2話目 奇妙なアルバイト
改稿版
久保は怪奇な体験のきっかけとなった、見藤の元へ通うことを望んだ。
それは未知なる世界への知的好奇心。加えて、少なからず見藤に恩義を感じてのことだった。――そう、久保がいなければ見藤の書類仕事は溜まる一方だ。
「こんにちは、見藤さん!」
「お、いらっしゃい」
軽快に挨拶をした久保を見藤が出迎えた。
久保は大学の講義が午前中で終わった日に、こうして昼から事務所に顔を出している。事務机に向かう見藤を目にすると、冗談めかして告げた。
「見藤さん。機器類、壊していませんか?」
「大丈夫だ。…………多分、な」
迷い家の一件から、こうして久保と見藤は軽口を叩く程度には距離が縮まった。やはり、共通するカテゴリーの中に居れば自ずと距離は縮まるものだ。
そして ――、猫宮との関係も。見藤に軽口を叩いた久保を咎めるように、猫宮が声を上げた。
「新人のくせに生意気だなァ!」
「又八~」
「そんな適当につけた名で俺を呼ぶな! 妖怪や怪異にとって、名は重要なんだぞ!」
「又八の方が猫っぽくていいだろ?」
「シャーっ! 俺はれっきとした妖怪、猫又だ!」
相変わらず、威嚇される始末。又八、もとい猫宮は縁あって事務所に住みついた妖怪らしい。彼は二又に裂けた尾を揺らしながら、呆れたように口を開く。
「ハァ……。見藤ォ、こんな小僧を助ける義理はなかっただろう? 現代の迷い家ってなァ、人を誘い込んで喰らうンだぞ。それは認知による存在意義と言っても過言じゃねぇ。そこにわざわざ介入するのもなァ」
「えっ……」
先日の壮絶であり、怪奇な体験。猫宮の口から告げられた事実に、久保は困惑する。――猫宮の言葉はまるで、久保を助けた見藤を咎めるような口ぶりだった。
それを諫めたのは他でもない見藤だ。
「猫宮、そう言うな。まぁ、そんな場所から生きて戻って来られたんだ。久保くんは運がいい」
「運、ですか……」
久保は見藤の言葉を反芻した。運で人の生死が決まってしまうものなのだろうか――、と口を閉ざす。
すると、見藤は手を止めて、久保に意味深な視線を送る。
「実は最近、迷い家に誘われた行方不明者が続出していてな……。丁度、目を光らせておいたんだ」
「小僧は見藤と出会っていなければ、まんまと迷い家の餌だったってワケだな! にゃはははっ!」
「笑い過ぎだ、猫宮」
間髪入れず、猫宮が茶々を入れた。再び猫宮を諫める見藤。だが、その次には、ばつが悪そうに頬を掻く。
「まぁ、見ず知らずの人間だったなら……。助けたかどうかは……分からんが」
「えっ……、そんな……。でも、僕を助けてくれたじゃないですか――」
「それは偶然だ。俺の仕事は人助けじゃない。怪異の情報を集め、然るべき場所へ報告するだけだ」
久保は耳を疑った。
見藤は進んで身の上話をしない。しかし、彼に助けられた久保は「見藤は善人である」と信じて疑わなかった。それ故に、人に関心を寄せない彼の言葉は衝撃的だった。――時に無関心ほど残酷なものはない。
溜め息をつきながら、見藤は言葉の先を続ける。
「まぁ……俺としては ――、怪異からの相談を請け負うつもりで、この事務所を始めたからな。なるべく敵対はしたくない。灸を据えるくらいはあるだろうが……」
「ニャァン~、ほら見ろ。――むぎゅう」
「こら、喧嘩腰になるな」
目の前で繰り広げられる、怪奇な会話。調子よく久保をからかっていた猫宮は、見藤に首根っこを掴まれ、意気消沈している。
見藤は久保を迷い家から連れ戻したが、肝心の迷い家という怪異自体に何をする訳でもなかった。言わば、放置である。その理由は先程の言葉に繋がるのだろう。
猫宮との関係を鑑みても、見藤は言葉通り「怪異と共存する」という形を取っているようだ。
見藤は呆れた様子で猫宮を解放すると、久保に向き直った。
「まぁ、君は運が良かったんだ。俺はそもそも、アルバイトなんて募集していなかったからな」
「えっ……!? でも貼り紙が……あって」
久保は驚きの声を上げた。面談のときに、見藤が口にした言葉は事実だったようだ。しかし、確かにアルバイト募集の貼り紙を見て、この事務所に辿り着いたことを告げる。
