71話目 救いの手、そして仰望②
腑に落ちない点がひとつ。何故、芦屋は見藤がその呪いを返したのだと断定できたのだろうか。
見藤はさらに眉を寄せた。――胃痛は増すばかりだ。すると、顔色を悪くした見藤とは対照的に、芦屋はすぐに柔和な笑みに表情を浮かべる。
芦屋は声を弾ませながら、楽しげに語る。
「あぁ、大河君からの告げ口ですよ。当時は社会問題にまで発展しそうな火種でしたから、斑鳩家の捜査の対象だったようです。その折に、件の話を聞きまして、興味を持ったのです。ですが、その直後に当主交代。色々ありまして、すっかり記憶の彼方に――」
芦屋が語ったのは芦屋家に起きた過去の出来事。恐らく、芦屋は旧体制に懐疑的な感情を抱いていたのだろう。先の会合において、見藤が目にした賀茂家派閥からの脱却、斑鳩家との繋がり。
見藤が想像するだけでも、彼の気苦労は計り知れない。しかし、引っ掛かることがあった。――斑鳩からの告げ口という言葉だ。
(……あの野郎、余計な話を)
見藤は小さく舌打ちをした。豪快に笑う友の顔が脳裏に浮かんだ。
すると、芦屋は眉を下げ、困ったような表情を浮かべている。どうやら、舌打ちが聞こえていたようだ。
「怒らないであげて下さい、私が教えて欲しいと頼み込んだのですから。会合の時、呪詛を素手で祓った貴方はきっと――」
その先の言葉を芦屋が紡ぐことはなかった。ふっと目を伏せ、美麗な顔は憂いに満ちていた。
見藤は沈黙を受け入れる。――だが、疑問は尽きない。
しばらく経った後、見藤はそっと口を開く。
「しかし、ご当主。一体何故、私にその話を……?」
「えぇと、そうですね……。まぁ、私としては大いに助かりました、と感謝をお伝えしようと。お陰様で今は芦屋家当主ですから。旧体制をひっくり返せるだけの実権を握る事ができました。何の因果が働いたのか……、こうして貴方に出会えるとはとても面白い」
見藤の問いにそう語った芦屋は微笑む。それはどこか底知れない何かを感じさせる笑みだった。しかし――、その次には影を落とす。
「店じまいですよ。もう、疲れたのです」
哀愁を帯びた声音が事務所に響く。芦屋は隠していた心情を吐露したのだった。
「宗教にすがり、存在しない神にすがり、人にすがり……。自らの頭で考えることを止めてしまった人達を見るのは……もう、疲れました」
芦屋は消え入りそうな声でそう言った。彼の本心、彼もまた人の醜い一面を見続けたのだろう。芦屋家は宗教を傘に、力を振るう名家だった。
見藤は昔、キヨから教示された名家の情報を無理やり引き出す。だが、それ以上思い出すものは何もなく、徒労に終わった。
芦屋は見藤の紫黒の瞳をじっと見つめる。それはどこか意味ありげな仕草にも見て取れた。だが、その理由は分からない。見藤はじっと、その視線を受け入れる他なかった。
「それに私は、私の救いを見出しましたので。呪物『枯れない牛鬼の手』という武器は、今の芦屋家には不要なのです」
にこり、と笑って見せた彼の表情はとても晴れやかだった。
◇
見藤と芦屋の談話は続く。
窓を叩く雨音が心地よいのか、芦屋はそっと目を閉じた。そのまま、彼は心情を吐露する。
「貴方に抱いた仰望も、間違いではなかった」
消え入りそうな声で言葉を紡いだ。その言葉が何を意味しているのか――、見藤には分からなかった。ただ、大袈裟な物言いだと気まずさから視線を逸らす。
すると、芦屋は何かを思い出したのか。はたと顔を上げ、見藤へ視線を送った。
「そうです、ひとつお耳に入れておきたく……。先の会合でのことです」
「……会合」
「えぇ」
言葉を反芻した見藤に、芦屋は力強く頷く。
「見藤家との密談のとき――。彼らは人を探していました」
「…………」
芦屋の言葉に、見藤は喉がつかえた。
よもや、会合において芦屋家は斑鳩家とキヨに協力関係を示し、賀茂派閥と対立を明確化したにも関わらず。見藤本家が芦屋に接触を図っていたとは、思いもよらなかった。更に、それを芦屋の口から聞くことになろうとは――。
見藤は予期せぬ情報に眉を寄せた。そもそも、見藤本家の動向を知るために会合へ赴いたのだ。結果得たのは、見藤本家の現状という情報だけではなかったが――。
心の内に、悪態をつく。
(奴らの目的はおおよそ想像がつく)
見藤は黙ったまま、芦屋の次の言葉を待った。その意を汲んだように、芦屋は密談での内容を語る。
「貴方のように呪いに秀でた特異。『大御神の落とし物』である深紫色の眼を持つ、見藤家の人を」
じっと、見藤を見据える芦屋。先の言葉は意味深で、どうやら探りを入れているようだ。しかし、芦屋は真意を明言する訳でもなく、ただ口を閉ざしている。
見藤はどう答えるのが最善か、判断できずにいた。ようやく口を開いたが、思うような言葉が出て来ず口ごもる。
「それは――」
「あぁ、いえ。別に貴方がそう、だとは言っていません。あくまでも、私がそうであればいいなと思った次第ですから」
言葉の先を遮ったのは他でもない、芦屋だ。この場が作中作であるかのように語る。彼の言動はあまりにも、分かりやすい。――芦屋は答えに辿り着いたのだ。見藤が『大御神の落とし物』の持ち主だったという確信に至った。
見藤の脳裏によぎる一抹の不安。――見藤本家に所在を知られる訳にはいかない。奥歯を強く噛み締め、目を伏せた。
そこでふと、抱いた違和感。思い返せば、芦屋の物言いは、はぐらかすものだった。
(しかし……、芦屋家当主は何故、素知らぬふりをした? 信用、してもいいのか……?)
