14話目 束の間の休息と助手たちの奔走③
キヨは煙谷との用件が終わったのだろう。キヨは店先の道具の棚卸をするといい残しカウンターを離れた。
そして、残された煙谷は久保と東雲を振り返る。「そういえば」と呟き、彼は檜山と見藤に面識があったことを思い出し、檜山に尋ねる。
「そういえば、檜山。君は見藤の紹介でうちに来たんでしょ。この二人とは面識は?」
「え……、紹介といいますか。突撃取材だったもので、その……要は厄介払いを受けたというか。というより、やっぱりあの人、こういう界隈の人じゃないですか! もう一度取材交渉をしてみようかな……」
それを聞いた東雲はすかさず檜山に対して、どこか探るような視線を向けつつ、尋ねた。
「……お忙しいのと違いますの?」
一方の檜山はというと――。
「いやぁ、そんな事はありませんよ!」
間髪入れず答えるのだった。
久保は、東雲があからさまに地元の言葉を使うときは皮肉が隠れている、ということを知っている。東雲はこれ以上見藤の心労を増やすな、と心の内では威嚇しているに違いない。しかし、そんな東雲の心中など知らずに答える檜山のなんと呑気なことか。
先程の、檜山を気遣うような言葉も、実際の所は「こっちに来るな」「そんな暇があるなら仕事しろ」が、おおよそ正解だろう。頼むから東雲の皮肉に気付いてくれと、そんな久保の悲痛な心の叫びは誰にも届かない。
檜山と東雲のやり取りを見ていた煙谷はくすくすと笑っている。
「番犬みたいだね」
「番犬ならぬ、猫ならいますけどね」
「それは言いえて妙だね」
そういう久保に、煙谷は更に肩を振るわせながら笑っている。
そして煙谷は、久保と東雲の足元へと視線を向ける。そこには、「こいつらには黙ってろよ」と言わんばかりに猫宮が煙谷を睨みつけている。
どうやら、猫宮は気配を消しているようで、この二人には視えていないのか、と煙谷は一人納得する。
(あいつ、他人を心配するようなタチだったかな)
煙谷は思い出す。孤独に怪異事件を淡々と請け負っていた頃の見藤を。そんなライバルの変化に、面白い助手達を持ったものだと、息を吐くのだった。
檜山と東雲の会話が過熱しないうちに、煙谷は声を上げる。
「あ、そうそう、檜山」
「はい?」
「少しこの二人と話があるから、君は先に出ていて」
「分かりました」
そうして、檜山はキヨや久保と東雲に会釈をし、店を後にした。
煙谷は檜山が完全に店の外に出たことを確認すると、久保と東雲を振り返り一言。
「で、君たちには視えたよね?檜山に取り憑いている霊」
「はぁ、やっぱり何か企んではったんですか」
「嫌だなぁ、あいつみたいな事を言うなよ、東雲サン」
やれやれと首を横に振りながら、さも傷つきましたと言わんばかりの態度を見せる煙谷。言わずもがな、東雲の眉間には皺が寄ったのだった。
すると、店の扉がひとりでに開いた。――そうかと思えば、その次には気温が下がったような寒気を感じ、久保と東雲は肩を震わせる。その変化に、店の中で道具の整理をしていたキヨも手を止めて扉の方を見たほどだ。
しかし、煙谷の仕業であると踏んだキヨは害はないと判断したのか、店の奥へと姿を消した。
――ひたひたという音が響き渡り、姿を現したのはまさに幽霊、という風貌の女だった。しかし、恐怖を抱くようなものは感じられない。乱雑に切られた髪に白い着物を着ている。どうやら、生前最後の姿なのだろう。彼女は恐る恐る煙谷を見ている、それはなんとも幽霊らしからぬ仕草だ。
煙谷は少し困ったように眉を下げ、霊に声を掛ける。
「いや、そんな。突然、有無を言わさずに祓う訳じゃないから、こっちに来なよ?」
「あぁ、煙谷さんが怖がらせはったんですね」
