70話目 残月と『神異』⑤
* * *
事態は急変する。
見藤が放った呪いの鷹による捜索は功を奏し、陽が昇ると同時に、地点B周辺において遭難したと思われる斑鳩家の人員の居場所を特定。芦屋の指揮の下、直ちに救助隊が編制された。
救助隊が目にしたのは、暗闇の中で夜を明かした斑鳩家の人員の姿。負傷者二名、残り二名を保護。
総指揮をとっていた斑鳩は――。拠点となっている旅館の一室、救護室へと姿を変えた場所にいた。
見藤は険しい表情を浮かべながら、斑鳩の容体を窺う。
「低体温症か」
「まぁ、この程度で済んだってことで」
「……」
「に、睨むなよ……」
点滴を受けながら、肩をすくませる斑鳩。しかし、見藤は表情を変えることなく無言の圧を送る。
斑鳩の軽口に異議を唱えたのは、救護にあたっていた医務官だ。彼女は血相を変えて、斑鳩を叱責し始めた。
「低体温症は危険です! 一歩、間違えれば昏睡状態、心肺停止! 何を言っているのです!?」
「……怖い」
「斑鳩家次期当主とあろう人が!!!」
彼女の剣幕に気圧されている斑鳩。見藤は黙って、その様子を眺めるだけだった。
見藤の助け舟は期待できないと悟ったのか、斑鳩は最後の抵抗と言わんばかりに声を上げる。
「け、怪我人を優先させたまでだ! それに、実力的にも殿を務めるのは俺の――」
「あんたも怪我人でしょうがっ! これ以上うちの坊ちゃんの心労を重ねるのはやめて頂きたい!」
「痛ってぇ……!!」
斑鳩は情けない悲鳴を上げる羽目になった。隠していた腹部の傷の手当が始まったのだ。
凝固した血の洗い流し、消毒、手際よく行われていく応急処置。その間、斑鳩はじっと痛みに耐えていた。だが、痛みは生きている証でもある。ふっと、目元が緩んだ。
一方の見藤はその様子を眺めながら、仏頂面で言い放つ。
「怒られておけ、斑鳩」
「助けてくれよ~……」
「助けた後だ」
斑鳩は言い返す言葉もなく、項垂れていた。だが、見藤の指摘は斑鳩家の若い衆にとって染みる言葉だったようだ。しきりに頷いている。
彼らは斑鳩の容体を心配し、救護室となっている一室の扉の外からしきりに顔を覗かせていた。さらに、見藤が放った鷹の式に助けられた者は同室で処置を受けながら、羨望の眼差しを送っている。
見藤は不慣れな状況に、これでもかと眉を寄せた。
(……視線が痛い。ついでに胃も痛い……)
視線から逃れるため、退室しようとした時だ。斑鳩が神妙な面持ちで口を開いた。
「あぁ、そうだ。遭遇した怪異だが――」
その言葉に、見藤はぴたりと動きを止める。
斑鳩は言葉の先を続けた。その視線は腹部の傷に向けられている。
「怪異封じが効かなかった。はぁ……、生きた心地がしなかった……」
斑鳩の言葉に、見藤は眉を下げる。今こうして、互いに言葉を交わすことが出来ているのは幸運と呼べるだろう。
斑鳩も同じ思いだったようで、点滴を受けている左腕を見やる。その視線の先には、薬指にはめている指輪。それを見つめる彼の表情は柔らかい。
しばらく指輪を眺めた後、斑鳩は視線を見藤へ向ける。
「奴は何かを探していた。言葉を操ってはいたが、意思疎通は出来なかった。それに、意味のある言葉だったのかも不明だ」
斑鳩は表情を険しいものに変えた。そのときの状況を脳内で整理しているのだろう。
「斑鳩家は認知によって新しく生まれる怪異を監視しているが、奴はどの報告にも挙がっていない」
そこで言葉を切ると、斑鳩は見藤を見据えた。
「挙がっているとすれば――。お前が道端で遭遇した『神異』と類似する」
「……なんたって、富士山に」
「さぁな、俺には見当もつかない」
見藤の疑問に対する答えはない。斑鳩は更に言葉を続ける。
「それに加えて、奴に口はなかった。目が体中に埋め込まれているような――」
「それはまた……」
「はぁ……。次は何だ? 鼻か? 手か? ったく、怪異ってのはよく分からねぇ。そんでもって……おぞましい」
斑鳩の悪態に、見藤は沈黙する他なかった。現状、判明している『神異』の数は極端に少ない。類似している特徴があるのならば、同種の可能性も捨てきれない。
見藤は、ぽつりと呟く。
