68話目 計略と策略③
◇
その数日後。事務所には仏頂面の見藤の姿。事務机に向かいながら、スマートフォンを片手に通話をしている。
「で? 現場指揮はどうだ? 斑鳩」
通話相手は斑鳩だ。芦屋が事前に告げた通り、斑鳩から連絡があった。だが、電話口でも分かる通り、斑鳩は声音からして疲労を隠せていない。
電話口の斑鳩は見藤からの問い掛けに、しばらく時間を要すると――。
『あー……。斑鳩家は負傷者多数、ってとこだ』
と、だけ答えた。
芦屋からは現状、被害は芦屋家の者に留まっていると聞いていた。だが、あれから数日経過した後、共同で対策を行っている斑鳩家にも被害が及ぶとは――。見藤は斑鳩の返答に眉を寄せる。
芦屋家は隠匿の呪いに長けており、こうした大規模な怪異が起こると世間の目を欺くためにその力を振るう。
斑鳩家は主に怪異事件の先遣、世間の怪異における認知操作を得意とする。だが、現状『神異』を鎮めるための解決策、更には決定打を持ちえない。よって、長期戦になればなるほど、被害が出る。
電話口の斑鳩は言葉を続けた。その声はどこか焦りを感じさせるものだった。
『芦屋から聞いたぞ。何か策があるらしいじゃないか』
「あぁ」
斑鳩の言葉に、見藤は端的に答えた。見藤は斑鳩からの連絡を待つ間、何も手持ち無沙汰で過ごしていた訳ではない。
見藤は通話をしながら、ちらりと事務机の上を見やる。机上全体に広げられた大きな紙。そこに描かれている紋様と図式。
それはまだ作成途中で、所々は線が途切れている。机の上には作業に使用した筆や呪い道具が乱雑に転がっていた。
斑鳩は疲労を滲ませながら、言葉を続ける。作業中の机に意識を向けていた見藤は耳を傾けた。
『富士の山開きは七月だ。それまでに、この件を解決しないと被害は一般人にまで拡大する可能性がある』
「はぁ……、あと一ヶ月しかない」
『そうだ。頼むぞ、見藤』
「あてにするなよ。俺はただ、『神異』を封じる手伝いをするだけだ」
斑鳩の言葉に、見藤は釘を刺しておく。だが、斑鳩は見藤の返答に思うところがあったようだ。
斑鳩は少しの間を置き、再び語り始める。
『封じる、ねぇ。……お前にしては珍しいな。まぁ、世間への過大な影響を考えると『神異』の要求を退けるより、封じ込める方が確実か』
「そういうことだ。はぁ……、『神異』は俺が黙認できる範疇を超えている。これに関しては――、どうしてやることもできない。残念だが」
『……相変わらずだな』
見藤が耳にした斑鳩の声音は物寂しいものだった。――斑鳩のことだ。この期に及んで、ほんの僅かでも憐憫の情を残す見藤に友としての寂しさが勝ったのだろう。
電話口の向こうにいる友の表情が思い浮かび、見藤は煩悶するように眉を下げた。すると、鬱屈した雰囲気を払拭するように斑鳩は軽快な声を上げた。
『っと、いけねぇ。本題を頼む』
「あぁ」
斑鳩の言葉に、見藤は返事をする。そして、椅子から立ち上がるとローテーブルの方へ移動した。ローテーブルの上には、見藤が資料として取り寄せた古典文学の解説本、現代語訳の本などが積み上げられている。本の下には乱雑に置かれた紙の数々。
見藤はソファーに腰を下ろすと、手元に一枚の紙を手繰り寄せた。紙に書いてある内容に目を通し、本題を語り始める。
「かぐや伝承において、物語の最後は決まっている」
『月へ還るんだろ?』
「いや、少し違う。かぐや姫から贈り物を受けた帝は富士の火口で、不死の妙薬と天女の羽衣を燃やした」
『へぇ……』
「よって、俺は『神異』の本体が鎮座しているのは富士山頂付近と推測する」
『おいおい……。なんたってそんな……』
斑鳩の疑問に答えるため、見藤は更に書かれている内容を読み進める。
「物語で描かれた場に類似した場所、もしくは所縁のある場所に『神異』は現れる可能性が高いと考える」
見藤の脳裏に豊玉姫成る『神異』が浮かぶ。
かの『神異』と遭遇した場所は水族館だった。周囲一面の水槽は水中にいるような錯覚を起こす、とても綺麗な場所だった。それは竜宮城を思い起こさせるには十分。
奇しくも、その場に居合わせたのは見藤と霧子だ。人と怪異が契りを結び、互いを想い合っている――。これらの条件を鑑みれば、この仮説は十分に意味を持つだろう。