「……君、言うようになったねぇ」
「それほどでも」
東雲の煙谷に対する態度に久保は「すみません」と頭を下げるばかりである。「いいよ」と面白そうに笑いながら軽く手を振る煙谷に久保はほっと息をついた。
そして、煙谷は言葉を続ける。
「彼女の『約束の場所』を探してあげて欲しいんだ」
「なんでうちらが……」
「僕だと仕事上、霊を祓う事しかできないからね」
煙谷はそう言うとカウンターに寄りかかる。彼は獄卒と言う特殊な立場上、二人には説明できない事があるようだ。
女の霊はおずおずと、三人の前まで辿り着く。そして、身振り手振り何かを伝えようとしており、時折、呻くような声を発している。だが、久保と東雲には何一つ伝わっていない。
「わ、分からん……。ごめんなぁ」
『う゛』
しょんぼりと肩を落とす女の霊の仕草を目にした東雲は謝罪の言葉を口にする。東雲はただ霊や怪異が視えると言うだけで、その未練や思いのことなど考えてもみなかったのだ。
「その場所に辿り着ければ……、成仏できるだろうね。行けば本人が分かると思うよ。未練なんて残さない方がいいに決まってるからなぁ」
そう話す煙谷は普段は見せない、どこか優しげな表情をしていた。――すると、声を上げたのは久保だった。
「分かりました」
「え、久保君!?」
「僕たちで何とかしてみます」
それは、稀に見せる久保の思いやりと小さな正義感だ。思いがけない久保の返答に、東雲は驚きの声を上げたが、その次には「仕方ないなぁ……」と溜め息をついたのであった。
二人の返答に煙谷は満足げに頷く。
「頼もしいね」
そう言うと、煙谷は女の霊から事情を聞き始めた。もちろん、久保と東雲には全く何を話しているか分からない。
しばらくすると、煙谷は首を捻りながら聞いた内容を話し始める。
「京都の神社であることは間違いないって言ってるんだけどなぁ」
「いや、京都になんぼ神社があると思ってはるんですか?」
東雲は呆れたように煙谷を見やる。――京都にはその数おおよそ八百にも及ぶ神社があるとされる。その中で、女の霊が行きたいと望む神社を探そうなど、土台無理な話だ。
そこで東雲はふと、出発前に久保の手には京都観光ガイドブックが握られていたことを思い出す。
「それや!!!」
「うえ!?」
「久保君が持ってたガイドブック!」
大声を上げ、突然、久保のリュックを揺さぶる東雲。彼女の言う通りに、リュックから京都ガイドブックを取り出す久保。それをぱらぱらと捲ると、数々の有名所の神社の案内が書かれていた。
「これで目星くらいはつけようってことね」
「そういうこと」
そうして女の霊と三人、ああでもない、こうでもないと言いながら、目的地を絞れた頃。移動手段を考えた末、街中を移動しやすいレンタルサイクルに決まった。
久保と東雲は各々、自転車に跨る。そして、女の霊は東雲の後ろの荷台に乗った。現代は彼女が生きた時代と大きく違う。初めは自転車を怖がっていたが、徐々に慣れてきたのか。次第に自転車で切る風を楽しんでいるようだった。
「幽霊と二人乗りって、絶対経験しないよね……」
「ここに来てすごい体験やな」
久保と東雲は思いもよらない不思議体験に笑っていた。
そうして、ガイドブックに載ってある有名所の神社は行ける範囲で巡った所だっただろうか。東雲と久保の腹の虫が鳴った。
「流石に」
「お腹すいたなぁ」
言葉を溢した久保と東雲。東雲は荷台に乗る彼女へ声を掛けた。
「お昼ご飯食べてもいい?」
『う゛!』
「ええって」
こともなげな様子で久保を見やる東雲。その光景に久保は思わず――。
「いつの間にか、東雲さんが幽霊と意思疎通してる……」
そう、突っ込みを入れていた。




