75話目 目覚める怒り
「見藤さん、どういうことですか!」
「霧子さんに、何があったんですか!?」
再び上がった久保と東雲の声が、見藤を現実に引き戻す。しかし、彼らからの問いに、答えられるものは何もなく――。見藤は、ばつが悪そうに視線を逸らす。
ようやく開いた口からは、掠れた声が溢れた。
「……家の事情というやつだ。それに霧子さんを――、巻き込んでしまった」
それが精一杯の言葉だった。手にした、霧子の髪の束に視線を落とす。痛んだ髪は霧子の現状を知らしめるための物だろう。それは、まるで霧子が最後に残した悲痛な叫びのようだった。
――霧子は本家に囚われた。そう考えるのが妥当だ。見藤の心に暗い影を落とす。
途端、事務所に響き渡ったのは久保の声だ。
「あぁ、もう!! 腹が立つ!」
「え、ちょっ……! 久保!」
「東雲は黙ってて!」
久保がさらに大きく声を上げた。その言葉通り、怒りを露わにしている。彼の勢いに、東雲は困惑しながらも、制止しようと袖口を引っ張った。
だが、久保は止まらない。東雲の言葉を遮り、一気にまくし立る。
「もう、我慢しません!! 話してもらいますからねっ! お節介だと言われようと、関係ないと突っぱねられようと! 今日という今日は!」
「久保くん……」
「あんた、いつもそうやって抱え込んで! 確かに? 僕や東雲はあんたから見れば、ケツの青い子どもですよ。でも僕達だって――」
そこで久保は言いよどむ。――どこまで、見藤の内側に踏み込んでいいのだろうか。今更ながら、躊躇した。
久保と東雲は知っている。見藤と霧子の縁が切られたとき、事務所に絶え間なく届いていた式。それは見藤の所在を探すものだと知った――。さらに先程、目にした烏の言葉。
見藤が何かに巻き込まれていることは、十分に想像できる。だが、その核心に触れるには、見藤が抱える問題を知らなさ過ぎた。それ故の苛立ち、疎外感。「助手として、頼ってくれ」と言葉にするには、平静さを欠いていた。
だが――、見藤には伝わった。
「久保くん」
「何ですかっ!? 話す気になりました!?」
「ありがとう」
霧子の髪の束を優しく握りながら、目元を緩ませる見藤。いつになく率直な言葉を口にした彼に、久保の表情は仏頂面に変わる。
「う……、騙されませんからね!」
「ははっ……」
苦笑する見藤の声音には、どこか疲れが滲む。
「今回ばかりは、見藤の負けだなァ」
「猫宮……」
ことの成り行きを見守っていた猫宮は呆れたように鼻を鳴らした。東雲も、ほっと胸を撫で下ろした様子で、久保の袖口を離す。そんな彼女を目にした久保は申し訳なさそうに、謝罪をしていた。――東雲から、じっとりとした目で睨まれたのは必然だろう。
見藤を放っておけない。助手として頼って欲しい――、その気持ちは東雲も同じだった。
そうして、喧騒が落ち着いた頃。
見藤と久保は向かい合わせにソファーへ腰掛けた。見藤は大きな溜め息を付きながら、口を開く。
「少し、頭の中を整理する時間が欲しい……」
「分かりました」
久保の力強い返答に、見藤は眉を下げる。思考に身を投じれば、自ずと浮かぶのは霧子の行動についてだ。
(俺を連れ戻すにしても、霧子さんの存在は本家の連中に勘づかれていなかったはずだ――。そもそも何故、霧子さんはわざわざ桐箱を壊した? 何故、ひとりで姿を消した? この違和感、どこかで――。何故、芦屋は『枯れない牛鬼の手』を保管していた箱をわざわざ変えた?)
