64話目 課題と過大
見藤はキヨから言いつけられていた煙谷への挨拶を終え、帰路に着こうとしていた。事務所の窓から刺す陽光は緋色に輝き始めている。その光を目にした煙谷は口角を上げ、飄々と言い放つ。
「大禍時だ、出るモノ出るかもよ?」
「こんな仕事をしているんだ、今更だろう」
怖がらせるような煙谷の言葉に、見藤は鼻を鳴らした。怪異に遭遇したとしても、常日頃から奇々怪々な存在を相手にしているのだ。襲われたとしても対処のしようはいくらでもある、と言わんばかりに見藤は不敵に笑う。
煙谷は肩を竦めながら、煙草を一本手に取った。途端、見藤の不敵な笑みはしかめ面に変わる。だが、見藤のことなどお構いなし、とでもいうように煙谷は煙草を吸い始め、口を開く。
「それもそうか――。今や、神の名を冠する怪異、神成る怪異。まとめて『神異』とでも言おうかな? それらが妙に活発化……。いや、変異しているようだ。丁度いい、二重の意味も込めて『神異』ってことで」
煙谷の言葉を受け、見藤ははたと思い当たることがあった。霧子が制裁を下した存在――、二人の縁切りを行った神成る怪異。煙谷の言葉を借りるなら、『神異』だ。どうやら、煙谷も人の世に過大な影響を及ぼす存在として目星をつけていたようだと思い至る。
そうして、煙谷はどこか楽しげな表情を浮かべながら、言葉を続ける。
「今度、君に依頼を寄こすよ。彼女の後継として、ね」
「……お前からの依頼だと? 二度と御免だ」
「つれないねぇ」
煙谷の言葉に見藤は辟易とした表情を浮かべ、悪態をつく。だが、そんなやり取りも二人にとっては「日常」なのだ。
◇
見藤は煙谷の事務所を発ち、帰路についていた。黄昏の光を背に受けながら道を行く。時間帯もあり、人の往来は疎らだ。
馬が合わない煙谷との詮議を終えたというのに、見藤の気分が晴れることはなかった。寧ろ、今後の課題に思考を埋め尽くされていた。
(とりあえず、呪物に関しては……封印さえしておけば、どうにでもなるな。後始末の件は……先延ばしになりそうだ)
そう思い至ると、大きな溜め息をひとつ。
キヨの後継として、その座に就くのは決定事項だろう。見藤自身もキヨが遺していくであろう怪異の情報や、呪物が対立する他家の手に渡る危険性を理解している。しかし、現状を鑑みれば――、目前にそびえ立つ問題の方が余程、重要だ。
その実、会合の際に斑鳩は芦屋家当主に対して、神成る怪異の異変――つまりは『神異』について詮議を行うと公言していた。
斑鳩家への後方支援を願い出たキヨの手となり、足となり――、情報収集を行うのも見藤の仕事だ。
(やはり、まずは情報だ……。それに『神異』の活発化、か。煙谷は何か知っているような素振りを見せていたな)
不意に思い起こされる煙谷の顔に、見藤は眉を寄せた。脳裏に浮かんだ煙谷の顔を追い出すかのように、見藤は首を振る。
そして、更に見藤の思考は深くなっていく。歩みの速さは変えず、ぽつりと口から溢れた言葉。
「祀り上げられる怪異の増加……。人の祈りや、集団認知による力の助長……そして、神の残滓」
それは、会合前から徐々に顕著となりつつあった事象。これまで遭遇した奇々怪々な事象を思い起こし、見藤は長く息を吐いた。
(『大御神の落とし物』とやらで、神の遺物と呼ぶべきものは証明されている……。それなら、神の残滓というのも存在すると仮定した方がよさそうだな)
ことの始まりは怪異という存在の流布と異変、神獣が姿を現し、神の遺物が証明された今。それは祈願――、人の祈りと認知。そして、姿を消したはずの神の名残。人と神の繋がり、それらは現代となった今でも切り離せないものだろう。
堂々巡りとなった思考に終着点は見つけられず、見藤は更に深い溜め息をついた。
