後日談:こんにちは
半年後――。
京に店をかまえる小野小道具店は改装準備に追われていた。それに相反するかのように、看板猫ともう一匹。小太りな茶トラ柄の猫は忙しさを気にする素振りもなく、外の景色を眺めている。
依然として、廃ることのない世間におけるオカルトや都市伝説の流行。それにより、生まれ出でる怪異の数は計り知れない。事態を重く捉えた斑鳩家の協力要請により、情報屋および道具屋として彼らへの支援を拡充するためだ。
キヨは店内に置いていた品々を、箱に詰め込んでいく。天井近くまである棚に置かれた物は、彼女の背丈では到底手が届くものではなく――。梯子を掛けて登るにしても、老体には難しいだろう。どうしたものかと、小さく溜め息をついたときだ。
「キヨさん。高いところの物は俺が取るよ」
「――ああ、そうかい。頼んだよ」
背後から掛けられた声に、目を細めながら答える。振り返れば、息子の姿が目に入った。
彼が梯子を掛けて、棚の高いものを手に取る。キヨは下でそれを受け取っていく。彼女は視線を彼に向けた。――思い出すのは半年前のこと。
キヨは呆れたように口を開いた。
「全く……。あの後、連絡もなにも寄越さないから、てっきりあの世にでも渡ったのかと思ったよ」
「ははっ、それはスミマセンでした。だが、自分でも往生際が悪いのは自覚しているからな」
冗談めかして笑い飛ばす彼に、キヨはまたも小さく溜め息をつく。
「あの別嬪さんがよく許したねぇ」
「まぁ……、悪神を鎮めるなんて――無謀だったと反省はした。霧子さんを危険な目に遭わせたくなかったからな」
「そういうのは本人に言うもんだよ」
彼の口から告げられた名に目を細めながらも、キヨは助言を送った。すると、彼は気恥ずかしそうに頬を掻く。その仕草に、随分と素直に感情を示すようになったのだと、肩をすくめたのだった――。
◇
しばしの沈黙の後。
彼は品を下ろす手を止める。あの山で起きた凶事を思い出し、真剣な表情を浮かべた。
「それに――、霧子さんがあの山に再び足を踏み入れたとしても、状況は悪化しただろう」
独白のように呟かれた言葉は、僅かに掠れていた。
彼の脳裏に浮かぶのは凄惨な光景。濃い澱みを身に受ければ、怪異はその影響を受ける。その実、裏路地で初めて『神異』と対峙したとき――、霧子は今までにないほど取り乱していた。
それに思い当たることを胸の内に呟く。
(怪異は存在を認知に左右される……。都市伝説では、八尺様を封印したのは地蔵だと……そうなっているからな。そもそも相手が悪すぎた)
最後に目にした悪神の姿を思い出し、鼻を鳴らした。――あれに霧子を近付けたくもなかった、という方が正しいだろうか。
思いふけっていると、キヨの視線が自身に注がれていることに気付く。どうしたのかと、軽く首を傾げた。
すると、キヨは鎮痛な面持ちで口を開く。
「それにしても――、大きな代償を払ったもんだ」
それが何を指すのか、すぐに察した。小さく息を吐き出し、そっと左目に触れる。そこにあるはずのものは既になく、指に触れるのはただのくぼみ。目じりには弾けたような傷跡を残している。
失ったものを憂うことはないと、軽快に言葉を並べる。
「別に。視界が狭いのも慣れて来た頃だ。これで晴れて後腐れなく、キヨさんの跡を引き継げる」
「全く、お前さんって子は」
キヨの呆れたような、それでいても嬉しそうな声音。それを耳にしながら、彼は作業を再開させる。
すると、思い出したかのようにキヨが声を上げた。
「ああ、そうだ。言い忘れていたけれど――」
「こんにちは」
彼女の言葉を引き継ぐようにして、店内に響き渡った声。その声には聞き覚えがあった。
「ん……?」
「そうそう。土産屋としても、忙しくなるからねぇ。人を雇ったんだ」
その言葉と共に、キヨは扉の方を見やる。僅かに開いた扉の先に佇む人影。
つられるように、彼も同じ方向を見やった。しかし、訪ねて来た人物の姿がよく見えず、梯子を下りる。そのとき、失った視野に隠れていたものに気付かなかった。天井から吊り下げられた鈴の付喪神に、おどかされたのだ。
予期せぬことに、思わず声を上げる。
「うわっ……」
「ほら、お前さんの目のこともある。目が多いに越したことはない」
その光景を眺めていたキヨは、したり顔をして見せた。それは底知れぬ手腕を持つ、彼女の悪巧みを告げるには十分だった。
すると、声の主は店の中に足を踏み入れたようだ。近付く足音と共に、見覚えのある顔を目にした彼は言葉を失う。
二人の前で足を止めたのは青年。人当たりの良い雰囲気を纏い、にこやかに声を上げた。
「キヨさん! ご無沙汰してます」
「ああ、よく来たねぇ。待っていたよ」
キヨは頷く共に、青年の訪問を知っていた口ぶりだ。 青年はじっと見据えた後、にこりと笑みを浮かべた。
「また、会えましたね。見藤さん」
「久保くん――」
見藤は青年の名を呼ぶ。突然の再会に、言葉が見つからず呆気に取られる。
ようやく開いた口から出た言葉は――。
「進路は……?」
「え? 何、言っているんですか? 土産屋に就職したんですよ」
こともなげに告げられた久保の言葉に、片方しかない目を見開く。別れのあの日。久保には日常へ戻るよう、念押ししたはずだった。
見藤は咎めるような視線をキヨへ送る。
「キヨさん?」
「ああ、彼の強運はうちに持って来いだろう? 煙谷さんからの紹介もあってねぇ」