「『神異』は信仰があればそこに土着する、物語と所縁のある場所に土着する。早くも、イレギュラーだ……。はぁ……、頭が痛い」
「俺もだ」
「斑鳩。お前は一旦、休め」
見藤の言葉に斑鳩は鼻を鳴らした。すると、その場に響く、怒りを孕んだ声。
「お話は終わりましたか?」
「げっ!?」
斑鳩は蛙を踏み潰したような声を上げた。彼の視線は見藤の背後に注がれている。
見藤が振り返ると、そこに佇んでいたのは芦屋だ。――彼は見るからに、怒っている。だが、見藤と視線が合うと、軽く会釈をしてみせた。
「これは、お見苦しいところを――」
「い、いえ……。お気になさらず……。私はこれで、退室しますので」
ぎこちなく、そう返答すると見藤は救護室を後にした。その背に、助けを求める斑鳩の悲鳴を浴びながら。
見藤は斑鳩を見放した――。斑鳩はこれから、芦屋の説教を受けるに違いない。
◇
そうして、見藤は斑鳩の容体が回復したのを見届けた後。旅館を発とうとしていた――。
見藤はいつもの使い古されたスーツを身に纏い、手には木目の美しい木箱だけ。見藤が持ち寄った、例の大荷物は封印の匣に姿を変えたのだ。
匣の回収は山開きの後、斑鳩家が行う手筈になっている。そのため、かぐや成る『神異』だけで言えば一件落着だろう。斑鳩を襲った、新たな『神異』については追加調査が行われる方針に決まった。
もちろん、見藤としても異変や得た情報があれば斑鳩家、並びに芦屋へ情報提供、助力する方針だ。
見藤を見送るのは芦屋、そして、斑鳩家の若い衆だ。見送りは不要だと申し出ても聞き入れてもらえず、それならばと見藤が承諾した少人数だ。
「それでは、ご当主。私はこれで」
見藤は一礼すると、別れの言葉を口にする。
すると、芦屋は自らも頭を下げた。見藤は驚きのあまり言葉を失う。
「此度の依頼を受けて頂き、感謝します」
「い、え……。とんでもない」
見藤は言葉に詰まる。
芦屋は美麗な顔に、年相応な笑顔を浮かべている。どうやら、彼の憂いは少しだけ晴れたようだ。芦屋の後ろに控える若い付き人も、安堵の表情を見せていた。
芦屋はそっと口を開く。
「報酬やお礼の相談はまた後日、事務所へ伺いますので」
「よろしくお願いします」
「車を手配していますので、それで駅まで――」
「……助かります」
そうして、見藤は車に乗り込んだ。芦屋と斑鳩家の若い衆の見送りは、車が遠く離れるまで続いた。
憂いに充ちた溜め息をつくと、車窓の縁に肘をつく。胸中を占めるのは、芦屋の依頼を受けた本当の理由――。
(これで、少しでも『枯れない牛鬼の手』に近付けるといいんだが……)
芦屋に恩を売るのがひとつ、それをきっかけに『枯れない牛鬼の手』を譲り受けるための交渉材料とすること。
見藤はらしくない計略に目を伏せた。
(打算的だが、仕方がない)
流れゆく車窓の景色を眺めながら、見藤は『枯れない牛鬼の手』に思いを馳せる。しかし、そこでふと――。
「あ、猫宮への土産――」
すっかり忘れていた。富士山麓を覆う程の大量の呪い道具を運ぶ、という任を務めた猫宮への報酬だ。
見藤の脳裏に蘇るのは――、猫宮に齧りつかれたときの鋭い痛みだ。それは土産を忘れたときに受けた報復。見藤は顔を青ざめさせると、慌てて運転手に声を掛ける。
「すみません! ここで降ろしてくれ!」
「お客さぁん、ここ山ん中ですよ!? どこか行き忘れた場所でもあるんです?」
運転手は驚きの声を上げ、バックミラー越しに視線を送る。
運転手の言う通り、旅館から出立したはいいものの。 車が走るのは鬱蒼とした木々に囲まれた山道だ。見藤は気まずいながらも、先程の言葉の理由を語る。
「地酒か、何か土産にしようと……」
「あぁ、それなら――」
見藤の答えに、運転手は思い当たる場所があったようだ。目的地を変更すると共に、地酒にどのようなものがあるのか、分かりやすく説明してくれた。見藤が再三の礼を伝えると、運転手は人懐っこい笑顔を浮かべていた。
(た、助かった……)
見藤は安堵の溜め息を漏らす。富士の湧き水で造られたという銘酒を抱えて、帰路に着いた。
人の輪の孤立からの決別でした




