14話目 束の間の休息と助手たちの奔走④
昼食を終えた久保と東雲。そこから先は、しらみ潰しだった。神社と言う神社を通り過ぎたに違いない。流石の二人も疲労の色が隠せず、ペダルを漕ぐ足が重い。――夕刻が迫っていた。
すると突然、女幽霊がぴくりと、反応した。しきりに東雲の服を引っ張っている。傍から見れば立派なポルターガイストだ。
そんな彼女の様子に、東雲は振り返り声を掛ける。
「ん? ここ?」
「ここってキヨさんのご先祖様と所縁がある神社だったような……」
久保の呟きと共に、二人は自転車を停める。
すると、女の霊は神社の境内ではなく、その参道の脇にある場所へとふらふらと向かっていった。二人が後をついて行くと、そこには井戸があった。それは近年発見されたと言われている、何やら逸話が残る井戸ではなかったか――、と久保は首を捻った。
すると、女の霊は嬉しそうな顔を見せたのだ。どうやらここが、彼女の約束の地らしい。どこからともなく、響く声。
『友達に会いたかっただけなの』
「そっか」
『ありがとう』
「会えるとええなぁ」
そう答えた東雲にも、笑顔が溢れていた。これで未練は果たされたのだろうか、彼女の最後の言葉だけは東雲に聞き取れた。
女の霊は井戸を振り返る。すると、どうだろう。久保と東雲の目に映るのは、井戸の蓋が吹き飛ぶさま。
そして、井戸から出てきたのは――――。
「え、鬼……?」
鬼人だった。面から覗く額から生えた角が、鬼であることを物語っている。久保は小さな声で呟いた。
久保と東雲は目の前で何が起きているのか、理解できていない。
同時に、二人の背後で様子を窺っていた猫宮は驚いていた。まさか現世で鬼人と会うとは思ってもみなかったのだ。その鬼人は猫宮のかつての同僚、兼煙谷の同僚である獄卒の女鬼人だったのだ。その姿を目にした猫宮は「ははーん。煙谷の奴、謀ったな」と溜め息をつくのだった。
獄卒は役目上、霊と成る魂に未練があろうがなかろうが。現世に留まる魂を悪霊とさせないため、強制的に回収しなければならない。そして、待ち受けるのは長い裁判と罪を償うための責め苦だ。
しかし、人に取り憑いた霊であれば、行くあてもなく彷徨う霊とは少し異なるだろう。猶予は残されているのだ。
それがまさか、元同僚の獄卒と所縁のある霊だとは思わず、猫宮は煙谷の計略にしたり顔をする。
鬼と一括りに言えど、元から「鬼」であった者。人が強い怨念を抱き、鬼へと転じた者がいると言われている。この女鬼人は、鬼となってまで死後の友人を迎えることを望んだのか、出会った時より既に鬼であったのか想像の域はでない。
猫宮は人知れず、欠伸をする。
(身内には甘い所は相変わらずだなァ)
見藤と煙谷。馬の合わない二人であるが、そういう所が似ていると猫宮は低く笑う。
女鬼人は女の霊の姿を見るや否や、彼女目掛けて走り出す。そして、思いの丈を露にするように、憎女の面を外して素顔を晒す。そして――、女の霊に抱きついた。
女鬼人の口から出たのは感動の再会の言葉――、ではなく。
「お前さんは! どこほっつき歩いてたんだ! 私が迎えに行くと言っただろう!?」
『うぅ、ごめんね。入れ違いになってそのまま迷子に……』
「馬鹿たれ! もう、さっさと逝くよ……」
『うん、ずっと探してくれてたんだね』
「……まぁね」
そんなやり取りをした後、女鬼人ははたと何かに気付いたようだ。不意に久保と東雲を振り返る。
「お前たち……見藤の所の。助かった、恩に着るよ」
女鬼人の口から出た「見藤」の名。まさかここで、見藤の名前を聞くとは思ってもみなかった久保は目を見開く。
