65話目 『枯れない牛鬼の手』
それから数日後のこと。
事務所は慌ただしさに包まれていた。キヨが所有する倉庫から、見藤が持ち帰った呪物の数々。それは依然として、雑多に段ボールにまとめられ、山積みとなっている。
事務所を訪れていた久保と東雲は、その段ボールへ封印の札を貼る作業に勤しんでいた。もちろん、その作業は見藤と霧子も加わり皆、総出で行っていた。――事務机に寝そべる猫宮を除いて。
そうして、作業が半分ほど終わった頃だろうか。久保は手を止め、伸びをひとつ。共に作業をしていた見藤へ話し掛ける。
「それにしても、突然ですね」
「まぁ、妙な怪異が出現したからな……。課題も後回しにせざるを得なくてな」
見藤は返事をしつつ、手元の段ボールに札を貼り付ける。すると、小刻みに揺れていた段ボールは完全に沈黙してしまった。
先程までひとりでに動いていた段ボールだ。だが、久保は特別気にする素振りもなく、その段ボールを受け取る。そして、訝しむように口を開く。
「『神異』でしたっけ……?」
「あぁ。神の名を冠する怪異や、人によって祀られ神にも似た力を持つ怪異が人の世に過大な影響を及ぼすような存在へと変異したモノ。あとは――、神の残滓を喰らった怪異だ」
「なんだか、仰々しいですね……」
久保の素直な感想。見藤は眉を下げて、肩をすくませた。
『神異』の出現により、見藤はキヨの跡を継ぐための前準備どころではなくなってしまった。見藤が遭遇した、口の『神異』はあれから何も情報がない。そして、それ以外の『神異』も――。
斑鳩とキヨからの通達を待つ他ないような状況だ。だが、その存在の影響は大きいもので、到底、課題の片手間で対応する訳にもいかなかった。
そんな会話をしていると、後方から東雲が声を上げる。
「うげぇ……。凄く嫌な視線を感じるっ……!!」
「あぁ、そっちはまだ解呪が終わってなくてな――。一時しのぎに札を貼るしか……」
悲鳴にも似た東雲の声に、見藤は振り返った。すると、そこには禍々しい空気を放つ段ボールと睨み合う東雲の姿。見藤は申し訳なさそうに眉を下げ、東雲を庇うように間に入る。
すると、その段ボールは途端に――、ガタガタッと物音を立て始めたのだ。その光景に、東雲は思わず悲鳴を上げる。
「ひぃいっ!」
見藤はすかさず、段ボールに札を貼った。すると、瞬く間に段ボールは動かなくなる。それを確認すると、見藤は眉を下げて東雲を振り返る。
「……すまない」
「な、なんのこれしき! ですよ!?……やっぱり、ダメです。気持ち悪いです……」
「少し、休むといい」
「はい……」
見藤に促され、東雲は力なく返事をすると、ソファーへ腰掛けた。
もともと、霊感体質である東雲だ。見藤が守護を強めたお守りを持っていたとしても、ここまでの数の呪物や付喪神に囲まれたとなると、その効果は脆弱となるようだ。
東雲は顔色悪く、深い溜め息をついている。
東雲を気に掛けた霧子は、作業をしていた手を止めた。そして、体調を気遣う言葉を口にしながら、彼女の隣へ腰掛ける。
「大丈夫? 東雲ちゃん」
「霧子さん……。まぁ、なんとかなります!」
霧子の言葉に、から元気とも取れる返答をした東雲。二人のやり取りを眺めていた見藤はさらに申し訳なさそうに眉を下げたのだった。
久保はそんな見藤の姿を目にし、ふと思い至ったことがあった。考える仕草をした次には、見藤へ声を掛ける。
「見藤さん」
「ん?」
