63話目 継ぐモノ
久々に事務所へ顔を出した久保と東雲。見藤が彼らの口から聞かされたのは「芦屋」という青年が見藤を探している、という情報だった。――先の呪い師が集う会合に顔を列ねていた「芦屋家当主」と外見的特徴が合致する。そして、その話し方も特徴的だ。
見藤はソファーに深く座り直し、大きな溜め息をついた。
(当主達が行った密談の中で、あの家が実力者である芦屋家当主に協力を持ちかけていても不思議じゃない……。と、なれば今は下手に動かず、隠れておくのが得策か。下手に探りを入れると、勘づかれる可能性の方が高い……)
見藤は口を閉ざしたまま、思考に身を委ねた――。
一方、そんな見藤の様子を目にした久保は、霧子の言葉を思い出していた。――見藤を取り巻く、しがらみ。彼はそれに立ち向かっているのだろうか。久保の中にそんな思いが浮かぶ。
(やっぱり、進路相談だなんて雰囲気じゃないよなぁ……。また今度、折を見て相談しよう)
久保は事務所を訪ねた目的を後回しにすることを選んだ。気持ちを切り替え、久保は久しぶりに訪れた事務所内を見渡す。
久保と東雲がインターンシップで多忙を極めている間に、事務所は様変わりしたようだ。壁際には段ボールが山積みにされている。中には、開封され中身が見えているものまである。
久保は見藤と出会った当初を思い出す。見藤は綺麗好きなはずだ――、そんな彼らしからぬ雑然とした光景に首を傾げたのだった。
すると、東雲がおずおずと見藤に尋ねた。
「ところで……、ずっと気になっていたんですけど」
「うん?」
「この段ボールに詰め込まれた物は、一体何ですか? すごく、嫌な雰囲気を感じるんですけど……」
東雲は心なしか目が泳ぎ、顔色が悪い。ちらり、と東雲が壁際に置かれた段ボールを見やると――。誰も触れていないはずの段ボールが、床に落ちた。久保と東雲の肩が大きく跳ねる。恐る恐る、段ボールの中身を見やると、床に落ちたのは様々な小物だった。
経年劣化したキーホルダー、手鏡、日用品や、冠婚葬祭に使用されたであろう服飾品など。さらには、古びた人形まである。その得も言われぬ不気味な光景に、久保と東雲は眉を寄せた。
すると、見藤はソファーから立ち上がり、落ちた段ボールへと歩み寄る。
「あぁ、これは――」
見藤はそこで言葉を切ると、床に散らかった小物を手に取り、集め始めた。集めた物は再び段ボールへ入れる。すると、その中のひとつ、形容し難い装飾品を手にした見藤は二人にそれを見せた。
そうして、見藤はもったいぶった様子で口を開く。
「呪物だ」
「はい?」
「げぇ」
見藤の言葉に久保は思わず聞き返し、東雲は蛙を踏み潰したような声を上げた。
久保は東雲を見やる。東雲の先程の言葉は、的を射ていたのだ。そんな彼女は呪物と聞いて嫌悪感が勝ったのだろう。見藤と距離を取って、じっと小物を睨み付けている。
そんな東雲に対して、見藤は申し訳なさそうに眉を下げる。そうして、見藤は近況を語った。
「まぁ、正確に言えば荒々しい付喪神だったり、それこそ人の不幸を願って作られた呪物だったり。キヨさんからの課題でな、手始めにこれだけ――」
「こ、こんなに……」
「こんなに、か……。どうにも感覚が麻痺しているようだ。怪異関連の情報整理も押し付けられてな」
見藤はそう言って頬を掻く。彼は段ボールからこぼれた物を全て拾い終えると蓋を閉じ、その上から札を貼った。その札はいかにも、よくないモノを封じる札だと見受けられる紋様が描かれていた。
久保がそれを見届けると、次に目についたのは事務机。机の上は繫忙期並みに山積みとなった書類の山があった。恐らく、あれがキヨから任されたという怪異関連の情報が書かれた書類なのだろう。
久保は見藤の言葉に引っかかることがあった。いつもであれば、キヨから依頼斡旋という形式をとっているはずだと、思い至る。それを「課題」と言った見藤の真意は何なのか。久保には到底、理解が及ばなかった。
「キヨさんからの課題、ですか?」