そうして、女鬼人と女の霊は瞬く間に井戸の中へと消えてしまった。
久保と東雲は放心状態になりながら――。
「まぁ、不思議なこともあんねんなぁ……」
「そだね」
二人はなんとも呑気な感想を述べていた。世の中、説明のつかない事象などありふれている。
◇
そうして、依頼を終えた久保と東雲は、再びキヨの店を訪れていた。そこには畳座敷に座り、お茶を飲む煙谷の姿があった。檜山の姿は見当たらない。
久保と東雲の姿を目にした煙谷は呑気に声を掛ける。
「あの霊は成仏したみたいだね」
「いやぁ、成仏したというか、なんというか……」
「あ、獄卒に会った?」
「獄卒……?……その人です多分」
疲労から頭が回っていない久保だ。いつもなら、その持ち前の好奇心で、獄卒――、女鬼人と煙谷がどういった関係なのか追及したに違いない。だが、久保も東雲も自転車で長時間に渡り移動した分、足も体力も限界を向かえていたのだ。
久保はよたよたと煙谷の所まで歩いて行くと、蚊の鳴くような声で呟いた。
「流石に疲れた……」
「私も疲労困憊」
久保の言葉に東雲も同調する。すると、そこへもう一つの声が掛けられる。
「お疲れ様。二人ともいい仕事をしたね」
項垂れる久保と東雲に労いの言葉をかけるキヨ。そして、彼女は淹れたてのお茶を差し出す。――ぼそっと、「これでご先祖様も成仏できただろうね」と嬉しそうに呟いたのを聞いたのは煙谷だけだった。
小野の一族は地獄と所縁のある者たちだ。鬼と友人となった小野の先祖も、いつかの時代はいたことだろう。奇しくも、その友情が仇となり、人から討たれるこにとなったとしても――、その縁は断ち切れることなく後世に受け継がれ、小野の一族を守護する鬼となる。
稀有な一族の一幕に遭遇した久保。だが、本人にその自覚はなく、好奇心とは無縁の善意だった。
「お茶、ありがとうございます」
久保はキヨに礼を述べる。すると、キヨから微笑みを返され――、重大な一言を耳にする。
「あかりちゃんはともかく、お前さんは泊まる所はあるのかい?」
「あっ!」
久保はすっかり忘れていた。東雲は実家に帰り、夜を明かすことが可能だろう。唐突に決まった弾丸旅に、宿泊する場所などすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
久保は乾いた笑いと共に、頬を掻く。
「あはは……、これからどこか探します」
「まぁ、うちに一部屋なら空きがあるんだけどねぇ。泊まっていくかい?」
「え、いいんですか?」
それは久保からしてみれば願ってもみない申し出だ。――ところが、相手は見藤でも頭が上がらない、やり手のキヨである。そう易々とタダの施しを行うほど商売人はできていない。しかし、久保がそれを知る術はない。
キヨは考える素振りを見せながら、口を開く。
「あの子が使っていた部屋だから、少しは綺麗でしょう。綺麗好きだったからねぇ」
「あの子?」
「お前さんの雇い主だよ」
「えっ、見藤さん!?」
驚きのあまり、思わず叫んだ名前。久保は後悔した。そう、隣には東雲がいるのだ。
何故、キヨの自宅に見藤が使用していたという部屋が残されているのか、彼女とどういう関りがあったのか、など気になる点は山ほどあるが、それを考える余裕はなかった。
この後、久保と東雲、どちらが泊めてもらうのか。ひと悶着もふた悶着も起こすことになるのだが、煙谷は我関せずと茶を啜っていた。
こうして見藤不在の、久保と東雲ドタバタ心霊お悩み相談は幕を閉じるのだった。
翌日。足の筋肉痛と戦いながら、根性でお土産屋を巡る二人に猫宮は心底感心していたのだが、それはまた別の話だ。