「はぁ……、考えることが山積みだ。これじゃあ、後始末に何年掛かることやら……」
そう言って、黄昏が夕闇に移り変わろうとしている空を見上げた時だ。
『違ウ?』
「……っ!?」
――不意に、耳元で囁く声。
一瞬にして、不快感が見藤を駆け巡る。耳元で囁いたナニかを視界に捉えようと、勢いよく振り返った。すると再び、声が聞こえる。
『イヤ、ソウダ』
『コイツダ、連レテ行コウ』
『イヤ、違ウ』
見藤が目にしたモノは――。大禍時に紛れる、おぞましいナニか。顔に対して複眼、複数の口を持ち、各々の口が独立した意識を持つかのように会話をしている。形容し難い姿をしながらも人語を操り、首をもたげた。夕闇に佇むそれは人ならざる存在としては明白。
見藤は後退り、距離を取りながら、冷静に目の前の怪異を注視する。
(なんだ、この怪異は――。視たことがない……)
都市伝説やオカルトの流行は収束に向かったはずだ、この短期間に新しい怪異が生まれる可能性は低い――、と思考に身を投じていたことが尾を引いた。見藤は咄嗟に、動けなかった。
――迫りくる、怪異。
見藤が気付いたときには既に怪異は目前。腐臭が鼻を掠め、思わず眩暈がした。ふらつく体。
(まずい……!)
見藤は反射的に腕を盾にして、身を庇う。――体を襲う衝撃。
「ぐっ……!」
呻き声が漏れる。衝撃は一瞬だった。それと同時に見藤を痛みが襲う。どうやら、怪異に吹き飛ばされたようだと理解するのに時間を要した。
見藤が視線を上げると、依然として怪異はぶつぶつと言葉を発している。次に加害をしようという動向は窺えない。
これ幸いと、見藤は痛みに軋む体を起こし、周囲を見やった。
人の往来は疎らだが、人の目がある。既に、見藤を訝しげに見やる通行人の視線があった。何も視えない人間からすれば、見藤は道端で突然、躓いたように映ったのだろう。――だが、このままでは、通行人を巻き込んでしまう可能性がある。
「はぁ……。とんだ帰り道だっ!」
未だ引かない痛みに悪態をつきながら、見藤は立ち上がる。それと同時に、周囲を覆い始める霧。それは霧子の存在を知らせるものだ。見藤は咄嗟に駆け出し、裏路地へ身を隠すと、声を張り上げる。
「駄目だ! 出てくるなっ!」
「そうは言うけどねっ……! 今回は聞けないわ!」
見藤の言葉に応えたのは、紛れもなく霧子だった。周囲に漂っていた霧が形を成していき、霧子が姿を現す。――見藤が怪異から加害を受けたのだ。彼を守ろうと、霧子の姿は亭々たる長身、八尺様として怪異の姿を晒していた。
見藤は裏路地を駆け、霧子はその背を守る。すると、やはりと言うべきか――、口の怪異は後を追ってきた。
振り返り、それを目にした見藤は霧子の長い手を引き、背に庇おうと数歩、前に出る。そして、裏路地に身を隠したときに、取り出していた怪異封じの木簡を投げつける。
しかし――。
「何をっ……!?」
見藤は驚きの声を上げる。口の怪異は一瞬、動きを遅くしたものの――。完全に動きを封じることは出来ず、見藤が投げつけた木簡を手に取り、真っ二つに割ったのだ。それどころか、割られた木簡を二つの口が喰らった。途端、背から腕を新たに生やし、見藤へ迫る。
(怪異封じの効果が薄い、か……。それも、封じの呪いを施した木簡そのものを喰らうなんてな……。こうなれば、こいつは『神異』の可能性も……。些か、神と呼ぶには醜悪だがな)
目の前の光景を冷静に分析する見藤だが、目前と迫った怪異の手に対抗する術を持たない。――寸前のところで、腕を躱したはいいものの。僅かに頬を掠める痛みに、眉を顰める。
見藤の頬を温かい何かが伝う。鼻を掠める鉄の匂いに、それが血だと気付く。
次なる一手には、時間が足りなかった――。




