68話目 計略と策略②
見藤は受話器を置き、背もたれに体重を預けた。そして、溜め息をひとつ。見藤は天を仰ぎながら、再び巡る思考に身を投じる。
(まずは戦略だ。『神異』に対抗するには――、弱点を見出さなければ)
ふと、天を仰いでいた見藤の視界に入るものがあった。霧子の神棚の紙垂が揺れたのだ。それは、霧子の顕現を知らせる。
ひょっこりと見藤の視界に現れた霧子。彼女は見藤を覗き込むようにして、艶やかな髪を揺らした。
「終わったの?」
「霧子さん。あぁ、終わったよ」
「むぅ。疲れた顔、してるわね」
「はは……」
霧子の指摘に、見藤の口から乾いた笑い声が漏れる。覗き込む霧子の垂れた髪を手に取り、愛しげに梳く。
すると、霧子は照れ隠しなのだろうか――、拗ねたように口を尖らせた。そんな彼女の様子に、見藤は愛しさから目を細める。だが、それとは反対にそっと心労を口にした。
「流石に、他家の当主ともなると下手な態度を取る訳にもいかなくてな……。それに――、彼が敵か味方か、図りかねていた」
見藤は力なく言葉を溢し、目を伏せる。
会合後、見藤本家の動向は謎のままだ。彼らが何かしらの取引を持ちかけ、腕の立つ芦屋を謀者として差し向ける可能性もあっただろう。しかし、見藤の中で既に答えは出た。
霧子は不安げに瞳を揺らしながら、尋ねる。
「それで? 大丈夫なの?」
「まだ分からんが……、斑鳩がついてる。信用はしない――、だが依頼を受けている間の接触なら問題はないだろう」
見藤はそう言うと、椅子から立ち上がりソファーへ移動する。霧子もその後に続き、二人して腰掛けた。
すると、見藤は考え込む仕草をする。
「……霧子さん」
「なぁに?」
見藤の呼びかけに、こてんと首を傾げた霧子。そんな彼女の仕草に見藤はふっと目を細めたが、すぐに真剣な眼差しを送る。
「豊玉姫成る『神異』のことだ。あのとき、霧子さんは『神異』の弱点をどうやって見破ったんだ? まだ、あの頃の俺達は『神異』という異変を認識していなかったはずだ」
見藤が口にしたのは、最初に遭遇した『神異』についての疑問だった。『神異』には「神話になぞらえた弱点がある」と仮説を立てている。
水族館で大鰐――、若しくは鮫の姿を模った豊玉姫成る『神異』に遭遇したときだ。あの時は、咄嗟に霧子が叫んだ「豊玉姫を視る」という弱点をついたからこそ、見藤の怪異封じが効力を発揮したに過ぎない。
見藤が偶然に遭遇した口の『神異』は呪いが効かず、怪異封じの木札は砕かれる始末。いかに、弱点をつくことが重要であるのか、見藤は理解していた。よって、今回の依頼のかぐや成る『神異』の弱点を見つけなければ――。そう思い至ったのだ。
霧子は見藤からの問いかけに、少しだけ考えると――。
「そうね――。勘よ、カン」
「……なる、ほど?」
「ちょっと! 本当なのよ!」
霧子の答えに見藤は戸惑う。すると、霧子は抗議の声を上げた。弱点を見破ったのは勘、と言われてしまえば、見藤が理論立てた『神異』の弱点は意味をなさない。
見藤は少し考えて、霧子が抗戦した『神異』の名を挙げた。
「縁切りの『神異』は……?」
「えっ……。あれは、その……。あの時は頭に血が上っていたから。力に物を言わせて――、こう? ぐしゃっと――」
霧子の答えに見藤は頭を抱えた。――怪異同士の力の渡り合いなど、人の理解の範疇を超えている、ということだろう。見藤は思考を放棄せざるを得なかった。
(理論立てて弱点を見出すことができれば――。今後も対策しやすくなると思ったんだが……。それにしても……『神異』に変貌するような異変は何をきっかけにして起こったのか――、今は考えるだけ無駄か。依頼に集中するべきだな)
見藤は視線を上げると、眉を下げながら困ったように笑う。そして、霧子に向き直り口を開いた。
「うーん……。少し、考えることにするよ」
「うぅ」
霧子の落ち込んだ表情を目にした見藤。慌てて、彼女を慰める言葉を口にした。
「霧子さんは悪くない。そんな顔をしないでくれ」
「そ、そう……?」
眉を下げておずおずと尋ねる霧子に、見藤は何も言えなくなるのであった。――どうやら、『神異』への対抗策は難航を極めるようだ。
* * *
それから、見藤は文献を読み漁った。新たな異変となった『神異』に関する情報はキヨへの情報照会では限界がある。そのため、見藤が手にしたのは――、古典文学だった。それは大いに時間を要することになり――。
事務机に向かっていた見藤は、ふと顔を上げる。窓から差し込むほんの僅かな月明りに、夜の帳が降りていることにはたと気付く。
「いかん、すっかり夜だ」
そう言葉を溢し、資料を片付ける。すると、そのうちの一枚がひらりと床に落ちてしまった。
見藤は小さく溜め息をつき、腰を曲げた。そっと資料を拾い上げたとき――、視界に入る月明り。日中は分厚い雲に覆われていた空も、夜ともなればすっかり天気は回復したようだ。
見藤は窓から夜空を眺める。そこで、気付く違和感。
「月は欠けている……」
見藤は眉を寄せ、首を傾げた。芦屋の話によれば、異変に気付いたきっかけは「満月が欠けない」ことだった。だが、見藤から見た月は欠けている。
「どういうことだ……? 場所が違えど、見上げる月は同じはずだ」
空はどこまでも繋がっている。芦屋が霊峰、富士の麓から月を見上げていても、見藤が事務所から月を見上げていても、それは同じ月のはずだ。しかし、目にしている月は――、下弦の月だ。
見藤は慌てて、受話器を手にした。数回にわたる呼び出し音が、やけに長く感じられる。
『はい、如何されました?』
電話口に出たのは、芦屋だ。見藤はほっと胸を撫で下ろした。そして、抱いた疑念を確信に変えるべく、口を開く。
「夜分に失礼致します。ご当主、取り急ぎお尋ねしたいことがあります」
『はい、なんでしょう?』
「今、月を視て下さい。月はどうなっていますか?」
『月、ですか……? 少々お待ちを』
芦屋は突然の問いかけに動じることなく、見藤の指示に従ったようだ。電話口から漏れる足音。屋内から月を見ようと移動しているのだろう。
そして、しばらくの沈黙の後。芦屋は目に視えた月の状態を知らせる。
『満月です。変わりなく、満月ですね』
「そう、ですか。分かりました」
芦屋からの答えに、見藤は力強く頷いた。――疑念が確信に変わった。
かぐや成る『神異』はその姿を視た者、若しくは霊峰富士付近にいる者だけに、月の満ち欠けが不変であるかのように惑わしている。――時に、怪異というものは人を惑わす。故に怪異が起こる。
芦屋は見藤の語気で何かを察したのだろう。息を呑んだ音が電話口から漏れる。
『何か、分かったのですね?』
「えぇ。ついでに此度の依頼、上手くいきそうです」
『それは――!』
見藤の確信に満ちた答え。芦屋は感嘆の声を上げた。そして、見藤は此度の策略について告げたのだった――。




