73話目 悔恨を晴らすは己が為②
静かに、淡々と語った牛鬼。それは予想だにしなかった、師の想いを紡ぐものだった。
見藤は驚愕の表情を浮かべる。
「なんだ、その話は……」
「聞かされていないのか」
「なにも――」
「知らぬは罪よな。いや、知らぬのも救いか――」
意味深に呟かれた言葉。見藤はただ黙ったまま、俯く。牛鬼はさらに言葉を続ける。
「人は自分と異なる者に酷く排他的になる。故に『大御神の落し物』を宿した次代の子が不遇な環境に置かれることは予想がつく。頭目はそれを憂いていたからな……」
見藤はその言葉に思い当たる節があった。
『大御神の落し物』と呼ばれる眼は、人にのみ顕れる。――見藤は血の繋がった両親を知らない。知らなくとも、特に何も感じなかった。己にはそう言った感情が欠如していると、どこか他人事のように感じていた。
あの村に囲われ見藤家の人間として育ったのだ。血筋はおそらく見藤家なのだろうと、ぼんやりと考える。そして、思い出す。あの村で向けられていた、恐れと差別的な眼差し。
もしかしたら、両親は件の眼を疎み、自分を捨てたのかもしれない。もしかしたら、両親が分家の人間だとして、呪いを返された時の捨て駒として早くに他界したのかもしれない。――最早、真実など見藤にとって些細なことでしかなかった。
自身の出自に価値を見出す必要がないと思えるほど、師である牛鬼から受けた愛情は、親から与えられるはずの愛情だった。彼はあの日まで、多くの愛情と知識を与えてくれた。そして、見藤自身も無意識のうちに、愛情に応えようとしていた。
その想いは尊く、何ものにも代え難い。――忌み嫌っていたはずの深紫色の眼が繋いだ縁に、初めて温かな感情を抱く。
「はっ、……」
その事実に気付いたとき。頬を伝うのは、あの時流せなかった涙だ。
――見藤は頬を伝う涙を乱暴に拭う。
「今さら、泣けるのか……。俺は酷い奴だな……」
小さく呟いた声は掠れ、最後の言葉は震えていた。
皮肉を口にした見藤を見守る、目の前の牛鬼の眼は優しさに満ちていた。彼はそっと、語り掛ける。
「人が泣くのは己の為だ。親愛なる者の死を受け止められず、悲しみ、自分の心の内をさらけ出す。そうして、また明日を迎える準備をするのだ。だからこそ人は脆く、儚く。そして、意地らしいと頭目は言っていた。……何も、おかしな事ではないよ」
見藤は一際大きく息を吐く。それは今日まで抱えていた悔恨を吐き出すかのようで――。
そして、牛鬼は一呼吸おくと、静かに呟いた。
「お前はようやく、自分の為に泣けたのだろうな」
「くそ、っ……、うぐっ」
一度溢れ出した涙を止める術を、見藤は知らない。その牛鬼の言葉に見藤は奥歯を食いしばりながら、少しばかりの時間、嗚咽を漏らした。
そんな見藤の様子を、隣に座る霧子は慈愛の眼差しで見つめていた。
◇
――――どれだけの時間、涙を流していたのだろうか。
その頃には見藤の眼瞼は見事に赤く腫れ、鼻先も赤くなっていた。最後に大きく鼻をかむと、タイミング良く霧子が氷嚢を手に戻ってきた。
見藤は無言のままだ。年甲斐もなく、霧子と牛鬼の前で涙を流したことが、後になって羞恥心を煽ってくる。霧子と目が合うと、眉を寄せて不甲斐ない己に悪態をついた。
「涙腺が馬鹿になったのかと思った……くそっ」
「ふふっ、面白いわね」
霧子は慈愛に満ちた笑みを浮かべている。気まずそうに氷嚢を受け取った見藤は未だ鼻を鳴らしていた。――普段であれば決して弱さを見せない。そうさせたのは、やはり牛鬼の存在が大きかった。個は違えど、師である牛鬼の同族として、見藤なりに思う所があったのだ。
見藤と霧子、二人の様子を眺めていた牛鬼。目じりに深い皺を刻み、豪快な笑い声を上げる。
「ふはは、よいよい。これで坊主の悔恨の情も少しは軽くなったか?」
「うぃ」
少し涙声の返答がやけに大きく響いた。見藤は乱雑に目を擦る。ひりついた瞼の感覚がやけに鋭く感じられ、痛みに眉を寄せる。
すると、牛鬼は立ち上がった。見藤は何事かと、首を傾げるが――。牛鬼が見藤の頭を撫でたのだ。それは些か乱暴で、髪が乱れる。喉の奥が痞える感覚を無理やり飲み込んだ。
「っ……」
「はっはっは、よいよい。坊主はよくやった」
牛鬼の豪快な笑い声と共に――、見藤は酷く懐かしい感覚に浸る。腹の底から沸き上がる、得も言われぬ感情。縛り付け、抑えていた感情が解けていく。
