65話目 婦女たちの夜会
煙谷の事務所からの帰路の途中。突如として、見藤が遭遇した『神異』。
見藤を守ろうと、霧子は応戦した。たが、澱みにあてられた彼女は取り乱し、逃げおおせたものの――酷く怯えていた。
見藤はそんな霧子に寄り添い、夜を明かしたのだった。だが、「大丈夫」そう言った霧子の縋るような眼差しが、いつまでも見藤の脳裏から離れなかった。
見藤は『神異』の存在をキヨ、その次に斑鳩へ報告した。しかし、それからというもの、口の『神異』に関する目撃・遭遇情報は何もなく――。ただ、時が過ぎていた。
◇
見藤は机上に置いた呪物を金槌で叩きながら、物思いにふけっていた。見藤が振るう金槌で叩かれた呪物は言葉通り、憑き物が落ちたように気配を変えていく。片手間に呪物を払っていく様子は、見藤の多忙さを物語っているのだが――。
(あれから、霧子さんの様子が変だ……。ずっと浮かない顔をしている――、ような気がする)
ただ、見藤の視線はそのような呪物ではなく――、霧子へ向けられていた。見藤だけが、感じ取った霧子の僅かな変化。それだけ、見藤は彼女を想っている。
見藤はそれとなく、膝の上でくつろぐ猫宮に声を掛ける。なるべく小声で、霧子の耳には入らないように。
「猫宮。霧子さんから何か聞いていないか?……少し、落ち込んでいるように見えてな」
見藤の問いかけに、猫宮は怪訝な表情をする。だが、その次には霧子の様子を窺おうと、机からひょっこり顔を覗かせた。
猫宮の目に映る霧子はソファーに腰かけ、女性向け雑誌を読んでいる。彼女は悩ましげな表情を浮かべ、時折小さな溜め息をついていた。
そして、猫宮は耳を小刻みに揺らし、見藤の膝に戻る。二又に裂けた尾を揺らしながら、呆れたように口を開いた。
「そうかァ? 姐さん、いつもと変わらないように見えるけどなァ」
「そう、か」
「惚気は他所でやれよォ〜。にゃぎゃっ!?」
「…………」
見藤をからかった猫宮は、尻尾を思い切り掴まれるという無言の報復を受けたのだった。思わぬ報復に、猫宮は悪態をつきながら、ぴょんと見藤の膝から降りる。見藤は仏頂面で、そんな猫宮の背を見送った。
見藤と猫宮がそのようなやり取りを繰り広げていたことなど、つゆ知らず。霧子は垂れた横髪を耳にかけると、形の良い耳が露になる。
「ふぅ……」
霧子の口から漏れるのは麗しげな溜め息。
見藤の視線は釘付けになる。しかし、抱いた雑念をかき消すように首を横に振った。仏頂面のまま、頬杖をつき思案を巡らせる。
(何か、霧子さんの気が晴れるようなこと――。……東雲さんに相談してみるか?)
見藤はそっと手元にあるスマートフォンを見やる。――だが、それは見藤の手に取られることはなかった。
どうしたものか、と見藤が小さく溜め息をついたときだ。霧子は顔を上げ、見藤を見やった。心なしか、憂いが晴れたような表情を見せている。鈴が鳴るような声を弾ませながら、霧子は話し始める。
「あぁ、そうだ。今週末、お出掛けしてくるわね」
「ん?」
「夜も帰らないから、そのつもりでいて」
「それは――」
見藤は思わず言葉に詰まる。霧子の口ぶりからするに、既に決定された予定なのだろうと想像できる。だが、見藤からすれば――、怪異が活発となる大禍時から夜に、出歩くのは危険だ。それは怪異であっても同じ。それも、愛念を抱いている霧子の身を案じればなおのこと。
言葉の先を言いよどむ見藤を尻目に、霧子は楽しそうに語る。
「お泊り会! 東雲ちゃんと沙織で女子会するの! 何を準備していこうか、悩んでたのよ」
「そ、そうか……」
「あ! 沙織はきちんと寮から外泊許可を貰ったみたいだから、お小言はナシよ!」
怯えた様子など微塵も感じさせない霧子の様子に、見藤は目元を下げる。
(杞憂だったか……、よかった)
ほっと胸を撫で下ろした見藤は、再び金槌を呪物に振り下ろすのだった。
◇
そうして、霧子が待ち望んだ日は瞬く間に訪れる。