「あいつ……」
「それに――、最終的な決断をしたのはあの子自身だ」
そう言われてしまえば、見藤に口をはさむ余地はない。大きな溜め息をつく他なかった。
久保は見藤の苦い反応を予測していたのだろう。肩をすくめながらも、その背景を語った。
「実はキヨさんから電話をもらった時、怪奇な世界に戻れると思ったんです」
「俺がせっかく追い返したんだが……?」
「まぁまぁ。お陰でこうして会えたんですから。それに――、文句のひとつでも言わせてもらおうかと。あの時は、東雲に邪魔されて何も言えませんでしたから」
すると、またも店に響くはつらつとした声。
「こんにちはー! キヨさん、手伝いに来ましたよ~」
その声にも聞き覚えがあり、見藤は怪訝に眉をひそめた。すぐさま久保が口を開く。
「あ、そうだ。東雲もいますよ? なんでも、神社を継ぐそうで――」
店内に足を運んだのは東雲だった。彼女はキヨと見藤、久保の姿を見るなり、満面の笑みを浮かべる。どうやら、東雲もここに集う面々を知っていたようだ。
見藤は呆気に取られながらも、そっと口を開いた。
「もしかして…………知らなかったのは、俺だけか?」
「「そうなりますね」」
こともなげに答えた二人の言葉は見事に重なった。
その後、久保はじっとりとした視線を見藤に送る。睨まれた見藤は思わず身を固めた。
「全く……。キヨさんから話を聞くまで、あの日――僕が街中で見かけた見藤さんは幽霊なんじゃないかって、後から怖くなって。相当、肝を冷やしましたよ?」
「生きてるぞ」
こともなげに答えた見藤。すると、久保はわっと声を上げ、東雲を指差した。
「だから! そういう所ですって! 東雲は僕の話を聞いて大泣きするし!」
「いやぁ、面目ない。私も霧子さんの神棚を任されたとき、覚悟しとったんで。正直、私も久保が視たのは見藤さんの幽霊かと」
照れ隠しのように頬を掻く東雲。しかし、彼女の言葉はその様子と正反対のものだ。
見藤は申し訳なさから眉を下げた。
「それは……、すまないことをしたな」
「おいおい! 俺にも謝罪が必要だろォ?」
足元から上がった声に、はっとする。そこにいたのは、窓辺で日向ぼっこをしていたはずの猫――、猫宮だ。彼は二又に裂けた尾を苛立ったように揺らしている。彼は見藤の目線の高さに合わせて、ぴょんと棚の上に飛び乗った。
「骨は拾ってやるとは言ったが、文字通りに誰があんなこと頼まれていい気がするってもンだ! ったくよォ!」
「それは本当にすまなかった……」
猫宮の訴えに、見藤はこれでもかという程眉を下げた。
すると、またも店内に響くのは新たな人物の訪問を知らせる声。
「お邪魔するわよ」
凛とした声に、見藤の目元は緩む。扉を見やれば、真っ先に声を上げたのは東雲だった。
「霧子さん~」
「東雲ちゃん! やっぱりここに来てたのね! これから時間あるかしら? 行きたいカフェがあって――」
「もちろんですよ!」
彼女たちの和気あいあいとした会話。賑やかさが一気に増した店内。――東雲は改装作業を手伝いに来たのでは? という久保のじっとりとした視線などお構いなしに、彼女たちの予定が決まってしまった。
東雲を連れて、店を出ようとした霧子。しかし、彼女は何かを思い出したかのように、ぴたりと足を止めた。振り返り、人差し指を立てて口を開く。
「あ、そう言えば。私の神棚は店内をよく見渡せる位置にしてよ?」
「……俺たちの住まいじゃ駄目なのか」
「駄目よ! 神棚だもの! 新しい拠点を見守るのも一興でしょ?」
「ソウデスネ……」
それは霧子からの要求だった。彼女が可愛らしく首を傾げてみせれば、見藤は肯定するしかなくなる。
すると、二人のやり取りを眺めていた東雲は戦慄きながら、久保の服の裾を引っ張った。
「なぁなぁ! 見藤さんが惚気とる……!!」
「もう! 準備に忙しいんで、外でやってもらえます!?」
途切れることない会話に、久保の叫び声が響き渡る。その声に驚いた猫宮が飛び跳ねて、うず高く積まれていた品を倒す始末で――。
「うわっ! 猫宮~!」
「うニャっ!! そこに置く方が悪いだろっ! ほら、婆さんが睨んでるぞ!」
「それはお前が店の中で暴れるからだ!」
見藤は目の前の光景に目元を綻ばせながら、そっと口を開く。
「まぁ……、怪奇な縁も悪くない」
そう呟いた言葉は、賑やかな店内の喧騒によってかき消された――。
日常と非日常が交わるとき、怪奇な出会いと別れは繰り返される。奇絶怪絶、奇々怪々。怪異が起こる、そのどれもが似たような意味を持つ。世にも奇妙な、常識では起こり得ない不思議な事実。
それらを情報統括する、不思議な顔を持つ小道具店は、名を改め――。
「怪異蒐集堂はどうだ? 久保くん」
「却下で」
新装開店準備中である。
【禁色たちの怪異奇譚 ~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異のお悩み、解決します~ 完結】
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。
処女作であるこの作品を無事に完結できたのも、ひとえに読んで下さった方々のお陰です。
少しだけ、あとがきもあります。よければご覧ください。
評価★や感想、レビューなど頂けましたら、今後の活力に繋がりますので、どうかよろしくお願いします。




