14話目 束の間の休息と助手たちの奔走
来栖からの依頼の一件を終え、事務所にはしばしの平穏が訪れていた。怪異調査に忙殺されていた夏は、もうそろそろ終わりを迎えるようだ。
しかし、久保と東雲の二人はソファーに座ってお互い顔を見合わせていた。あの忙しさに追われた夏は過ぎ去って行こうというのに依然、見藤の顔には疲労が浮かび、心なしか調子も悪そうだ。
「ね、東雲さん……何かあったのか聞いてみたら……」
「いや、うちが聞くのも違うやろう……」
こそこそと二人で話をしていても、見藤は特に気にする様子はない。普段であれば何か問題がないかと常に気を配っていてくれる見藤がだ。
そんな見藤。今は椅子の背もたれに寄りかかり、天を仰ぐ。そして、眉間を押さえた。それに気が済むと、また机上に視線を戻し何やら作業をしている。目を酷使するような作業でもしているのだろうか。
しかし、見藤の手元は木箱に隠れており見る事は叶わない。その木箱はいつぞやに、久保が持たされた見藤の呪い道具が入った仕事道具だ。
東雲の隣スペースをその小太りな体で陣取り、毛づくろいをしている猫宮に久保は小声で声をかける。
「こういう時の猫宮先生だろ」
「おい、こういう時だけ名を呼ぶな、新人」
猫宮は不服そうにじろりと久保を睨みつけたかと思うと、また毛繕いに精を出す。しかし、これに屈する久保ではない。平然と話しの続きを進める。
「見藤さん、何だか調子悪そうじゃない……?」
「ん? そうだな、俺が休めと言っても休まない頑固者だ」
「霧子さんからも言ってもらえないかな……?」
「……姐さんも何だかんだ見藤に甘いからな。そりゃ難しい」
それは意外な情報だった、と久保は目を見開く。いつも目にする光景はどちらかと言うと、霧子に振り回される見藤だ。久保と東雲は、彼女が見藤に甘いというのは想像もつかず、首を捻るばかりであった。
二人と一匹がどうしたものかと考えていた矢先、見藤が「あ」と呟いた。それを聞き逃す二人ではない。
「ちっ、切らしてたか……」
「何か足りないんですか?」
「まぁ……キヨさんに送ってもらえばいいさ」
それだ、と久保と東雲は顔を見合わせた。道具がなければ作業は再開できないだろう、そして、何かにこじつけて押せば、二人の押しに見藤が弱いことは先の大型連休の出来事で証明されている。
すると、東雲はソファーから立ち上がりひとつ伸びをして、大げさな口調で話し始めた。
「いやぁ、そう言えば私。まだ夏休み中に帰省してなかったんですよね」
「そう、なのか。忙しくさせたな、すまない」
「いえいえ、私としては見藤さんのお手伝いができて、とても嬉しいんですけどね。ちょっと、最近祖父の体調も心配で……。なので、これから久保君と一緒に京都に一泊二日行ってきます」
東雲の言葉に久保は驚きの声を上げた。これは巻き添え待ったなしである。
「えっ……。本気?」
「本気」
久保の問いかけに、東雲は力強く頷いた。
道具が足りなければ作業ができない、というのは理解できる。そして、東雲は見藤が机上に広げている道具全てを指差し、「これ全部持って行きますね」と笑顔で圧力をかけていた。
まさか、全ての道具を没収し今の仕事をできないようにする、だとは久保も思いもよらなかった。
そして、久保は壁に掛けられている時計を確認する。まだ昼には差し掛からない程度の時間だ。今から荷造りをして新幹線で向かえば十分に時間は取れる。前回、果たせなかった京都観光ができるかもしれない。そのことがこの弾丸旅を前向きな気持ちにさせてくれる。
東雲は言葉を続ける。
「ついでにキヨさんから道具の足りない物、受け取ってきますね。その間、見藤さん。仕事はしちゃ駄目ですからね。依頼も入れないようにして下さい」
「え」
その言葉に、今度は見藤が驚きの声を上げる。ワーカーホリックもいい所である。見藤は何か嫌なことがあると仕事に逃げる癖があるということを、この二人も十分に理解していた。
先の霧子の機嫌を損ねた出来事も記憶に新しいというのにまた無理をして、と久保と東雲は若干呆れ気味だ。
「霧子さん、見張りをよろしくお願いしますね」
「……が、頑張るわ」
東雲はいつの間にかその場に佇む霧子に念押しをすることも忘れない。ばっと、見藤が霧子を振り返り抗議の眼差しを向けるが、今度は霧子がさっと視線を逸らす。
見藤が溜息をつきながら東雲に向き直ると、後ろで霧子が「頑張るから!」と両手を握り自分の胸の横で構えるポーズをとり、東雲に合図を送る。そんな霧子の可愛らしい仕草に東雲も満足そうに頷いた。
「霧子さんまで……」
「いい機会だな、少し休め見藤」
味方であるはずの霧子まで東雲に加担し、猫宮にまでそう言われた見藤は渋々道具を片付け始めた。その様子のなんとも哀れなことか。
パチン、と木箱の金具を止める音が響く。そうして見事、見藤の仕事道具は東雲に没収された。
「ほな、行ってきます。少しは休んでください」
「あぁ、頼んだ。…………ありがとう」
「いえいえ、お安い御用ですよ」
そう言うと東雲は久保に木箱を持つように促し、二人は事務所を後にしようと立ち上がった。そして、二人で打ち合わせをしている。今回は東雲の思い付きの行動だったために、これから荷造りなど色々準備があるのだろう。
二人が出て行った扉をしばらく眺めていた見藤は猫宮に声をかけたのだった。
「猫宮、お前……二人についてやってくれないか?」
「心配性だな」
「そうかもしれないが……」
「全く、仕方がないなァ。前回土産をもらい損ねたからな」
「それは……」
「くはは、冗談」
猫宮はそう笑うと、ぴょんとソファーから飛び降りたかと思えば、ふっ、と篝火を少し残して事務所から消えてしまった。その様子を見届けた見藤は息を吐き、少し頬をぽりぽり掻いた。
この事務所を構えて長いが見藤自身、人を想い、人を心配して何かしらの行動で示す、こういったことをされた経験は初めてだった。
キヨの元を離れてからというもの、依頼人含めあまり深く人と関わらないようにしていたが、久保と東雲はどこか違った。最初は差しさわりのない程度で事務仕事を手伝ってくれればと思っていたが、二人からの人としての好意、信頼、そう言ったものを感じるようになった。
そして、二人は見藤自身のことにあまり踏み込んで来ない、そう言った距離感が心地いいのかもしれない。見藤にとっては心を寄せ、庇護しようと思った初めての人間なのかもしれない。
そうして、事務所に残された見藤と霧子は――。
「なんで目を合わせてくれないんデスかね、霧子さん」
「……だって、怒るじゃない」
「…………」
二人の間には、なんとも言えない空気が流れていた。