霧子は意気揚々と見藤の事務所を後にしようとした。その際、これでもかと眉を下げた見藤に見送られ、霧子は「心配しすぎよ!」と頬を膨らませたのだった。
お泊り会の場所となったのは――。
「で、見藤さんとは最近どうなんですか?」
「え」
東雲の口から出た、唐突な問いかけ。思わず霧子は口ごもり、視線を逸らす。
――そう、三人が集ったのは東雲の下宿先だった。
既に就寝準備を済ませ、寝間着に身を包んでいる。霧子は例にもよってネグリジェ、沙織は高校のジャージ、東雲はスウェットという三者三様。ローテーブルにはココアに紅茶、ホットミルク。スナック菓子にクッキーなど、この場を楽しむためのものでいっぱいだ。
だが、この三人が集えば、自ずと話題は見藤のことになるようで――。
東雲と霧子のやり取りを眺めていた沙織は、小さく溜め息をついて口を開く。
「お姉ちゃん、直球」
「そうは言うてもなぁ! 気になるやろう」
「まぁ、それはそう」
沙織は東雲の返答に頷きながら、ホットミルクを一口飲んだ。すると、東雲と沙織は示し合せたかのように、じっと霧子へ視線を送る。
その視線に霧子は思わずたじろぎ、声を漏らす。
「あんた達……」
しかし、その次には観念したのか――。霧子は長い脚を折り、膝を抱えた。目を伏せながら、垂れた横髪を耳に掛ける。そして、ぽつりと溢した言葉の声音は切なさに満ちていた。
「そう、ね……。もう、あいつを手放すつもりはないのよ――」
その言葉は決意を宿しているものの、霧子は悩ましげな表情を浮かべている。
――しん、となった部屋の中。暗い雰囲気に耐えられず、声を上げたのは東雲だった。
「なんだか……霧子さん、やらしい雰囲気を醸し出してますけど」
「えっ!?」
「あ、あかん……! 大人な関係を察してしもうたっ……」
「~~~っ!!」
霧子の言葉にならない絶叫が、部屋に響き渡る。東雲の茶々に対して、否定することも肯定することもできず。霧子は顔を赤くして、反論する。
「そ、そう言う東雲ちゃんはどうなのよ!? 東雲ちゃんだって……、好きなくせに」
「うぐぅ!! そ、そうですけど……あれは何というか、違うんです! 子どもの頃に描いた、憧れの延長線上の恋と言いますかぁ……」
思わぬ霧子の反論に東雲は奇妙な呻き声を上げたが、その先にはぐうの音も出ず。せめてもの言い訳を並べたのだった。
目の前で繰り広げられるやり取りに、沙織は呑気にスナック菓子を頬張っていた。そして、そっと胸の内に呟く。
(おもしろいなぁ)
それは人と怪異がここまで「友達」や「恋敵」として打ち解けていることに対して抱いた興味。沙織は自身の置かれていた境遇が脳裏を掠め、思い出さないよう首を振ったのだった。
すると、沙織は視線だけでものを言う。それに気付いた東雲は口を尖らせながら、心情を吐露したのだった。
「見藤さん、子どもには優しいですから」
それは、東雲が見てきた見藤の姿だった――。幼き日を経て、縁により再会した東雲が辿り着いた答え。それを考えると東雲は俯き、膝を抱えた。じっと霧子を見据えた瞳には、決意が宿っていた。
「だから、私は――。その時までは……子どものままで、いようと思います」
「東雲ちゃん……」
霧子は東雲が言う「その時」の意味を察し、口を噤んだ。――それは「別れ」だろう。東雲は失恋を受け入れたのだ。
人は人と結ばれるのが良い、霧子はそう考えていた時もあった。だが、見藤の魂を欲したのは紛れもなく「霧子」だ。「見藤を手放したくない」と口にした霧子は巡る感情の終着点を見つけられず、戸惑う。それは人が抱くような葛藤だった。
霧子の沈む感情を察したのか、東雲は慌てて顔を上げた。
「まぁ、そうでなくても!? もともと、私が入れる隙間なんてなかったですし!?」
「なんで怒っているの、お姉ちゃん……」
「自分で言って哀しくなったわ!」
沙織の指摘に、東雲はわっと声を上げたのだった。