「僕にひとつ、提案があるんですけど――」
その先の言葉は遮られた――。
事務所の扉を強めに叩く音が響く。皆は何事だと言わんばかりに扉を見やった。
扉を開けて現れたのは――、筋骨隆々の体躯。しかし、その身の丈では扉を通ることが出来ないほどに高い。頭をくぐらせて顔を覗かせると――、その頭は異形だった。
水牛のように分かれた立派な角は光沢を持ち、牛の顔は威厳を感じさせる。毛並みは艶やかな黒色で和装に身を包み、彼が佇むその場所だけで百鬼夜行を連想させる。
久保と東雲は驚きのあまり体を硬直させている。だが、見藤は二人と違った意味でその場を動けずにいた。
「どうして……」
掠れた見藤の声が、そっと消えた。その声にはっとした霧子は見藤の元に寄り添う。肩に手を添え、見藤の顔色を窺った。
見藤は霧子を背に庇い、肩に置かれた手を握り返した。
突然、事務所に現れた妖怪は――、牛鬼だった。
見藤はじっと目の前の牛鬼を注視する。よく見ると、牛鬼の瞳は深紅に燃えていた。―― 見藤の記憶の中にある、穏やかに微笑む牛鬼とは似ても似つかない、その姿。彼の瞳は翡翠に輝いていた。牛鬼という妖怪の種であれば外見的特徴は似ているはずだ、と訝しむ。
深紅の瞳を持つ牛鬼はひと通り見渡すと、そっと口を開いた。
「四国の古狸から聞いた。ここの呪い師は腕がいいと」
「……」
「お前か?」
牛鬼はそう言って見藤を見やった。その声は酷く苛立っている。
牛鬼の威圧感に気圧されている久保と東雲を庇うように、見藤は牛鬼の前へと歩み出た。――だが、口にしようとした言葉は出なかった。
すると、より一層強まる怒りの感情と威圧感。慌ててソファーの下に隠れた猫宮は二又に裂けた尾をこれでもかと膨らませ、警戒している。
「な、何だァ! コイツは!?」
シャーッと、猫宮の威嚇に臆するような牛鬼ではなく。仕返しと言わんばかりに、大きく鼻を鳴らして威嚇し返す牛鬼。猫宮は更に縮み上がり、ソファーの下へ潜ったのだった。
見藤は険しい表情を浮かべながらも、牛鬼の前に立ちはだかる。握っていた霧子の手をそっと離し、数歩前に出た。
牛鬼が言った「四国の古狸」それは先の冬に出向いた、かの有名な化け狸。隠神刑部のことだろう。彼が見藤の存在を牛鬼へ伝えたようだ。
そして、見藤自身。十年ほど前に、師である翡翠の瞳を持った牛鬼の同族を探したことがあった。同族である彼らに、師の顛末と謝罪を伝えようとしたのだ。奇しくもそれは叶わなかったが、今になり同族自ら姿を現すとは――。
見藤は無言のまま、目の前の牛鬼を見つめる。
牛鬼は目の前に歩み出た見藤を睨み付けると、低い声で語った。
「用件は分かっているだろう」
そう言うと牛鬼は、自身の左腕を目の前に差し出す。――手首から先がない。
見藤は目を見開いた。注視すると、牛鬼の首筋や腕には古傷と思しきものが多数見受けられる。その傷は、手首を失ったときに負った痕なのだろうか――。そう思い至った見藤は唇を噛み締めた。
牛鬼は怒気を孕んだ声音で言葉を続ける。
「この左手を取り戻せ」
見藤の中で、脳裏に浮かぶものがあった。――牛鬼の手、見覚えがある。先の京都での会合だ。珍しい物を持ち寄り、各家が披露していた趣味の悪い余興。芦屋家が所有する呪物『枯れない牛鬼の手』、当主は「まるで持ち主を探しているかのようだ」と言っていた。
まさか、あのときの牛鬼の手が今、目の前にいる牛鬼のものだとは――。見藤は悔恨に眉を顰めた。




