72話目 隠匿されし詭計と憂いごと
見藤は待つことを余儀なくされていた。
報酬の品として『枯れない牛鬼の手』を譲り受けることに変わりはない。しかし、呪物と呼ぶに相応しいものを、人目に触れるような形で持ち運ぶことは憚られると、芦屋は数日の猶予を申し出たのだ。
長雨が続く季節。見藤は窓から見える雨露をじっと眺めていた。事務所には霧子の姿もあり、彼女はソファーに腰かけて雑誌に目を通している。
雨は止む気配がない。見藤は窓の縁に手を掛け、空を見上げていた。すると、そこへ音もなく現れた蛇の姿。眉を寄せ、何事かと注視する。
「……ん?」
雨粒と共に舞い込んだのは蛇の姿を模した式だった。式は体の所々が紫色の斑点を宿し、その色彩は彼の髪色を彷彿とさせる。すると、白蛇は頭をもたげ口を開いた。
『是非とも、私共の邸宅へお越し下さい。ご要望の品を用意しております』
白蛇が発した声は芦屋のものだ。電話ではなく、わざわざ式を用いて連絡を寄越すとは――。見藤が耳を傾けていると、式は姿を地図へと変えた。面妖な光景に、ぽつりと言葉を溢す。
「これはまた……、ご丁寧に」
隠匿の呪いを司る芦屋家のことだ。当主ともなれば、身の安全を考慮し、邸宅に隠匿の呪いを施していたとしても不思議ではない。おおよそ、この地図は招待状だ。
(名家当主ともなると、呪物をおいそれと持ち運ぶことはできない、か……)
見藤は地図を拾い上げると、頬を掻く。これから起こるであろう出来事を予見し、深い溜め息が出た。――芦屋の羨望の眼差しや、やけに大袈裟な物言いが苦手だ。しかし、『枯れない牛鬼の手』を譲り受けるには、芦屋邸へ赴かなくてはならない。それは避けようのないことだろう。――背に腹は代えられない。
見藤は日時を連絡しようと、足取り重く事務机まで移動する。手に取った受話器が重たく感じるのは気のせいだろうか、と再び溜め息をつく。
すると、その様子を眺めていた霧子が不意に声を掛けた。
「……行くの?」
「あぁ、芦屋家当主の招待ともなると――。出向いた方がいいだろう」
「むぅ……」
口を尖らせた霧子に、見藤の眉は下がる。
そもそも、霧子は怒れる牛鬼の依頼を快く思っていないのだろう。見藤と牛鬼の隠された因縁を慮り、何も口を出さないだけだ。しかしそうなると、少ない時間の中で、芦屋に割く時間というのは別問題だ。
見藤は一旦、受話器を置き直す。霧子を見やると、彼女は思い詰めた表情を浮かべている。怪訝に思い、そっと声を掛ける。
「……? どうしたんだ、霧子さん」
「なんでもないわ」
「拗ねてる……のか?」
「ち、違うわよ!」
声を上げた霧子は雑誌を勢いよく閉じて、社に還ってしまった。
どうやら、見藤は的外れな言葉を掛けてしまったようだ。神棚で揺れる紙垂をじっと見つめながら、頬を掻いた――。
◇
芦屋と連絡を取り、その日が訪れるまで。さほど時間は掛からなかった。
白蛇の地図を手に、見藤は道筋の通りに歩みを進める。すると、一見すればごく普通の住宅に辿り着いた。しかし、見藤の目から見れば不自然なほどに周囲の景色に溶け込んでいる。
ここで合っているのかと、疑問に思う。白蛇の地図を確認しようと手元に視線を落とした。すると、不意に視界がかすみ、眉間に皺を寄せる。
(目が霞む……。疲れがたまっているのかもな……。いつも以上に文字が見え辛い)
思い返せば、多忙な日々だった。ようやく、ここまで来た。怒れる牛鬼の依頼――、なんとしても完遂しなければ、という思いがあった。それは依頼だから、という理由だけではない。見藤自身が、無くした左手を持ち主の元に返してやりたいと願ったのだ。
見藤は眉間を押さえると、軽く首を左右に振った。そうすれば、多少なりとも視界が明瞭に映る。もうひとつ、小さく溜め息をつくと再び足を進めた。
白蛇の地図は少し先を指し示す。地図上を蛇の影が這う。目的地は後少しだと、急かすように動く。
そうして一歩、足を踏み入れると――。
「あぁ、よくおいで下さいました」
「ご当主……、ですから――」
「いえいえ。私がしたくて、しているのです」
出迎えたのは芦屋だった。名家当主、直々の出迎えに見藤はこれでもかと眉を下げる。
見藤が足を踏み入れると、閑静な住宅地にあるとは思えない程、古風な日本家屋が目に飛び込んできた。どうやら、芦屋邸は隠匿の呪いでその全てを覆われているようだ。
芦屋は声を弾ませており、楽しそうに笑う。見藤とは酷く対照的だ。断りを入れると、彼は悪戯な表情を浮かべて口を開く。
「お待ちしておりましたよ」
「……お待たせして、しまい――」
「ふふ、形式上のご挨拶はこの辺りで終いに致しましょう。さぁさ、こちらへ」
おずおずと答えた見藤を余所に、芦屋は屋敷に招き入れようと手を差し出した――。
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