牛鬼は満足するまで頭を撫で終えたのだろう。鼻を鳴らすと、再び腰を下ろした。
「我らからすれば瞬く間の時間も、坊主にしてみれば長き時よな」
豪快に笑う牛鬼。その笑い方も、話し方も――、師である牛鬼を思い出させるのだ。見藤はじんわりと視界が滲むのを必死に堪える。
すると、目の前の牛鬼は見藤の胸中を察したかのように、笑って見せた。
「なぁに、我ら牛鬼は皆、血族だ。似るのは必然よ。頭目は儂の兄だ」
「そう……、だったのか」
「して、お前は頭目――、いや。兄者の忘れ形見となるな」
「……、複雑な気分だ」
しみじみと語る牛鬼。見藤は思わずして得た縁に、複雑な感情を抱く。どう受け止めればよいのか分からず、仏頂面に表情を変えた。
しばらくして、見藤はぽつりと言葉を溢す。それは心の片隅にあったものだ。
「名を……、贈ろうと考えていたんだ」
「ほう。それは兄者も大層、喜んだだろうな……。しかし、兄者は受け取らなかっただろう?」
牛鬼からの意外な言葉だった。喜ぶ、というのは些か語弊があるようにも思え、首を傾げる。見藤の記憶にある出来事――、師である牛鬼は決して名を受け取ろうとしなかった。
すると、牛鬼は大きな角をもたげた。
「我らは個に名を必要としない、名は楔にもなる。贈った相手にもな。兄者はお前の自由を願ったのだ」
――奇しくも、見藤は呪い師という生き方に縛られ、牛鬼が願った「自由」には齟齬が生じてしまった。
しかし、牛鬼が願った「幸せ」というならば、既に手にしている。見藤はちらりと隣に座る霧子を見やった。視線を牛鬼に戻すと、重く口を開く。
「……分かっている。でも、贈りたかった……。それは叶わなかったが――」
「そうか。その名は大事に、しまっておくといい」
牛鬼の言葉は、見藤の胸にじんわりと染み込んでいく。心の片隅――、ここにあって良いのだと僅かに口元が緩む。
すると、牛鬼は考える仕草をして見せる。何事かと見藤が注視していると――。
「ところで――、お前は名を慎と言うのか。よい名をもらったな。心で真を視る、眼だ。その眼を腐らせぬよう精進するがいい」
「その眼はもう――」
「馬鹿者。人の世で物事の本質を見る分には『大御神の落し物』は不要だろう。お前自身の慧眼の問題だ」
霧子に呼ばれた名を、牛鬼はしかと聞いていたようだ。突然、呼ばれた自身の名に、見藤は困惑しながらも答える。すると、説き聞かせるような牛鬼の物言いに、反応したのは霧子だ。
霧子は柔らかな表情から一変、凍てついた視線で牛鬼を射す。彼女は見藤と牛鬼の会話をただ黙って聞いていた。見藤の心情を優先したのだろう。だが、説教ともなると――、話は別のようだ。
牛鬼は気まずそうに咳払いをひとつ。
「まぁ、なんだ。我らは人を酷く嫌い、祟る。しかし、お前は別だ。何かしら困った事があれば、手を貸そう」
驚きのあまり、言葉を失ったのは見藤だ。それに対して、霧子は拗ねたようにぷいと顔を逸らしたのだった。
「お前は兄者の飯を食って育ったのだろう。お前からする匂いは、我ら同族のものだ。同族であれば、助力は惜しまん」
牛鬼の言葉を受け、見藤の脳裏に思い出したことがあった。この牛鬼が怒りに呑まれそうになりながらも、事務所を訪ねてきたときだ。彼は見藤に「懐かしい匂いがする」と、疑問を投げかけていた。
(あの言葉はそういう意味だったのか……)
匂うのかと、袖口に鼻を寄せる。しかし、特に変わった匂いがする訳でもなく――、複雑な表情を浮かべる見藤。すると、牛鬼は豪快に笑って見せた。
「ふはは、人には分からんよ。分かるのは同族だけだ。それに匂いと言っても、気配のようなものだ」
見藤は困惑した表情を浮かべ、霧子を見やる。しかし、霧子にもその気配というのは分からないようで首を横に振ったのだった。
牛鬼はさらに言葉を続ける。
「そして、それは黄泉戸喫と似た性質を持つことを肝に命じておくといい」
「それは――」
「皆までは言わん。儂まで掟に触れたくはないからな」
見藤が言おうとした言葉を牛鬼は遮った。掟という言葉に、見藤は押し黙る他なく。――不思議なことに。霧子へ『大御神の落とし物』の力を譲渡しても、怪異を視る素質が失われなかったことに、今さらながら合点がいった。
険しい表情を浮かべたまま、思考の渦に浸る見藤。そんな彼を霧子はじっと見つめていた――。
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