67話目 望まぬ来訪者②
『神異』に先手を打たれた、その言葉が意味することがある。見藤はそっと口を開く。
「被害は?」
「お優しいのですね」
「……茶々はご容赦下さい。本題だけ、述べて頂きたい」
間髪入れず、見藤は尋ねる。この際、当主への無礼など知ったことかと言わんばかりに、語気を強めた。だが、諫められた芦屋は心なしか口元を綻ばせたのだ。見藤は得も言われぬものを感じとり、ローテーブルで隔てているものの、そっと距離を取った。
芦屋はそんな見藤の言動を何も追及することなく、言葉を続けた。
「被害は今の所――、芦屋家に留まっています。供物が用意できなければ……、あとは想像できるでしょう? 『神異』が供物を要求するという行動は、まさに昔話のかぐや姫に描かれたシーンのようなのです。ほら、あの求婚してきた男達に無理難題な贈り物をさせるという」
「成る程……」
被害状況を詳しく話さないのは、彼なりの配慮なのか――。見藤がそれ以上聞くことはなかった。そして、芦屋の口から告げられた情報の一端。それは、まさしく『神異』としての特徴を有していた。
見藤は目を伏せ、思考に身を投じる。
(もしかすると、神の残滓を喰らった怪異が『神異』となった可能性も……。そうなれば、下手な封印の呪いは効かない。俺と霧子さんが、遭遇した大鰐も「豊玉姫」という神の残滓を喰らった怪異だったと推測できる。あれは弱点があったからこそ、太刀打ち出来たに過ぎないだろう)
見藤の思考は加速する。
豊玉姫、それは昔話に登場する「乙姫」のモデルとなった神の名だ。古の時代に存在したとされる神の残滓が現代までこの地に残り、恐らく、それを喰らった怪異がいた。それは、神の残滓の無念を晴らすためなのか。はたまた、逸話に残る行動をなぞらえているだけなのか。
想像の域を出ない話ではあるが、その個体は確実に影響を受けて行動している。
「逸話になぞらえた行動。そうなれば、供物を要求してくるのも納得か……」
「私も同じ考えです」
見藤の言葉に芦屋が同調し、相槌を打った。そして、芦屋は言葉を続ける。
「一説によれば、かぐや姫のモデルは神のひと柱であったというものもあります。地に残された神の残滓を喰らった怪異が『神異』と成ったのか。若しくは、物語により広まった集団認知が、かぐやと言う神成る怪異を生み出し、何かしらの異変によって『神異』となったのか――。詳細は不明ですが、仮説としては十分でしょう」
語り終えた芦屋は見藤を見やる。
見藤が遭遇した『神異』から立てた仮説と、芦屋が立てた仮説。それは寸分違わず、要点を押さえていた。――そうなれば、かぐやという『神異』にも弱点が存在するはずだ。豊玉姫の『神異』の弱点が「人に見られる」だったように。
(流石、当主という訳だな……)
見藤は素直に関心していた。彼ならば、『神異』には弱点が存在するという事実に辿り着くだろう、と思い至る。そこでふと、湧き上がる疑念。見藤は眉を寄せ、その疑念を口にする。
「ここまでのお話を鑑みるに――。わざわざ、私に依頼する理由が思い当たらないのですが」
「えぇっ!?」
驚きの声を上げたのは芦屋だ。予想だにしない反応。見藤は困惑する。
(……何なんだ)
悪態とも似た心の内の呟きは、芦屋に気取られることなく消える。だが――、一体どういう訳なのか。困惑を示したのは見藤だけではなかった。
芦屋はわなわなと口を震わせ、見藤の言葉の真意が理解できないとでも言うような表情をしている。ようやく口を開いた彼は――、わっと声を上げた。
「こ、こんなに熱烈な申し出をしていると言うのに、ですか!?」
「はぁ……」
「お礼に、何でも差し上げますよ!?」
間の抜けた返事をした見藤。だが、芦屋の勢いは止まらず。彼はローテーブルに両手を着き、身を乗り出してきた。
(いかん、関わると面倒なタイプだ。芦屋家当主)
ローテーブルを隔てておいて正解だったと、見藤は顔を引き攣らせる。見藤は彼をなだめるように、なるべく柔らかな声音で話すよう努めた。
「はぁ……、いえ、あの。私が言っているのは、特別私が解決しなくとも良いはず、ということです」
なるべく言葉を選びながら、口にしていく。我ながら不慣れなことをしているものだと、見藤は眉を下げた。
「それこそ、斑鳩にでも押しつけて――、ごほんっ。斑鳩家への協力を仰いでも良かったはずです。ご当主ほどの実力者であれば――」
「駄目なのです」
そこで言葉を遮ったのは、芦屋だった。彼はどこか沈痛な面持ちで、同じ言葉を繰り返す。
「貴方でないと、駄目なのです」
「はぁ……?」
再び見藤の間の抜けた返事が、事務所に木霊した。