見藤の言葉に、斑鳩は疑問の声を上げる。
『だから、富士山頂って訳か? 竹林じゃ駄目なのか?』
「霊峰富士の信仰対象は山そのものだ。竹林に土着するよりも、はるかに信仰のエネルギーを得やすいだろう」
『な、るほど……?』
「斑鳩……。理解していないのなら、そう言え」
見藤は溜め息をついた。そして更に、斑鳩の間の抜けた返答を受け、眉間に皺が寄る。
斑鳩は電話口で乾いた笑い声を溢すと、言葉を続けた。
『それにしても山頂って言ったって、 山開きはまだなんだぞ? 封印するために近付こうにも、登山は危険だ』
「斑鳩、お前が! 山開きの前にと言ったんだろう」
斑鳩の矛盾した要求に、見藤は文句を言いつつ鼻を鳴らす。だが、その次にはしたり顔に表情を変えた。そして、ローテーブルに置かれていた別の紙を手に取る。そこに書かれているのは、依頼を遂行するための策略。
「それに、わざわざ山頂付近まで出向く必要はない」
『あぁん? どうしてだよ?』
電話口の斑鳩の声音は語気を強めたものだった。未だ要領得ない見藤の物言いに、気が逸っているようだ。
見藤はそんな斑鳩に小さく溜め息をつきながらも、計略の内容を語る。
「かぐや姫が月へ還るのはいつだ?」
『――満月だな』
「そうだ。かぐや姫が月へ還る、すなわち、人ではないことを公然と示すときだ。恐らく、認知も相まって『神異』の力が最も強まるのは満月だろう。だから人を惑わし、満月のまま月の満ち欠けが不変であるように見せかけた。そうなれば、人の認知は変わらず、力を維持することにも繋がる。そうと仮説を立てれば、その反対に。最も力が弱まるのは――?」
見藤はもったいぶった様子で、そこで言葉を切った。その先を口にしたのは――、斑鳩だ。
『――新月だ。月が出ない』
「そういうことだ」
『あぁん? どういうことだよ』
見藤は頭を抱えた。斑鳩の言葉に溜め息をつきながらも、策略の全貌を明かす。
「はぁ……、斑鳩。新月のとき、弱体化しているのならば、そこら辺の怪異と差異はない。そうなれば、封印も可能だ。富士の麓から四方で囲うような――封印の匣を作ればいい。そうすれば、気味の悪い兎も一網打尽だ」
見藤の言葉に、息を呑む斑鳩の吐息が電話口から漏れる。そして、斑鳩はその規模を察したのか。戸惑いながらも疑問を口にした。
『……規模がデカくねぇか? 一体、どうやって――』
「俺が作る封印の匣は発動した瞬間、紋様が浮かび上がる。四方に点在させておいた紋様同士が繋がり、包囲網を作る。その紋様が麓から山頂までせり上がり、『神異』を追い詰める。『神異』を捉えれば、後は自ずと匣になるよう組んでおく。幸いにも芦屋家と斑鳩家、人手は多いからな。発動時の人員は問題ない、十分に可能だろう」
『まるで追い込み漁だな……。見藤よぉ、どっからその発想が――』
見藤の策略は語った通り。斑鳩はその策略を聞いて、思い浮かんだ言葉を口にしたようだ。
見藤は鼻を鳴らすと、辟易と口を開く。
「あいにく、去年の夏の怪異対策で山は経験済みだ」
『ははっ、そうかよ』
軽快に笑う斑鳩の声が電話口から聞こえる。その声に、見藤は安堵する。――まだ、笑える余力は残っているようだ。
見藤は僅かに弧を描いた口元を引き締めながら、力強く言ってのける。
「今月の新月が決行日だ」
『了解した。一週間しかないぞ?』
「それまでには、『神異』を封印する匣を完成させておく。大規模なものになるが……、やるしかない」
見藤はそう言って、事務机の方を見やる。机上に置かれた大きな紙。描かれている製作途中の紋様や図式は、今回のかぐや成る『神異』を封じるためのものだ。見藤は着々と準備を進めていたのだ。
電話口から斑鳩の力強い声が聞こえてくる。
『任せたぞ』
「はぁ……、任された」
斑鳩は見藤に全幅の信頼を寄せた言葉を口にした。見藤は溜め息をつきながらも、その声音は確信で満ち溢れていた。
すると、斑鳩は何を思ったのか――。とぼけるような口調で尋ねる。
『んで? 封印が完了したら――、誰が匣を山頂まで取りに行くんだ?』
「……………………」
『おいおい。そこはノープランなんじゃ……』
「任せた」
『あっ、おい!』
斑鳩からの追及を逃れるように、見藤は一方的に電話を切った。




