70話目 残月と『神異』
そうして、瞬く間に作戦決行の日を迎える。見藤の策略通り――、今夜は新月の暦。
富士山麓に赴いている斑鳩、芦屋は外部と連携を取り、今夜が新月であることを確認している。
富士山麓、木々に覆われた場所。地点Aと称した場所に、見藤は登山服を纏い、配置についていた。
見藤が夜空を見上げれば、まるでこちらを覗き込むような低い満月――。これでは、かぐや成る『神異』に監視されているような錯覚に陥る。その思考を払拭するように、見藤は目を伏せた。
見藤の後ろには、斑鳩家から名乗りを上げた四名の呪い師が控えている。封印の呪いを発動させる瞬間に、妨害を受ければひとたまりもない。彼らは不測の事態に備えて、見藤の背を守る。
更に彼らは登山用のヘッドライトを着用している。だが、電源は落とされたままだ。それに加え、周囲は照明機器が用意されているものの、電源は着いていない。
満月により、周囲は明るく照らされている。よって、彼らもわざわざ明かりを得ようとはしていないのだろう。
見藤は彼らの行動に加え、月光を鑑みると辿り着く事実。
(成る程な。これは、満月が欠けていなくても直ぐには気付かない訳だ……)
見藤は納得したように頷く。そして、周囲の月明かりと手元を見比べる。いくら木々に囲まれているといっても、月明りは地面にまで届いている。だが、見藤の目が捉える手元は呪い道具を扱うには暗すぎる。この状況、現実では新月であることを示しているのだろう。
それと同時に、見藤は確信する。立てた仮説とかぐや成る『神異』の弱点は一致している。
(よし、上手くいきそうだ)
見藤は斑鳩家の若い衆に指示を出す。
彼らは紋様が描かれた上質な和紙を地面に広げていく。それは大人の背丈半分ほどの巻物となっている。二人掛かりで、伸ばしていくと紋様の終わりには支柱のような図が描かれていた。それを、もうひとつ用意する。
見藤は腰を落し、綿密に描いた紋様に触れる。斑鳩と芦屋も配置につき、同じ作業に当たっている頃だろう。
此度のかぐや成る『神異』を封じる策略。地点A、B、C、Dにおいて五名程の小隊を組み作戦にあたる。
見藤が封じの呪いを発動する地点Aを起点とする。そこで発動された呪いは浮かび上がる紋様の壁となり、斑鳩が指揮をとる地点B、芦屋が待つ地点Cへと同時に向かう。
そうして、一時間ほどで最終地点Dへと繋がる。そこには、斑鳩家と芦屋家の合同小隊が待機している手筈となっている。
無論、広大な富士山麓だ。その中間地点となる位置にも別同隊が配置につく。
見藤が脳内で作戦を反芻していると、不意にIP無線機が鳴った。
――ザザッ、とノイズを走らせながら、聞こえてきたのは斑鳩の声だった。見藤は片耳に装着しているイヤホンに手を添え、耳を傾ける。
『こちら地点B。総指揮、斑鳩。封印の呪い道具の設置を終えた。地点A、C、D。並びに各中間地点、聞こえるか? どうぞ』
応答しようと、見藤は腰に提げていたトランシーバーに触れる。しかし、慣れていない状況と操作に手元がおぼつかない。
すると、斑鳩家の若い衆が見藤に向かって合図を送った。はたと、胸元に装着している小型マイクで応答すればよいのだと気付くには遅く、見藤は申し訳なさそうに眉を下げた。
そうこうしている間に、無線で行われるやり取り。
『はい。こちら芦屋です。地点C、配置につきました』
『こちら斑鳩、了解した。他はどうだ? どうぞ』
『こちら中間地点、配置につきました。どうぞ』
次々に点呼が行われ、ようやく見藤は口を開いた。
「ふぅ……地点A、了解した。俺は祝詞を唱える段階に入るため、その間、斑鳩家の衆に無線の応答を代わる」
『了解。頼んだぞ』
斑鳩の言葉に頷くと、見藤は背後に控えている斑鳩家の若い衆に目で合図を送った。すると、彼らも見藤と同じように頷き、無線小型マイクを手に応答し始めた。
いよいよだ。かぐや成る『神異』を封印さえしてしまえば、芦屋からの依頼は完遂できる。そうすれば『枯れない牛鬼の手』に近付くための交渉材料程度にはなるだろう。そこに、芦屋の悔恨が少しでも晴れることを祈って――。
見藤は意を決したように頷く。地面に敷かれた和紙を片足で踏む。その次には、祝詞を紡ごうと口を開いた――。
◇
おおよそ数分に渡る祝詞。夜の静けさの中に、見藤の声が響く。
そうして、見藤は最後の言葉を紡ぎ終える。その瞬間から、足元の和紙が煤になり始めた。パラパラと崩れ落ちるように、和紙は地面に還る。すると、不思議なことに描かれていた紋様だけは煤けることはなく、浮かび上がる。
紋様は朱赤の微細な光りを放ち、描かれた支柱がゆっくりと実体を成した。支柱は二柱、直角に並び立つ。そこから、更に和紙に描かれていた紋様が浮かび上がる。紋様は徐々にその長さを伸ばし始める。
――発動は終えた。あとは、繋がるのを待つだけだ。
見藤は力強く頷くと、無線に向かって応答を願う。
「あー……、こちら地点A。無事に祝詞を終えた。あとは、手筈通りに」
『こちら地点B、斑鳩。了解した。こちらも支柱を確認。繋がり次第、一報を入れる』
「了解した」
見藤が無線を終えると次に芦屋、合同小隊から一報が入る。どうやら、地点C、Dも同様に支柱が実体を成したようだ。一報を受け、見藤は力強く頷く。
(よしよし、順調だ――。後はこのまま、斑鳩と芦屋家当主の地点まで繋がるだろう。紋様の壁が頂上までせり上がった時、封印の匣は完成される――)
――思考はそこまでだった。
暗闇から覗く、無数の目。満月の光を反射し、金色の目でこちらを監視している。
ふと視線を向ければ、見藤が施した呪いは微細に光る壁となり、伸びていく紋様。どうやら、その包囲網から逃れた兎がいたようだ。
見藤だけでなく、斑鳩家の若い衆も兎に気付いたようだ。警戒を強めている。そのうちの一人が、見藤に声を掛ける。
「流石に、勘付かれましたね……」
「あぁ。だが、これも想定内だ」
「兎の取りこぼしは中間地点の別動隊が、主に引き受ける手筈ですが――」
「目の前に出て来られたら、こればかりは仕方がないな」
見藤は肩をすくめながら、目前の兎を注視する。
茂みから覗く兎は事前に聞き及んでいた通り――、酷い澱みを纏っている。恐らく、その体には蛆が湧いていることだろう。想像するのもおぞましいが、群れになれば兎が人に勝る。数の少ないうちに、兎を対処しなければ襲われるのはこちらだ。
見藤はおもむろに、動物用捕獲網を手に取った。斑鳩家の若い衆も次々と同じものを手にする。
「さて、やるか――」
「はい! ご指導、お願いします!」
「いや、そんなつもりは……」
活気良く返事をした斑鳩家の若い衆。見藤は眉を下げながら断りを入れたのだった。
(早く終わらせて、帰りたい……)
胸の内に呟いた言葉は、そっと消えた。




