67話目 望まぬ来訪者
曇天に覆われ、湿った風が事務所を通り抜ける。
走り梅雨を彷彿とさせる天気は、ここ最近立て続けに起こった出来事に対する心情を表しているかのようで――、見藤は深い溜め息をついた。
見藤の思考を占めるのはキヨからの課題、ではなく――。怒れる牛鬼からの依頼だった。
現状、『枯れない牛鬼の手』は芦屋家が所有している。それをどうにかして譲り受けなければ、依頼は完遂できない。だが、見藤は芦屋家との関わりが一切ない。
(うーん……。斑鳩の奥さんに芦屋家への口添えを頼むのもなぁ、違うだろう。ただのお節介が、恩着せがましくなっちまう。そうかと言って、俺は芦屋家へのコネが何ひとつない。キヨさんに繋いでもらうのも――、後が怖い。ただでさえ、課題の正解を久保くんに教えてもらったようなものだからな……)
見藤は事務机に向かいながら、頭を悩ませる。頬杖をつき、数を減らした段ボールを見やった。
呪物の詰合せとも呼べる段ボールは、久保の画策のおかげで順調に数を減らしていた。出来た助手だ、と眉を下げる。だが、それと同時に早くこの依頼を完遂しなければ、と焦りを抱く。
「どうしたもんかな……。頭が痛い」
見藤がぽつりと呟いたときだ。
ピンポーン、と事務所の呼び鈴が鳴る。その音に見藤は怪訝な顔をし、首を傾げた。多忙さもあって、事務所の扉には『休業中』と張り紙をしてあるはず。だとすれば、それを無視した訪問者だ。
見藤は眉を寄せると、深く皺が刻まれた。
見藤は重い腰を上げ、事務所の扉をゆっくりと開く。すると、そこに佇んでいたのは――。
「こんにちは」
美麗な顔に笑みをたたえた青年。薄暗い廊下に佇んでいるはずだが、彼の銀髪は明るく目立つ。彼は見藤を目にするなり、握手を求めた。――差し出されたのは、左手だった。
差し出された左手は明らかな違和感を示し、その次に抱く不信感。見藤が握手に応じることはなかった。
(ついに、来たか……。芦屋家当主)
見藤は気取られないよう、小さく息を吐く。久保や来栖から聞き及んでいた、芦屋の動向。こちらから接触を図るまでもなく、彼が事務所を見つけ出し、この扉を叩くまでは最早、時間の問題だったという訳だ。
見藤は身を固めたまま、どう声を掛けようか迷う。こうして平常時に出会ったといっても、彼は仮にも名家の現当主だ。
すると、見藤の意を汲んだのか――。芦屋は見藤よりも先に口を開いた。それに合わせるかのように、差し出していた左手をそっと下ろす。
「いやぁ、随分と探しました」
「……」
「せっかく教えてもらったのに、道に迷ってしまって」
美麗な顔が照れくさそうに、心のままに移ろい、表情を変える。会合の時と打って変わった彼の言動。見藤は理解が追い付かず、怪訝な顔をする。
(芦屋家当主が迷子……。油断させる演技か?)
芦屋に対して見藤が抱いた疑心。ようやく口を開いた見藤から出た言葉は低い声音で、警戒心を露にしたものだった。
「芦屋家のご当主が直々に。どのようなご用件でしょうか?」
「そのように畏まらないで下さい。当主ではなく、今日はこちらを訪ねて来た、ただの依頼人です」
依頼人、その言葉を耳にした見藤は露骨に顔を歪めた。
ただでさえ、キヨの跡を継ぐための課題を後回しにし、助手である久保と東雲が学生と言う本分の合間をぬって奔走してくれている。更にそこへ、怒れる牛鬼の依頼が舞い込み、頭を悩ませるような状況。
見藤の答えは聞かれるよりも前に決まっていた。
「申し訳ありません。只今、大変立て込んでおりますので――。依頼は請け負えません」
「そう、ですか……」
思惑が外れたのか、芦屋はさも残念そうに肩を落とした。だが、その次には真剣な眼差しを見藤へ送る。彼の口から出た言葉は予想だにしないものだった。
「『神異』絡みの事件です――。もちろん、お礼は致しますよ? 報酬もそれなりに。それこそ、貴方の望むものを」
見藤は目を見開く。まさか、芦屋の口から『神異』という言葉が出てくるとは――。しかし、すぐに思い至ることがあった。
(あぁ、そうか――。先の会合で、斑鳩と芦屋家当主は異変について詮議すると公言していた。俺が斑鳩へ報告した『神異』の存在を伝えていても、なんら不思議じゃない……)
そして、その先の彼の言葉。依頼と言うからには、それ相応の報酬が必要だが――。
(お礼か……。どこまで芦屋家当主の言葉を信用していいのか――。あまり、こういうことは好かないが……。恩を売っておくのも、ひとつの手か?)
