63話目 継ぐモノ②
久しぶりに久保と東雲が事務所を訪れてから、翌日。
書類が山積みとなった事務机に向かっていた見藤は不意に筆を止めた。こうして、ふとした瞬間に見藤の脳裏に浮かぶのは久保の物寂しい表情だった。
(久保くんの様子、妙だったような気がするんだが……。それに結局、昨日は芦屋のことだけを話して帰ってしまった。何か用事があったんだろうに……。悪い事をしちまった)
そんなことを考えながら、見藤は頬杖をつき事務所を見渡す。少し前まで事務所は綺麗に整理整頓されていたはずだった。それが今や段ボールの山に埋め尽くされようとしている。
見藤が少しでも監視の目をゆるめれば、荒々しい付喪神やひとりでに動き出す類の呪物が悪さをする。そんな環境下で思考がまとまるはずもなく――、見藤は大きな溜め息をつくだけだった。
「駄目だ、考えても分からん」
半ば諦めたように言葉を溢すと、机上の書類整理にあたる。まず、キヨから出された課題は彼女が収集した呪物の浄化作業や、見藤などの呪い師が報告に挙げた怪異事件・事故の調査報告書の精査だった。――それはまるで、余計なことを考えさせないかのようだった。
「はぁ……」
見藤の口から出たのは一際大きな溜め息。
すると突然――、事務所に響き渡る着信音。見藤は固定電話に手を伸ばす。見藤は受話器から聴こえてきた声の主の名を口にした。
「来栖」
『見藤さん、ご無沙汰しております』
「あぁ、そうだな」
落ち着きはらった来栖の声音に、見藤は端的に応えた。すると、来栖は受話器越しにも分かるほど拗ねた口調で話す。
『あれ、なんだか素っ気ないですね』
「お前なぁ……。名家の会合、知っていたんだろう?」
見藤の眉間には皺が寄っていた。会合を終えた後、キヨの課題に追われすっかり忘れていたが来栖の方から連絡が来るとは好都合――、と言わんばかりに見藤は彼を追及した。
スーツの仕立て、会合での目配せ、いずれも来栖が噛んでいた。とうの昔に没落した安部家の末裔である来栖が、呪い師名家の会合が行われる会場を所有していたのだ。これでは無関係とも言い切れないだろう、と見藤は鼻を鳴らした。
だが、来栖から返ってきたのは意外な言葉だった。
『うーんと、少し違いますね』
「何がだ」
『知っていたと言うよりも、あの名家のうち。どなたからでも一報が入ると、あの会場をお貸しするように来栖家の取り決めがあるんですよ。それこそ代々。なので、僕はそれに従ったまでです』
「そうだったのか……」
そして、来栖はその先の言葉を続ける。
『見藤さんのお名前があったので、もしやと思っていたんです』
「そう、か」
来栖の返答に相槌を打った声は掠れていた。
恐らく、来栖の言う「見藤」は「見藤本家」のことだろう。見藤の事情を知らない来栖からしてみれば、会合に顔を列ねる名家の中に、その名があれば血縁者なのだろうと予測を立てるのは、おかしな事ではない。見藤は眉間を押さえたのだった。
見藤は会合での出来事にすっかり気を取られていたが、来栖が電話を寄こした用件を思い出す。見藤は小さく溜め息をつくと、来栖に尋ねた。
「それで? どうしたんだ?」
『そうでした。少し、確認したいことがありまして……。芦屋さんという方とお知り合いですか?』
「……違うな」
『良かった。先日、訪ねて来られたんですよ。こう言うのも失礼ですが、少し怪しかったので……。念の為、見藤さんにお伝えしないと、と思いまして』
「そうか。助かる」
『いえ、とんでもない』
見藤の言葉に嬉しさを滲ませた来栖。――そうして、二人は通話を終えた。
通話を終えた見藤は背もたれに体を預ける。口からでるのは深い溜め息だ。
(また、芦屋だ……。芦屋家当主は一体、何を考えている? これは、こちらから接触した方が得策なのか?)
