11話目 過去編 幽愁暗根②
少年が住む村には怪異が多く存在している。それは少年の目の前に差し出されたように、贄として囲われている怪異だ。
無論、その逆も然り。怪異の奇々怪々な力を借り受けるときに、人が贄として要求されることもあった。
(生贄……。よくある因習だ)
また、呪いを生業としているからには、人によって呪いを返されたときには身代わりが必要となる。
(その身代わりとなるのも、分家の出である俺の役割だと……)
少年は教えられてきたことを、心の内に反芻する。
しかし、少年の境遇は少し違った。どんな呪いをさせても大人より秀でていた。
それを、狡猾な村の大人達が利用しないはずもなく――。
少年はこうして毎日毎日、奪いたくもない存在を贄にして呪いを行う。拒否しようと逃げようとも、囲われた世界で生きてきた彼には、その世界から抜け出す方法など自力では見い出せなかった。
◇
呪いを終えた少年を冷たい視線で見やる女主人。
「本当に呪いをさせれば気味が悪いほど完成度が高いねぇ。あぁ……勿体ない。目がいいんだろうさ、上手く使ってやるのだから感謝しなさい」
「ほーん、それはありがとうございます」
「っ、本当に憎たらしいね! 終わったならさっさとお帰り!」
感情的に怒り出した女主人。少年は辟易としながらも形だけの一礼をし、部屋を出た。
少年の深紫色の瞳には女主人の欲深さが映っていた。ただ、表情や行動からそう感じるものではない。まさに、映るのだ。目がいい、というのはあながち間違いではない。
そこで、廊下に控えていた女中が少年に声を掛ける。
「お勤め、お疲れ様でございました」
「……」
この女中とて例外ではない。こうして労いの言葉を口にしているが、本心ではやはり分家の者だと蔑む本心が、少年には視えている。そのまま立ち去ってもよかったが、気まぐれに足を止めた。
「お前さ、嫉妬に狂って人を貶めるのはいいけど。そいつに取り憑かれてるから、覚悟しとけよ」
「はぁ?」
少年の言葉に、女中の本性が少し垣間見えた。そして、少年は女中の背を指さした。
そこには、背になだれかかる女の霊。死亡した経緯、死因、未練、そう言ったものが少年の目に映る。
呪いを生業としているこの村では、この少年の目は至高であると同時に、得体の知れない物だと恐れられていた。生家ではただ金を生む道具で、一方的に搾取されるだけの物だ。
「はぁ、どいつもこいつも気色悪い……」
少年はそう呟くと、大きな溜め息をつく。彼は幼い頃より大人の悪意、人間の強欲さや狡猾さ、そう言った負の部分に触れ過ぎていた。
顔は笑顔だが本心では真逆の事を考えているなど日常茶飯事だ。それを指摘すれば、ボロボロと仮面は剥がれ落ち、本性を現す。――それが大人達。
死霊は己の未練を晴らしてもらおうと躍起になり、少年に取り憑こうと躍起になる。それに加え、命の灯が途絶える瞬間を追体験させるという遠慮願いたい特典付きだ。丁重にお断りするために酒や塩を浴びせ、取り憑こうとしたお礼と言わんばかりに殴っておく。死霊の類はこれで万事解決だ。
霊を殴るなど理論的には不可能な話であるが、少年からしてみれば何となくできること、のようだ。―― いっそのこと、何も視えなければもう少し違ったのかもしれない。そんな思いが少年の中に巡る。
(でも、妖怪や怪異が視えなくなるのは勘弁だな……)
そんな考えを巡らせていると、ようやく見慣れた離れ座敷が見えてきた。そこに佇む大きな影。少年はそれを見るや否や走り出した。
「やぁ、なにかあったのか。坊主」
「別に、なにも……。いつものこと」
走ってきた少年に陽気な声で話しかけた、男の姿は異形だった。
頭は牛、水牛のような左右に分かれた立派な角を携えている。しかし、胴体は人間のような体躯に見えるが少し違う。それは鬼のように立派な体格だ。そして、その体躯を生かすように和装に身を包んでいる。
肌の色は艶やかな漆黒、腕は太く筋骨隆々で、しかしながらやはり妖怪か。その手の先の爪は黒く鋭く、指の数も牛というに相応しいものだった。
しかし、その姿と打って変わり、少年に語り掛ける声音はとても優しい。異形の姿をした男は少年の頭を優しく撫でる。その瞳は翡翠に輝き、柔らかい目をしていた。
「なぁ、牛鬼はなんでこんな所にいるんだ……」
「受けた恩を返すまでと思いつつ。ついつい居座っているだけだ」
