9話目 吉兆か、凶兆か②
それから二日間。鳴釜は事務所に誰か人がいれば、途切れる間もなく喋り続けた。
誰かが鳴釜の話し相手をしている訳でもない。ただ、ただ延々と一人で話し続けているだけなのだ。
「流石に腹が立ってきた」
「うん、分かるわ。こう、見藤さんが金槌を振りかぶった理由が分かるわ」
ソファーに向かい合って座っていた久保と東雲は、書類を手にしながらお互い頷きあっていた。鳴釜は見藤が作業をしている机の一角に座り、また何か話している。
流石の見藤も、今朝から耳栓をしている。その耳栓を見て久保と東雲は、どうせなら事前に言っておいて欲しかったと恨めしそうに見藤を見るのだった。
「あれは、ずるい」
「そうやな。うちもそう思う」
はぁ、と二人が溜息をついている間も鳴釜は喋り続けている。
嫌でも耳に入ってくる鳴釜の話。昔の話なのか、やれどこぞの家主と近所の妙齢の女が亭主留守の間に逢引きをしていただの、また違う男女の話になれば今度は恨みで刺されて死んだ、だの専ら男女の惚れた腫れた話が主だ。
この鳴釜は、よもやま話が好みなようで、自身が見聞きしてきたであろう話を四六時中している。
そうした中、話の内容が大きく変わることがあった。地獄についての話だ。
久保と東雲はお互い顔を見合わせ、少し聞き入っていた。
地獄は本当にあるのだと鳴釜は言う。現世を離れた自分はしばらくそこにいたのだと。
そこには獄卒と呼ばれる鬼人達が人の死後、魂を導くために働いているというのだ。皆平等に裁判を受け、極楽浄土へ行ける者はそこへ案内し、罪を犯した者は地獄で罪を償い、次の転生を待つ。そんなどこか説法じみたことを話し始めたのだ。
それに好奇心を抱かない久保ではない。思わず、詳しくその話を聞こうと口を開こうとしたが、見藤の無言の圧に止められた。
そうして、三日目。この日の夕方には、キヨがこちらでの用事を終わらせて、事務所を訪ねて来るという連絡が入った。
その連絡に安堵する三人。ようやく、このおしゃべりな付喪神から解放されるのだ。
「やっと、こいつのお喋りから解放される……」
「えらい長い事喋ってはったわ……」
久保と東雲の口から、思わずそんなぼやきが漏れる。
そうして今か今かと時計を見ることが増え、あともう少しで夕方だ。すると、鳴釜はいつものよもやま話をする時の軽い口調ではなく、突然真面目な口調で話し始めた。
『最後に、これは餞別だ。これは俺が小耳に挟んだ話だが』
「ん?」
『今、おかしな行動をとっている怪異がいるだろう。俺が聞いた話だと、怪異をそそのかし、よく分からん事をしでかそうとしている怪異がいると専ら噂だぞ。それに獄卒達は殺気立っている。なんせ人の霊魂を喰うよう仕向けたのはその怪異だって話だ。他にもいろいろ、噛んでいるらしい』
「…………」
その言葉に反応したのは猫宮だ。無論、見藤もそんな話を聞き漏らすはずがない。じっと、鳴釜を見つめ何やら考えている。
猫宮は先の妖怪退治の折に、何かしら異変が起こっていることは察していた。しかし、それが何であるかまでは分からずにいた。だが、ここで思わぬ有益な情報を聞くことができた。鳴釜が言う餞別とはそういうことだったのか。
すると、ピンポーーン、と事務所のインターホンが鳴った。
「あぁ、お邪魔するよ」
「キヨさん、悪いな。突然」
「いいよ。こちらこそ、今年の夏は忙しくさせて悪いねぇ」
キヨが尋ねて来たのだ。挨拶代わりの言葉に見藤は眉がぴくりと動く。
(全くだ、この婆さんは……!!!)
見藤はそんな本音が漏れそうになったが、ぐっと堪え、飲み込んでおくことにする。
キヨは見藤の元まで来ると、鳴釜を見て会釈をした。
「まぁまぁ、本当にね。こんな縁起物、煙谷さんが?」
「しばらく、あいつの名前は聞きたくない」
「おや、鳴釜の占いは吉兆を知らせるという縁起物だよ?」
「凶兆の可能性も、ある」
「まぁ、それはそうだけどねぇ。元々は神事にも使われる神聖なものよ?」
キヨとの問答の末、鳴釜はキヨに引き取られて行った。
◇
そして、訪れる事務所の中の静寂。なんとも久しぶりのような感覚に陥るのは気のせいだろうかと、皆は沈黙を享受していた。
ふぅー、っと久保と東雲は溜息をつき、ソファーに座る。そういえばキヨが言っていた、神事とは何か気になった久保は東雲に聞いてみることにした。
「キヨさんが言ってた神事って?」
「あぁ、聞いたことあんで。神社繋がりで。なんでも釜の上に蒸篭を乗っけて、お米を蒸す。その蒸した時の音の強弱で、吉兆を占うって」
「へー」
「……でさ。うち、ふと思たんやけど……あの付喪神はん、ずっと喋り続けてはったやん?もしあの釜はその神事に使われていたものが付喪神になっていたとしたら?」
そこで、東雲が気付いたことに、久保は言葉を失った。
「この場合、あの喋り続けた声が、その占いの音やとしたら?」
それは――、吉兆か、凶兆か。
その場にいた三人と、猫一匹には分からなかった。




