77話目 怪異ノ恋ウタ③
見藤は霧子を見つめながら、彼女の頬を伝った涙の跡を拭う。触れた頬は熱を帯びていた。
ふっと、目元を綻ばせて言葉を紡ぐ。――先程の言葉は噓偽りではい、と証明するために。
「それに、ほら――。顔が真っ赤だ」
「ばか!! からかわないでよ!!」
弾かれたように声を上げた霧子の瞳が、大きく揺らいだ。霧子は俯くと、時間を要しながらも少しずつ、絞り出すように言葉を紡ぎ始める。
「本当は――、東雲ちゃんが羨ましかったの」
溢れていく言葉と感情。彼女は思い出すかのように、視線を伏せた。長い髪が顔に掛かり、影を落とす。
「あの子のきっかけは、小さな女の子の憧れだったのかもしれない。だからこそ純粋に、あんたを想っていたわ」
見藤は何も語らず、じっと霧子の言葉に耳を傾ける。
「私は、あんな風にあんたを想えないもの……独占欲や嫉妬にまみれてる。人を憑り殺すこともいとわない――。これじゃ、本当に醜い怪物よ……」
自嘲じみた言葉に、見藤の胸が締め付けられる。しかし、気掛かりなことがあり、はたと彼女の名を呼んだ。
「あの、霧子さん――」
「なによ?」
「どうして、そこで東雲さんの名前が出てくるんだ……?」
「あんたって、ほんと……。怪異たらしな上に人たらし、ね」
水を差した見藤の率直な疑問の声に、霧子が小さく笑う。その笑みは自嘲的でありながらも、どこか愛らしいものだった。
見藤は一瞬、言葉に詰まる。だが、すぐに真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「何度も言うが――、霧子さんは霧子さんだ」
その言葉に、霧子の瞳から涙が零れ落ちる。
見藤はさらに言葉を重ねた。少しでも、霧子の心に届くことを願って――。
「それに――。そんな、あなたを愛した俺まで否定しないでくれ」
その言葉は寂しさを滲ませていた。
一瞬で迷いや疑いを消すことはできない。だが、愛した男を信じることは――できるだろう。言葉の呪いは綻びをきっかけにして、解けて行く――。
シーツを握る霧子の手が、ほんの少しだけ緩んだ。
「そ、んな風に言われたら――! 私は私を認めないといけないじゃない。随分と、素直に言うようになったのねっ……!!」
霧子は大きく声を上げる。彼女の頬はさらに紅潮し、恥ずかしさを隠すようにシーツを頭からすっぽり被ってしまった。そんな可愛らしい行動に、見藤からは笑いが溢れ出す。
「ふっ……、あっはっは」
「それに、そんな風に笑うなんて――!」
シーツからほんの少しだけ顔を覗かせた霧子。拗ねたように口先を尖らせ、頬を膨らませている。だが、その瞳には温かな灯りが宿り始めていた。
霧子は目を伏せて、そっと言葉を紡ぐ。
「ええ……、そうよ。そんな、あんたを愛したのは私よ……」
「光栄だな」
「またそうやって、からかう!」
「痛っ……」
霧子が軽く見藤の腕を叩く。その仕草は、まるでいつもの霧子に戻ったかのようだった。だが、事あるごとに彼女の手首に残る絞痕が目に入り、見藤の笑みが曇る。痛々しい傷跡は彼女が耐えた苦しみを物語っていた。
そっと傷に触れ、労わるように指を滑らせる。そうして、真剣な眼差しを向けた。
「霧子さんが抱く愛も、嫉妬も全て――霧子さんの感情だ。俺はそれを――、全てを愛してる」
言い直した言葉。心情など滅多に口にしない、不器用な男が紡ぐ言葉。それは誓いだ。
霧子の瞳が大きく見開かれる。すると、見藤は真剣な眼差しから一変。不安げに瞳を揺らした。
「ただ……、俺は狡い人間だ。ガキの頃はあなたの自由を願っていたはずなのに……。あなたに名を与えて、俺に繋がる楔とした」
見藤は霧子の手を取る。――語ったのは今まで吐露することのなかった、霧子へ抱いていた心情。
「それだけじゃない……、社もそうだ。こうして、あなたを繋ぎ止めるために社を構えて、御霊分けをして――」
見藤は語る。霧子のためを思って行動したことが自身も預かり知らぬうちに、彼女への独占欲となっていたこと。