すると、猫宮は首を傾げながら、ひとつの可能性を語った。
「住所でも見間違えたンじゃないのか? この辺りはビル街でも道が分かりにくいからなァ」
「そ、うなのかな……」
久保は言葉に詰まりながら返事をした。腑に落ちない点はあるものの、そう考えるのが自然だろうと無理やり自分を納得させる。
すると、そんな会話を聞いていた見藤が声を上げる。
「その君の行動ひとつで、迷い家に喰われるはずだった運命が変わったんだろう。大したもんだ」
ふっと、目元を綻ばせて語る。
どことなく褒められたような気がして、久保はぎこちない笑みを浮かべる他なかった。
◇
平凡だったはずの久保の日常。変化があったのはそれだけではない。
丁度そのとき――、事務所の扉が開いた。そこに現れたのは女性だ。
「遊びに来たわよ。失礼するわね」
「いらっしゃい、霧子さん」
彼女の姿を目にするや否や。見藤の目が優しげに細められる。霧子と呼ばれた女性は、柔らかな微笑みを浮かべる美人だった。
霧子の目は夜を模したかのように煌めき、睫毛が長い。その通った鼻筋の先には、これまた形の整った唇に淡い色のリップが塗られて健康的な色をしている。軟らかそうな黒髪と、流れるような後ろ髪が印象的だ。
さらに特徴的と言えるのは、霧子はとても背が高い。恵まれた体格をしている見藤よりも少し高く、手足はすらりと長い。モデルかと見紛うほどの容姿だ。
久保は見藤の後に続き、挨拶を交わす。
「こんにちは、霧子さん」
「これ、久保君にお土産!」
「わぁ……! ありがとうございます」
差し出された茶菓子を、久保は喜んで受け取った。どうやら事務所へ来る途中に、わざわざ用意した物のようだ。気遣い上手な年上の女性、そんな憧れを抱くには十分だった。
久保が見惚れていると、背後から見藤の困った声がする。
「……久保くんに餌付けしないでくれ」
「違うわよ!」
見藤の言葉に抗議する、彼女の反応はとても可愛らしかった。
そんな霧子は見藤の昔馴染みだという。――だが、久保から見てもあの二人は「昔馴染み」という言葉では言い表せない雰囲気を醸し出している。
久保は二人の関係を察するが――。
(それにしても、見藤さんと霧子さん。恋人同士にしては、ぎこちない気がするし……。まぁ、深く考えないようにしよう)
そう結論付け、事務作業に戻った。
* * *
久保が事務作業をしている間、見藤と霧子の間で交わされる会話があった。先に口を開いたのは霧子だ。
「そう、今日ここに来たのは伝言があるのよ。……私のお友達なのだけれど」
「あぁ」
「その子、常世に移る決心がついたって――」
「……そうか、分かった。準備をしておこう」
「お願いするわね」
霧子はそう言って、悲しみに暮れた表情を浮かべた。見藤は彼女を慮るように、優しい声音で話を進める。
久保は聞き耳を立てていた。二人の会話から聞こえて来た言葉に、引っかかる単語があったのだ。
(常世……、ってあの世のことだよな? 死後の世界に渡るって……。なんだか、不穏な雰囲気だけど……)
二人の間に流れる空気は得も言われぬもので、どこか哀愁を感じさせるものだった。
霧子は言葉を続ける。
「時刻は逢魔時よ。その頃に事務所を訪ねてくるから、よろしくね」
「あぁ」
「今日はそれを伝えに来たの。それじゃあね」
そう言って、霧子は事務所を後にした。彼女が去った後、見藤はすぐさま席を立つ。
それを目にした久保は、おずおずと尋ねた。――これから、何かが起ころうとしている。そんな予感に胸を締め付けられる。
「あの……、霧子さんはどういう話を?」
すると、見藤は手を止めて、久保を見やった。彼の手元には一纏めにされた分厚い小冊子が抱えられている。
「怪異からの依頼だ」
「怪異から――?」
久保は見藤の言葉をそのまま繰り返した。――それは見藤がこの事務所を構える理由だ。怪奇な依頼を請け負う、魔訶不思議な事務所。久保の知的好奇心が疼く。
見藤は目を伏せながら、そっと呟いた。
「時が来れば分かる」
その言葉の意味を知るために、久保は大きく頷いた。




