69話目 立ち交わる特異
突如として、見藤の元へ舞い込んだ芦屋家当主からの依頼。かぐや成る『神異』を封印するための、霊峰富士の山麓から頂上までを覆う呪い。大規模な策略が幕を開けようとしていた――。
見藤は密かに、『枯れない牛鬼の手』に近付く計略を練る。
* * *
新月まであと三日。見藤は事務所を離れ、富士の麓に赴いていた。
麓に構えられた由緒ある旅館。見藤はそこを訪ねた。その旅館には、夏を目前にした怪異対策に赴いている芦屋家が滞在している。だが、今現在は斑鳩家が合流し、『神異』に対抗する拠点となっていた。
見藤は目の前にそびえ立つ荘厳な旅館を見上げた。周囲は緑豊かな森林に囲われ、木々の隙間から空が見える。
(厳重に結界が張られている……。それもそうか)
見藤の目に映る、芦屋家が施したと思われる結界。それは幾重にも弧を描き、さらには芦屋家が得意とする隠匿の呪いも施されているようだ。恐らく、この旅館は芦屋家と所縁があるのだろうと思考の端に留めておく。
それには少なからず、『神異』から身を隠す目的の他にも、霊峰富士という特殊な場所が関係している。時に、人々の信仰が集まる霊峰と呼ばれる場所は、新たに生まれ出でる怪異と遭遇する確率が高い。更に言えば、対立している名家からの横やりからも逃れる目的もあるのだろう。会合後、対立はより顕著になったと想像に容易い。
見藤は視線を戻し、手元を見やる。手荷物は意外にも少なく、身の回り品と木目の美しい木箱だけだ。
「そろそろか……?」
そう呟くと、見藤は上空を見やった。すると、空から降ってきたのは――。
「見藤ォ! 俺は猫の宅配屋じゃねぇんだっ!」
「はは、助かる。猫宮」
「くっそォ~!」
猫宮の悔しそうな声と、大荷物だった。猫宮の背で運ばれるのは風呂敷で包まれた大きな荷物が一つ、二つ、三つ、四つ――。猫宮は火車の姿をとり、事務所から見藤の元へ『神異』を封印するために用意した呪い道具を運んで来たのだ。
猫宮は地上に降り立つ。篝火が残り火を吹き出す。
見藤が労いの言葉をかけると、更に猫宮は腹立たしいと言わんばかりに声を荒げた。だが、猫の性分は正直なようで、ごろごろと喉を鳴らしている。
「早くこの大荷物を降ろしてくれ!」
「あぁ、ご苦労さん」
猫宮は背に括り付けていた荷物を早く下ろすよう、見藤を急かす。
見藤は荷を解き、地面に下ろした。ようやく任務から解放された猫宮は大きなマズルをふん、と鳴らす。すると、見藤は困ったような笑みを浮かべて、報酬の内容を口にした。
「土産に銘酒を買って帰る」
「にゃは~! 期待しているぞ! 富士の湧き水で作られた酒は美味いに違いない~」
現金な化け猫である。見藤はいつもの調子に戻った猫宮へ困ったような笑みを向けた。
すると、猫宮は大きな体で伸びをひとつ。その次には顔をあらいながら、口を開く。
「そしたら俺は帰るぞォ~。俺は小僧と小娘の子守で忙しいからなァ!」
「あぁ、そっちは任せた」
「上手くやれよ」
「あぁ、問題ない」
言葉を交わし、見藤は猫宮を見送る。篝火が道を示し、猫宮は空を駆けていく。猫宮の姿が小さくなるまで、見藤は空を見上げていた。
すると――、ざわざわとした人の流れが起こる音。見藤は慌てて振り返る。
旅館の方から人の流れができている。どうやら、斑鳩家と芦屋家の人々が猫宮の気配を感じとり、何事かと様子を見に来たのだろう。
斑鳩家の特徴を持つ若い衆の中には、見藤の顔を知る者がいたようだ。「大河さんに知らせてくる」と別の者に言い残し、早足で去っていく。
これでは大々的な出迎えとなってしまうだろう。気まずい状況に、見藤は眉を寄せた。早々に旅館のエントランスへ移動したいのは山々だが、大荷物を運ぼうにも見藤だけでは一人で運ぶことは些か困難。その場を離れることもできず、注目だけを集めているような状況。
(胃が痛い……)
心の内にそう呟いたときだ。
人の流れを制して、ある人物が見藤の元へ駆け寄って来た。そして、その後ろから、慌てた様子のもう一人。見藤を出迎えたのは――、美麗な顔に笑みを浮かべた芦屋だった。
「お待ちしておりました」
「ご当主……。いや、あの、直々に――」
見藤は言葉に詰まった。よもや、名家当主ともあろう彼が出迎えるなど、予想だにしなかった。困ったように眉を下げながら、言葉を交わす。そこでふと――、気掛かりなことがあった。
芦屋の背後に控える付き人と思しき人物だ。会合で芦屋と対面したときは、老齢の付き人が控えていたはずだ。だが、今は別の人物がその座に就いている。名家当主の背後を守る付き人が、そう易々と入れ替わるはずもなく――。
すると、芦屋は見藤の気掛かりを察したのか――。沈痛な面持ちで口を開いた。
「彼は――、役目を果たしました」
「そう、ですか……」
「お気遣いは不要です。私が采配を見誤った結果ですので。……まだまだ、若輩者です」
目を伏せて力なく言葉を溢し、唇を噛み締める芦屋。――見藤は掛ける言葉を見つけられなかった。
役目を果たした、その言葉で察することがある。老齢の付き人は命を落としたのだ。芦屋家当主の命を『神異』から身を呈して守った結果だ。
芦屋は深い溜め息をつくと、視線を上げた。そして、痛々しい笑みを浮かべる。
「あぁ……、暗い雰囲気になってしまいましたね。せっかく、遠路はるばる足を運んで下さったというのに」
「……とんでもない。私の方こそ不躾に、立ち入ってしまい――」
「いいえ、それは違います。さぁ、顔を上げて下さい」
見藤の謝罪を否定する芦屋。俯いた見藤に手を差し伸べた。だが、立場上、見藤がその手を取れるはずもなく――。見藤は目を伏せたまま、沈黙した。
芦屋は付き人に向かい、言葉を掛ける。
「案内して差し上げて」
「畏まりました」
付き人は一礼した後、見藤に視線を送る。旅館内へ案内するようだ。しかし、見藤は戸惑い、地面へ置いたままになっている大荷物を見やった。
すると、気を利かせた付き人は、野次馬となりつつあった人の流れから芦屋家の数名を、人手として呼びつけている。
芦屋はその様子をじっ、と眺めていた。そして、人手が揃うと見藤に向き直る。
「お荷物は運ばせますので、ご安心を」
「……お手数をお掛けします」
「ふふ、とんでもない。寧ろ、こちらから、貴方の知識をお借りしたいと願い出たのですから」
見藤は礼と共に頭を下げる。だが、芦屋は微笑と共に首を横に振ったのだった。