見藤が抱いた僅かな期待。しかし、これまでに経験した苦い思いからして、直ぐに答えを出すことは出来なかった。
すると、芦屋は憂いに満ちた声音で語り始める。
「『先導者』などと仰々しいものではなく。もっと身近で、親しみやすい。そんな貴方は――」
「……?」
「独り言です、お気になさらず。貴方はキヨさんの後継です。そうでしょう?」
首を傾げた見藤に対して、微笑んで見せた芦屋。彼の真意が分からず、見藤は怪訝な表情を浮かべた。
見藤は頭の片隅にあった記憶を呼び起こす。
先の会合で明らかにされた人の世において『大御神の落し物』と呼ばれる神の遺物を身に宿した者。それは『先導者』と謳われ、人の世に過大な影響を及ぼした。芦屋家は『先導者』を信仰している。
しかし、目の前の芦屋はそれを否定するかのような言動を取った。名家の武器とも言える呪物の譲渡、宗教的権威からの脱却。それは先程、芦屋が吐露した心情に基づくのだろう。
それを語る理由。見藤は理解が及ばず、つい正直な言葉を口にした。
「……それを、私に話して――。ご当主の利になりますか?」
「えっと……。他意はないのですが、その言葉は少し傷つきますね」
答えた芦屋は年相応な表情を浮かべ、眉をこれでもかと下げた。見藤はしまったと、顔を青くする。
すると、芦屋はくすくすと笑いを堪えきれない様子だ。ひとしきり笑い終えると、今度は真面目な視線を送る。
「本当は弟子にして頂きたいくらいです」
「お断りします……」
見藤は即座にそう答えた。すると、芦屋は――。
「ふふっ、残念ですね」
この期に及んで冗談めかして話す芦屋。それはキヨにも似た物言い。当主ともなればここまでの器が必要とされるのか、と得も言われぬものを感じ取った見藤だった。
芦屋はまたも表情を変え、今度は申し訳なさそうに口を開いた。
「報酬の品につきましては後日、連絡致しますので。流石に、呪物を易々と持ち運べるものでもなくて……」
「……畏まりました」
芦屋が言うことはもっともだ。見藤は承諾する他ない。しかし、これで『枯れない牛鬼の手』を入手する算段がついた。張り詰めていた緊張の糸が緩む。
見藤は芦屋に頭を下げ、重く口を開いた。
「それでは、よろしくお願い致します」
「えぇ、失礼いたします」
「ご当主、傘を――」
「あぁ、これは! ありがとうございます」
事務所を後にする芦屋へ、見藤は傘を手渡した。雨が止む気配はない。
雨足が強まる――。扉を閉める寸前、芦屋は何か言葉を口にしたようだ。しかし、激しさを増した雨が窓を叩く音によってかき消され、見藤の耳に届くことはなく――。ここで引き留めるのも憚られ、見藤は彼の背を見送った。
扉が閉まるのを見届け、深い溜め息をつく。胸中を締めるのは芦屋からの話。
(芦屋家当主にまで接触していたのか……。本当に、見藤本家は見境がないな。大方、没落寸前の見藤家の再興を目論んでいるんだろう)
見藤本家の思惑を推測するのは非常に簡単だった。それに伴い、浮かび上がる感情は薄暗い。
(だが、これで牛鬼の依頼は完遂できる)
それを思えば、じんわりと胸に広がる安堵。振り返り、神棚を見上げる。霧子の顕現を知らせる紙垂の揺れが、見藤の疲弊した心を癒やした。
茶封筒(¥)忘れて帰ってるよ……