「それに――。俺の寿命が尽きても、霧子さんを想う心は在り続ける。そのために契りを交わしたんだ」
それは決して揺るがない契り。見藤は真っすぐに伝える。言葉に想いと激情を乗せて――。
「俺に何があっても、俺の魂は霧子さんの元へ還る」
霧子が息を呑む音が耳に届く。――いずれ、その時がくれば死がふたりを別つ。霧子は再び集団認知に晒されるだろう。そうなれば、再び繰り返されるのは悲劇。
見藤は吐露する。
「だから――後にも先にも、霧子さんを愛するのは俺だけだ」
紫黒色の瞳に嫉妬と独占欲を滲ませながら、そう口にした。――この先、現れるはずもない、霧子を想う誰か。そのような存在にまで、嫉妬と怒りの矛先を向けたのだ。
見藤は手にした霧子の手の甲に、そっと唇を落とす。
「こうして霧子さんに触れるのも、俺だけだと。そう、請い願うのは……傲慢だろうか?」
許しを請うような眼差しを霧子へ向ける。
見藤から面と向かって愛慕の情を告げられれば、気恥ずかしいものがあるのだろう。霧子はそれを隠すかのように、そっぽを向いた。
そうして、しばらくの静寂の後。霧子はそっと呟く。
「……その言い方は、狡いわよ」
「ふはっ! こうでも言わないと、俺の言葉を信じてもらえないだろう?」
「そ、そんなことないわ……」
冗談めかして言い放つ見藤を、霧子はじっとりとした目で見やる。しかし、見藤が幼さを残した笑みを向ければ、強く否定できないようで――。徐々に声が小さくなっていった。
霧子の中に渦巻いていた疑念と心の傷を、少しでも癒すことはできたのだろうか――。 それが成されたことを願いながら、見藤は霧子の顔にかかった長い髪をよけてやる。
「とても――、嬉しかった」
見藤の耳に届く、小さな声で呟かれた言葉。弾かれたように目を見開いた。
――それは霧子の感情。
ひとりの男の独占欲と盲愛を受け入れた彼女は、集団認知でつくられた自らを否定したのだ。それは見藤の言葉を証明する、なによりの証拠だった。
途端、見藤は沸き上がるような愛念を抱く。しかし、優先させるのは霧子の容体だと、邪念を振り払うかのように首を横にふった。
「それで、傷は……?」
「社に戻れば消えるわ」
「そうか……。いや……、霧子さん。少し待ってくれ、傷を冷やそう」
言い残して、見藤は一度、退室した。冷たい水で濡らした布巾を手にして戻る。霧子の体に付着した土汚れを落とし、清潔な布巾で鬱血した絞痕を優しく拭いていく――。
しばらく、霧子はされるがままだった。だが、恥ずかしさから居たたまれなくなったのだろう。ついに声を上げる。
「ちょっと、丁寧すぎない……?」
「そんなことはない。これでも妥協しているくらいだ」
「もう……」
間髪入れず見藤が答えた。止めるつもりは毛頭ない。霧子はそれを察したのか、何も言うことはなくなった。
そうして、一通り霧子の身を清めた後――。ようやく訪れる、休息の時間。
見藤は布巾を片付けようと、おもむろに立ち上がる。ベッドに座る霧子に視線を落とし、声を掛けた。
「ゆっくり休もう」
「ええ、そうするわ……」
霧子が小さく頷いた。彼女はそこでふと視線を上げ、どこか躊躇いながら口を開く。
「ね。一緒に眠るのは……、ダメ?」
「……………………」
唐突に放たれた言葉に、見藤は身を固めた。霧子の瞳は不安そうに揺れている。だがそれと同時に見藤を求めるような視線を送っている。
見藤は困ったように眉を下げ、天を仰いだ。しばしの沈黙の後、意を決したように口を開く。
「傷を癒すために社へ戻って下サイ」
「むぅ……」
頬を膨らませた霧子をじっと見つめる。口を尖らせ、不服であると目で訴えかけている。霧子は見藤へ手を伸ばした。
くん、と袖を引かれた見藤は得も言われぬ表情を浮かべながら――。
「…………、一旦」
「……!!」
嬉々として社へ還る霧子を、見藤は見送ったのだった。
お互いに激重感情を吐露するの、楽しい……。
見藤が最後に解決した「怪異のお悩み」は最愛である霧子の悩み、というお話でした。