見藤の反応を受けた芦屋は気まずそうに、視線を逸らす。そして、自身の手を握り締めながら現状を語った。
「現在、大河君は現場の指揮をとっていますので、手が離せないのです」
「……大河、君? 随分と親しいご様子ですが――」
怪異事件に特化している斑鳩家だ。現場指揮は当然の判断だろう、とその内容を聞いていた見藤だったが、ふと気掛かりなことがあり、思考を止めた。
確かに、斑鳩の名は見藤も知っている。知っているが、わざわざ呼び合う必要性を感じていないだけのこと。だが、目の前の芦屋は斑鳩を名で呼び、随分と慕っているようにも見えた。
見藤は素朴な疑問を口にしてしまった。すると、芦屋は目を丸くする。
「おや……、彼はお伝えしていなかったのですね。ええと……。一応、義兄にあたりますので」
「え」
思わぬ返答に、今度は見藤が目を丸くした。――どうやら、芦屋家と斑鳩家は見藤が考えるよりも密接な関係にある。それも、芦屋家本家――更に言えば、現当主の姉が斑鳩の妻ということだ。
見藤は予期せぬことに、鶴の一声を持つであろう人物からの「口添え」を無下にしていたことを知る。後悔後先に立たず。だが、その選択に悔いはないと、首を横に振った。
(斑鳩家と芦屋家、協力関係どころの話じゃなかったんだな……)
見藤はふと、別れ際に見た斑鳩家を思い出し、温かな気持ちが蘇る。家の役目や、存続をかけた家同士の繋がりだけではない、何かを感じたのだ。
綻んだ目元と口元をただしながら、見藤はさらに芦屋へ尋ねる。
「――場所は?」
「霊峰、富士です」
「………………」
見藤は無言で天を仰いだ。その様子に、芦屋は見藤が言わんとしたことを察したのか――。申し訳なさそうに眉を下げたのだった。
「んー、言いたいことは十分に、分かりますので」
事務所に大きな溜め息がふたつ、そっと消えた。
そうして――。詮議を終えた見藤と芦屋は別れの挨拶を口にしていた。
「いいお返事、お待ちしております。連絡はこちらへ」
「善処します……」
差し出された連絡先を両手で受け取り、見藤は力なく答える。芦屋は申し訳なさそうに眉を下げていた。
そして、二人は席を立つ。だが不意に、芦屋は足を止めた。見藤は不思議に思い、振り返る。
芦屋は事務所に飾られた霧子の神棚を眺めていたのだ。そして、ぽつり、と――。
「良い神棚ですね」
「……あり、がとうございます」
見藤には、その言葉を発した芦屋の真意が分からず。ただ、動揺しながらも素直に礼を述べるだけだった。
* * *
詮議を終え、芦屋を見送った見藤。彼は疲労を隠し切れず、大きな溜め息をついた。
「はぁ……。山と神というのは、切っても切り離せない関係だ」
「そうね」
見藤の呟きに相槌を打ちながら、霧子が神棚から姿を現した。紙垂が揺れ、顕現の名残を示す。霧子はおもむろにソファーへ座る。
見藤は霧子の姿を目にすると扉から離れ、ソファーの方へ移る。そして、霧子の隣に腰を下ろした。疲労を滲ませながら、口を開く。
「少々、立て込みすぎだ」
「ええ、それには同意するわ。そのせいで、二人の時間が取れないんですもの」
「…………それは、すまない」
霧子の拗ねたような声音。その次には顔をぷんと逸らした彼女に、見藤は眉を下げた。だが、それと相反するように、そっと距離を縮めた。霧子も避けることはせず、逸らした視線を戻して見藤を見つめる。
思い詰めるような見藤の呟きが事務所に木霊した。
「芦屋家に貸しを作っておくには、この依頼を受けるしかない……よな」
「むぅ、そうね」
霧子の拗ねたような返事。見藤は脱力し、彼女の肩へ頬を寄せた。こつん、と額を乗せると霧子が短く切り揃えられた見藤の髪を撫でる。
ふふ、と愛しさが溢れたような笑い声が見藤の耳に届いた。
「甘えるのが下手ね」
「……からかわんでくれ」
気恥ずかしさを誤魔化すように、今度は見藤が口を尖らせた。これでほんの少しでも、互いに触れ合えなかった時間を埋めるように――、二人は離れることなく会話を続ける。
「まずは、情報収集と対策。その次に、準備だ」
「対策ね……。前回、前々回としてやられてものね」
「あぁ、そうだ」
霧子の言葉に、見藤は力強く相槌を打った。
「だが、『神異』と言えど、まさに神話になぞらえた弱点があるようだ。これを突き止めれば――、封印できる」
奇しくも芦屋の情報のお陰か、活路は見出されたようだ。たが、見藤の中には気掛かりなことがひとつ。
(――だとしたら、俺が遭遇した口の『神異』は何だ? 対策を講じたいところだが、まずは依頼が優先か……)
それは答えを見つけることなく、見藤の思考から放棄された――。