霧子がひとりで行動を起こすときは大抵、見藤の身が絡んでいる。その起因は、芦屋から譲り受けた『枯れない牛鬼の手』だ。
しかし、中身は持ち主に返し終え、残ったのは空になった桐箱。その箱に仕掛けが施されていたとしたら――霧子が桐箱を破壊し、報復するために姿を消したのだと予測がつく。
――人を疑うのは簡単だ。信用する方が難しい。
しかし、一度でも信用した相手ならば――、疑うには良心の呵責に苛まれる。それを逆手に取れば、暗躍するのはいとも容易いだろう。
見藤の脳裏に浮かぶのは、芦屋の姿。若くして当主という重責を背負いながらも、斑鳩を慕い年相応の笑みを浮かべる青年。彼の真意は別にあったのだと気付くには遅すぎた。
――途端、牛鬼の忠告が脳裏に蘇る。
(してやられた、という訳か……)
心の内に呟いた言葉は暗闇に消えた。
見藤は打ち明ける。
怒れる牛鬼の依頼を完遂するために、芦屋との接触を是としたこと。さらに、彼の依頼を請け負い、斑鳩と共に共同作戦に望んだこと。
牛鬼の依頼を完遂した折に、芦屋家について忠告を受けたこと。――それと、ほんの少しだけ。呪い師たちのことを伝えた。
「と、いう訳なんだ――」
「見藤さん……、何というか」
一連の出来事を知った久保から出た言葉は、呆れにも似たものだった。すると、見藤の隣で寝そべっていた猫宮が声を上げる。
「見藤ォ、お前。牛鬼の忠告を聞かなかったのかァ? 言われてたンだろ? 芦屋に気を付けろってなァ」
「それは……、不徳の致すところだ」
「ったくよォ」
呆れ返ったような猫宮の言葉に、見藤は項垂れている。
すると、久保と東雲は身を屈め、こそこそと話始めた。先に口を開いたのは東雲だ。
「なぁ、うちらが思うてたよりも、見藤さんって――」
「うん、良家の出身っぽいよな……」
「あれや……。由緒正しいお家柄。しきたりやら、確執やらに辟易としてた見藤さん。挙句の果てには、身に覚えのない許嫁なんかも出てきて、最終的には霧子さんと駆け落ちしたっていう――。これ、辻褄が合うと思わん?」
「どんな愛憎ドラマだよ……」
久保の呆れ返った言葉がやけに大きく響いた。そこに大きな溜め息がひとつ。久保と東雲が肩を大きく震わせ、見藤を見やると――。
辟易とした表情を浮かべた見藤が、じっとりと視線を送っていた。
「こら。聞こえてるぞ、君たち」
「いやぁ、あはは……」
「すみません……」
見藤の咎めるような声音に、二人は肩をすくませる。気まずい雰囲気を払拭しようと、東雲は大きく咳払いをした。
「ご、ごほん……! 私はやっぱり、あの兄さん。黒やと思いますけど?」
「僕も東雲の意見に一票」
――やはり、そうなるか。と見藤は眉間を押さえる。今更ながら、芦屋のやけに大袈裟な言動が、違和感として尾を引く。
久保は小さく溜め息をつくと、口を開いた。
「それにしても――。僕らでさえ、芦屋さんを警戒していたのに。まさか、見藤さんの方からお近付きになっていたなんて」
「面目ない……」
チクチクと見藤を刺す、久保の言葉と視線。見藤はその視線から逃れるように、顔を背けた。
久保は言葉を続ける。
「とにかく……。一度、芦屋さんの真意を確認した方が良さそうですね。追及すれば、意外に答えてくれるかも」
「そう、なるよな……」
「見藤さん……」
相槌を打った見藤の声音が、どこか哀愁を感じさせたのだろう。――信用した相手に、裏切られたようなものなのだ。
久保の心配するような視線と声音。
「ん? あぁ、問題ない。人の狡猾さはよく知っている。もちろん、君たちのような――良い奴がいるってこともだ」
見藤は困ったように笑ってみせる。久保と東雲は安堵の表情を浮かべ、力強く頷いた。
しかし、見藤の中には残った疑念が燻っていた。
(だが、芦屋は俺に本家の連中の情報を流していた……。一体、何が目的なんだ……)
見藤は早々に芦屋と連絡を取る。すると意外にも、彼はすんなりと予定を取り付けたのだ。
芦屋の思惑は一体、何であるのか――。見藤の懐疑の念は増すばかりだ。
思考の渦から引き上げたのは、久保のひと言だった。
「見藤さん……。霧子さんと一緒に帰って来ますよね? ここに」
「ん? ああ、もちろんだ」
彼の不安を払拭するかのように、見藤はこともなげに返答する。
見藤と霧子が帰り着く場所はいつも事務所だと、力強く頷いて見せた。その力強い頷きに、久保は安心したようだ。強張っていた表情が少しだけ緩む。
見藤は頬を掻くと、久保と東雲を見やった。
「君たちも忙しくなるだろう? 落ち着いたら――また、よろしく頼むよ」
「「はい!」」
元気よく返事をした二人を見れば、自ずと目元が下がる。
久保と東雲は身支度を終え、帰路に着こうと壊れたままの扉へ向かう。
「それでは、また来ますね。見藤さん」
「ああ、またな。久保くん、東雲さん」
再会を約束し、別れの言葉を互いに口にした。




