事故で死亡した事件がありました。そして最近になり、その田舎で行方不明者多数。そんな出来事が重なったらしいんですよ。それは日雇い労働者だったんですが……職業不定者、住所不定者ばかりで。要は、いなくなっても誰も怪しまない人達、です」
神妙な面持ちで言葉を紡ぐ檜山。
心霊特集を取材する檜山にとって、何かネタになるようだと記者の勘が働いたのだろう。それを調べていくうちに、意外なモノを発見したようだ。
煙谷がその先の言葉を引き継いだ。
「その田舎の記録を、婆さんに情報照会をしてみたんだけど――」
「キヨさんに?」
「そう、そしたら面白い記録があった」
煙谷が言うことには、その田舎がまだ村だった時代。昔、現代と司法が異なる時代にまで遡る――。