芦屋家当主は着実に、そして確実に見藤と繋がりのある者に接触している。彼の目的が一体、何であるのか――、見藤がいくら思考を巡らせても、答えは出なかった。
そこで不意に壁掛け時計を見やると、すでに夕刻を迎えようとしていた。見藤は慌てて立ち上がり支度をする。
「……まずい、こんな時間だ。霧子さん、少し出掛けて来る」
見藤以外、誰もいないはずの事務所でそう呼びかける。すると、返事と言わんばかりに霧子の神棚に供えられていた紙垂が揺れた。
◇
そうして、見藤が足を運んだのは煙谷の事務所だった。
彼が構えている事務所が建つ商店街は相変わらず閑散としており、黄昏時ということもあって不気味な雰囲気を醸し出している。薄暗くなり始め、灯ったはずの街灯がしきりに点滅していることも、その雰囲気を助長させる。
見藤が扉を開くと、途端に鼻を掠める煙草の匂い。煙が肺に纏わりつき、激しく咳き込んだ。
煙谷はソファーに寝転びながら煙草をふかし、見藤を出迎えた。咳き込んだ見藤を気遣う素振りもなく、吞気に声を発した。
「やぁ、何の用かな?」
「久しぶりだな、煙谷」
「ん? そうだっけ……」
見藤の言葉に煙谷は首を傾げる。すると、何か思い至ることがあったのだろう。ぽん、と手を打った。
「あぁ、そうだ。この前、あのひとが来てたから、君と久しぶりだなんて感覚にならないのか」
「……何の話だ」
「うーん、こっちの話だよ」
どこか様子のおかしな煙谷に、見藤の眉間に皺が寄る。彼の言葉から察するに、霧子のことを指しているのだろうと想像はつく。だが、見藤には霧子が何を目的として煙谷と会っていたのか見当がつかず。ただ、怪訝な表情を浮かべるだけだった。
そこで仕切り直しと言わんばかりに、煙谷は煙を一気に吐き出すと声を上げた。
「で、何の話だっけ?」
「はぁ、先が思いやられる……」
「先ってなに?」
いつになく飄々とした態度を見せる煙谷に見藤は眉間を押さえる。
「本題だ。キヨさんの後継に推された。よって、お前に挨拶をして来るようにと――」
「ぶっ……!!」
「おい」
見藤の言葉に煙谷は噴飯ものと言わんばかりに腹を抱えた。見藤はそんな煙谷を睨み付けるが、逆効果のようだ。さらに煙谷は笑い始めたのだ。
煙谷はひとしきり笑い終えると、ようやく煙草の火を消し、怠そうにしながらもソファーに座った。それを合図に、見藤は扉の傍から足を進め、煙谷の向かいに腰を降ろした。
ソファーに腰かけた見藤は前屈みになりながら、大きく溜め息をつく。
「はぁ……俺は気が進まない」
「だろうねぇ。あの婆さんの手腕は、怪異である僕も一目置いている。――もちろん、獄卒連中もね」
「…………」
「君に後継が務まるのかどうか――、見ものだね」
本音を語った見藤に対して、煙谷は挑発的な言葉と笑みを溢した。だが、その次には表情を変え、今まで見藤が目にしたこともないような柔和な笑みを浮かべたのだ。
煙谷は新しく煙草を取り出し、火を灯す。そうして、そっと口を開いた。
「彼女の祖先と彼女が繋ぎ続けた縁。大事にしなよ」
煙谷から発せられた声は柔らかかった。彼の言葉はキヨだけでなく、彼女の先代、先々代。さらに言えば、その祖となる者を労うかのようであった。恐らく、煙谷は代々に渡る『小野小道具店』店主の後ろ盾となっていたのだろう。
見藤は呪い師が集った会合を思い出す。小野家は鬼の加護を持ち、さらには煙の怪異――、煙々羅である煙谷の助力。それが、小野家が他の名家にも引けを取らない理由なのだと知った。
だが、見藤からしてみれば煙谷は煙谷だ。見藤が右と言えば、彼は左と言う、いけ好かない祓い屋である。
珍しい一面を見せた煙谷。そんな彼を目にした見藤は辟易とした表情を浮かべ、吐き捨てるように言った。
「……お前から言われると、気色悪いんだが」
「え? 何も、僕は君に協力するなんて、ひと言も言ってないけど?」
「はぁ!?」
先程の言葉は一体、何だったのか――。煙谷の言葉に見藤は思わず声を上げた。
キヨの跡を継ぐ見藤。そうなれば、次に煙谷が手を貸すのは見藤であるはずなのだ。だが、今しがた煙谷はそれを否定した。そうして、煙谷は言葉を続ける。
「あの婆さん、隙あらば人の世に過大な影響を及ぼしかねない呪物を地獄へ寄こすんだよ。それがなくなると思えば、ラッキーだ。まぁ、人の手に負えない呪物だから、そうするのが正解なんだけど」
「………………」
煙谷の口から語られたのは衝撃的な事実だった。見藤は開いた口が塞がらなかった。――キヨの手腕の一端を垣間見た気がしたのだ。
そんな見藤とは対照的に、相変わらず煙谷は飄々としており、顔にかかったソバージュヘアを振り払った。
「やだなぁ、僕達は今まで通りの関係がちょうどいい。僕、君のこと嫌いだからね」
「そうだな。お前に振り回されるのは、まっぴらごめんだ」
煙谷の言葉に見藤は大いに頷き、珍しく意見が合致した。――変わる関係があれば、変わらぬ関係もあるのだ。
そう思い至った見藤の口角は、少しだけ上がっていた。




