10話目 百足の虫は死して僵れず④
仏間を後にした来栖と久保を見送った見藤は、溜め息をつきながら振り返る。誰もいないはずの仏間に向かって、声を掛けた。
「何か用か」
返答はない。
聞こえてくるのは何かがが這う音。それは仏壇が鎮座する収納戸の中から聞こえてくる。
そして、それは突然、姿を現した――。暗闇から這いずり出て来きたのは、老人の顔だった。顔はやつれ、青白い。顔から下は大きな百足の体躯だった。その姿はまさに異形だ。上半身にあたる部分に生えた腕で頭を支え、そこから下の節足動物特有の足で百足の体を支えている。
見藤は老人頭の怪異にもう一度問うた。
「俺に、何か用か」
『視える者よ。儂は元の姿に戻れるのか?』
この怪異は一体、何を言っているのか――、見藤は眉間に皺を寄せて首を傾げる。だが、見藤の様子など気にも留めない素振りで老人顔の怪異は言葉を続ける。
『教えを乞うた。人を喰らえばよいと言承けをもらった。しかし、このような醜い姿になってしもうた……』
「……何の話だ」
『人を喰らった罰なのか……、儂は喰い続けねば存在できない』
悲壮感を漂わせながら話す内容には到底聞こえない。
しかし、見藤にはこの怪異が話すことに、少し思い当たることがあった。煙谷と巡った例の夏の怪異調査だ。
認知の浅い怪異が霊魂を喰らい、急速に力をつけ実体を得るという話。その話と酷似している。――時に、怪異や妖怪が人を喰らうこと自体は珍しくない。己の力の誇示か、人の命を糧にするような怪異や妖怪と言った部類も存在する。しかし、異形の姿へ変貌を遂げる、というのは初耳だ。それは、まるで悪神に身を堕とした神のようではないか。
(怪異が、教えを乞う……? 一体何に)
見藤が最も引っかかったのは、そこだ。
「おい」
『早く次を探さねば……』
老人頭の怪異はそう言い残すと、百足の体を引きずりながら仏壇上の天井へと消えてしまった。
「くそっ……」
見藤は悪態をつき、頭を掻いた。――あの夏から一体、何が起こっているというのか。いや、厳密に言えば、この家に居憑く怪異の状態や話から、随分前から異変は始まっていたのかもしれない。それが何なのか、分からない。分からないことに対して抱く不快感。
見藤は大きな溜め息をつくと、帰ったら別件の調査が必要だと、思い至る。
「猫宮にでも協力させるか……」
そう呟き、屋内を後にした。
◇
見藤は玄関先で待機していた久保と来栖と合流する。三人が門を通ると、物件脇に駐車していた車を不自然に覗く一人の初老の女性がいた。明らかに怪しい挙動に、見藤と来栖は少し警戒する。
しかし、その女性の顔を見た久保は「あ!」っと声を上げ、その次には声を掛けていた。すると、その女性も久保の顔を見るや否や何かを監視するような目つきではなく、穏やかな目へと変わったのだ。
「あら、あなた。いつもボランティアの!」
「あぁ、鈴木さん! この辺りにお住まいだったんですか?」
「そうなのよ。いやぁ、ほんと奇遇ねぇ」
久保と親しげに話すこの女性はこの地域の住民なのだろうかと、見藤と来栖はその光景を少し離れた場所から眺めていた。
見藤は人を監視するような女性の行動に嫌悪感を抱いたのだろう、眉間に皺を寄せながらぽつりと呟く。
「誰だ」
「さぁ、助手さんは意外と顔が広いんですね」
「知らん」
「貴方って人は本当に他人に興味がないと言うか……」
来栖の呆れた声音と表情を無視しながら、見藤は女性と話し込む久保に視線をやる。
いつも事務所を訪れて事務作業を手伝いながら、東雲と楽しく談笑している久保の姿しか知らない見藤にとって、彼が持つ外の繋がりというものを、初めて目の当たりにしたのだった。
一方の久保は、こともなげな様子で会話を進めていた。
「いやぁ、清掃ボランティアの依頼があって。あそこのお宅の荷物の片付けを依頼されたんです。その事前の打ち合わせで」
「へぇ……、そうなの。…………気を付けてね」
「どうかされたんですか?」
「私、この歳になって義両親の介護のために、この地域に越してきたけれど……。噂では、あのお宅。なんでも住む人が次々に亡くなっているんですって。だから、その荷物の片付けも遺品整理か何かじゃないかしらと思って心配で」
「そうなんですか……」
「そんな家には誰も住みたがらなくて……。もったいないわよね、この辺りは住みやすいのに」
――思わぬ情報だ。あの物件で亡くなったのは依頼者の親族という申告だったはずだ。
そして、流れるように自然な嘘を交えることで情報を聞き出している久保に見藤は驚き、目を丸くしている。――久保の意外な一面を見たのものだ。
聞き耳を立てていた来栖は、その会話の内容に目を細めながら困ったように呟く。
「それら全てが自然死であれば告知義務は曖昧になりますからね……」
「はぁ……ちゃんと調査しとけよ、来栖」
「いやぁ、すみません」
見藤は思わず、来栖の腕を肘で小突いた。
そうして、しばらく雑談をしていた久保と女性は会話を終えたのか、軽く手を振りながら別れていた。すると、先程とは違った声が聞こえてきた。
見藤と来栖が声がした方を見やれば、そこには散歩中であろう老夫婦がにこやかに久保と会話をしている。
「早くそこの空き家に住んでくれる人がいるといいけどねぇ」
「この地域は過疎化しているから、少しでも人が住んでくれればと思うよ」
過疎化、その言葉に違和感を覚えたのは見藤だけではない。来栖の話では、この地域住民は住居を手放したり転居したり、あまり離れる住民がいないと言っていた。それに、この狭い住宅街であればこの物件で起きたことが、噂であっても広まらないはずはない。そんな物件に誰か住まないだろうか、と言うのはなんとも理解しがたい。
見藤は眉間に皺を寄せ、来栖を見やる。すると、彼も同じような違和感を覚えたようだ。
「……妙だな」
「そう、ですね」
二人はそう言葉を交わした後、抱いた疑問と違和感を持て余してしながら帰路についた。
そうした後、見藤は調べたいものがあると言い残し、一人法務局へ向かう。久保は来栖に送迎してもらえることとなり、再びあの荒々しい運転の餌食になったのだった。