それは今後、『枯れない牛鬼の手』に近付くためには必要となるだろう。見藤はそう思い至ると、そっと扉を大きく開いた。
「……詳しく、内容を窺っても?」
「あぁ! ありがとうございます! ええ、もちろん構いません」
「まだ、内容を聞くだけです。……こちらへ、どうぞ」
見藤の申し出に、まるで感銘を受けたように大げさな反応を示した芦屋。思わず、見藤は後退る。だが、言ってしまったものは仕方がない。見藤は念押しし、彼を招き入れたのだった。
◇
芦屋はソファーへ腰かけ、興味津々な様子で事務所を眺めていた。そこへ、茶盆を手にした見藤が声を掛ける。
「粗茶ですが」
「有難く、頂戴しますね」
ローテーブルに置かれた湯呑。芦屋はにこやかに、何ら疑うこともせず湯吞に口をつける。ことり、と湯呑が置かれ、見藤も向かいのソファーへ腰を下ろす。
ただ、しばらく経っても芦屋は口を開くことなく、出された茶を堪能していた。――痺れを切らした見藤はそっと口を開く。
「あの、本題を――」
「あぁ、そうでした。実は……、頭を悩ませていることがありまして」
見藤の言葉にようやく芦屋は口を開いた。
「『神異』から、供物を要求されるのです。そのため、『神異』からの要求を退ける妙案、可能であれば封じ込めたいとも考えておりますが……」
唐突に出た言葉。見藤は思わず、繰り返す。
「供物……?」
「えぇ、そうです。それも人の世にはありえないような物ばかり」
「……待って頂きたい。そもそも、何故『神異』に供物を要求されるような事態に?」
次々と芦屋の口から紡がれる言葉に、見藤は理解が追い付かず戸惑う。
見藤と霧子が偶発的に遭遇した口の『神異』と比較すると、明らかに行動が異なっている。そして、豊玉姫の名を冠する『神異』とも――。それらは何かしらの目的によって人を襲っていた。
衝動的、または目的のために人を襲うのではなく、供物を「要求する」という行動。現状、判明している『神異』とは逸脱している。
見藤は芦屋の言葉を制止し、疑問をぶつけた。すると、彼ははたと気付いたように目をしばたかせる。
「ええと、まずは経緯から――」
芦屋は一度そこで言葉を切ると真剣な顔つきで、再び口を開いた。
「『神異』と言えど、その本質は怪異と同じです。集団認知によって偶発的に発生し、私たちは偶然、その存在に遭遇する。それが人々から祀られた、神の名を冠する怪異であれば――。当然、その地に居着いていますので、我々のような呪い師が遭遇する確率は上がる」
彼が言うように、怪異妖怪をその眼に映さない人と比べれば、見藤などのような呪い師が『神異』と遭遇する確率は高い。
ましてや、その異変を調査するのだ。だが、そこまでであれば劣勢になるはずもなく――。見藤は腑に落ちないと言わんばかりに、眉を寄せた。
すると、芦屋は困ったように眉を下げて見せた。
「目を付けられたのですよ、偶然にも。正体を掴む前に、先手を取られればいくら我々でも劣勢になる。それも――、かぐや伝承において『神異』となった存在に」
「かぐや……」
「ええ、そうです。昔話にもある、かぐや姫です」
芦屋の言葉は酷く、重く紡がれた――。