「そうか……」
牛鬼と呼ばれた妖怪は、少年の問いに目を細めながら答える。少年は誰に受けた恩なのか尋ねたかったが、それは野暮なようでいつも聞けない。
そして「居座っている」というのは、嘘だと少年は知っている。この村は一度でも怪異が足を踏み入れれば、村の外へ出られないよう呪いが施されている。己が囚われていることに少年が罪悪感を抱かないようについた嘘なのだろうか。
しかし、大昔には「最恐」と言わしめた牛鬼ほどの妖怪が、この村に施されている呪いを破ることができないというのも考え難い。結局のところ、その胸中は分からない。
牛鬼は少年にとって、最も大切な存在だった。記憶は定かではないが、物心ついた頃には既に一緒にいた。少年は親と言うものがどういう存在か知らないが、要は育ての親のようなものだ。
本家の人間でも知らないような呪いや、幾万と存在する妖怪や怪異、神について知識を授けてくれたのは牛鬼だ。こうして離れ座敷で共に暮らしている。分家の人間は他にもいるようなのだが、会ったことはない。この離れ座敷に住んでいるのは二人だけだった。
少年は牛鬼を見上げながら、そっと呟く。
「なぁ、この眼はいつか……」
「ん?」
「やっぱり、何でもない」
「…………」
そんな脈絡のない会話をしながら二人は屋内へと移動し、囲炉裏の前に座った。世間から隔絶されたような田舎の村だ、現代となった今でも昔ながらの日本家屋を残している。胡坐をかき、牛鬼が火をくべる。
囲炉裏には既に鍋が吊り下げられ、ぱちぱちと音を立てながら燃え始めた火によって温められてゆく。それを確認した牛鬼は土間へと移動し、釜の蓋を開けた。すると、居間からでも目に見える、白い湯気が立ち上ってゆく様子。
その様子を見た少年は表情を明るくして、食事の用意を手伝おうと腰を上げた。
お膳に乗るのは、炊き立ての玄米、ふきのとう、たらの芽とこごみの天ぷら、そして空の汁椀。囲炉裏に吊り下げられた鍋から、ぐつぐつと湧く音がしてきた。少年は土間から慌てて居間に戻ると、そっと木蓋を開けた。
すると、鍋には緑鮮やかなセリ汁が温められ、いい香りが鼻腔をくすぐる。それを空の汁椀に注げば、なんとも春先が感じられる贅沢な昼食の完成だ。
ある程度の後片付けを先に済ませ、牛鬼も居間へと戻る。牛鬼を待っていた少年は早く食べたい気持ちを我慢していたのか。期待に胸を膨らませた、なんとも年相応の表情をしていた。
そんな少年が牛鬼はとても微笑ましく思え、目尻を下げたのであった。そして二人は向かい合い、揃って両手を合わせる。
「いただきます!」
「頂きます」
少年が真っ先に箸をのばしたのは山菜の天ぷらだ。それはこの時期だけの山の恵みだろう。その味を確かめるようにゆっくりと食べ進めてゆく。
この二人の食事事情というのは、半ば自給自足のようなものだった。この閉鎖的な村では、本家と分家という身分がこうも顕著に表れていると言えるだろう。米や調味料といったものは支給されるのだが、それは最低限の品数に過ぎない。こうした山菜類は少年が山に入るときに採ってくる。
それは少年が牛鬼に、山を駆けるもっともな理由を告げるための手段にすぎない。結果、贅沢な食事となってその姿を変えるのだから、一石二鳥というものだ。
箸を勧めていくと次第に少年は頬を膨らませてゆき、まるでリスのような頬袋があるような光景となっていった。
「うまい」
「はは、それはよかった。儂の分も食べるといい」
「む、それは違う。俺がせっかく採って来たんだ。二人で半分こだ」
牛鬼は自身の皿に盛られていた天ぷらを少年の皿へと寄こそうとしたのだが、それは止められてしまった。目元を下げて少し残念そうな牛鬼に、善意を断ってしまったことを少し申し訳なく思いながらも、少年にも牛鬼を思いやり譲れない部分があるのだ。
牛鬼のその立派な体躯に対してこの食事量というのは明らかに腹は膨れないだろうと、少年は分かっている。そもそも、牛鬼がこうして人里で暮らすようになる前はどのようなものを食べていたのだろうかと、少なからず疑問を抱くのだがそれを尋ねるのも野暮というものだろう。
少年は牛鬼が天ぷらに箸を伸ばすのを確認すると、満足そうに頷き、笑ったのであった。
「明日は俺の当番だな、これに負けないように頑張るよ」
「それは楽しみだ」
そうして、腹と心が満たされる食事の時間は過ぎていく。