「そうだ。流石に、君たちの手を借りる訳にもいかない。霧子さんから聞いてるよ、本業が忙しそうだとな」
見藤は段ボールを抱え、元の位置に戻す。手の埃を掃うと、久保を振り返りそう言った。
見藤からそう言われてしまえば、久保と東雲は助手としてのアルバイトどころではなくなる。久保はそれを理解している。それが物寂しいと言えば、嘘ではない。久保は表情を少しだけ、曇らせる。
そうして、更に見藤の口から語られる、近況の変化。
「キヨさんの跡を継ぐことに、なりそうなんだ……。俺としては勘弁してもらいたいが、今回ばかりは……どうにも逃れられないみたいだ」
「そう、なんですか……」
首の後ろを掻いた見藤は短く息を吐き、窓の外を見やった。風を呼び込むために解放された窓から覗く、新緑がそよいだ。葉が擦れる音と共に、久保の力ない呟きはかき消されてしまう。
窓の外を見やる見藤の横顔をその目に映していた久保は、ふと思い至ることがあった。
(待てよ、見藤さんがキヨさんの後を継ぐ? だとしたら、この事務所は――)
そこから先は考えないように、久保は抱いた一抹の不安を払拭するために首を横に振った。すると、そんな久保の様子を目にした見藤は怪訝に思ったのか、首を傾げながら尋ねる。
「どうしたんだ、久保くん」
「いえ、大丈夫です。何でもありません」
「そ、そうか……?」
久保の口から出た言葉は、物寂しい雰囲気を纏っていた。その雰囲気を感じ取った見藤は言葉に詰まりながらも、それ以上追及することはなかった。
すると、そんな二人のやり取りを傍から眺めていた東雲がそっと口を開く。
「あの」
「ん?」
「見藤さん、幽霊は視えないんですよね?」
「あぁ」
それは見藤が東雲と出会った当初、言及していたことだった。今になり、確認するような東雲の言葉。見藤は相槌を打ちながらも、彼女の意図が読めず、困惑した表情を浮かべている。
東雲はそんな見藤を余所に、言葉を続けた。
「それなら、呪物をなんとかする――。要は人の怨念とか、呪詛を祓うのだと思うんですけど。……大丈夫ですか?」
「…………まぁ、なんとかやるしかないんだ。俺ひとりで、な」
東雲は見藤の言葉に、これでもかと眉を寄せた。――もちろん、久保も同じだった。久保が願った、見藤が持つ人との繋がり。それをまるで自ら手放すような見藤の行動と言葉。到底、受け入れられるものではなかった。
久保が見藤に対して言葉を掛けようとしたが、それは東雲に先を越されてしまった。東雲はじっと見藤を見つめている。
「む。霧子さんは、なんて言うてますか?」
「……まぁ、理解はしてくれている。――はずだ」
「…………」
なにも語らず、問い詰めるような視線を送る東雲に、見藤は気まずそうに頬を掻く。
「そんな目で見ないで下サイ」
ぽそり、と呟かれた見藤の声音はその風貌見合わず、弱々しい。どうやら霧子に弱いのは相変わらずのようだ、と東雲は鼻を鳴らしたのだった。
そんな二人の様子を見つめていた久保は――。
(違うんだよ、東雲……。そうじゃないんだ)
心の内に、そう呟いていた。
俯く久保の脳裏に浮かんだのは、ちょうど一年前のこと。東雲の実家である縁切り神社で、丑の刻参りを行い、人と怪異の狭間と成り果てた異形と対峙した時のこと。
神社に祀られている、白蛇の怪異の眷属が無残にも食い散らかされた残骸を、見藤は素手で埋葬したのだ。その光景を目にした久保は「このままではいけない」そう直感的に思ったのだった。
今なら、あの時抱いた違和感、感情を明確な言葉で言い表すことができる。
(僕は見藤さんが、あちら側に連れて行かれるかもしれない――。そう、思ったんだ。だから、見藤さんが霧子さんを探して、二週間も行方不明になったとき。煙谷さんではなく、斑鳩さんに助けを求めようとした。あのひとは、人だから――)
久保は、問答を繰り返している見藤と東雲を見やった。恩人と友人、その光景は久保にとっては微笑ましいものだ。だが、同時に不安もあった。
見藤の心と愛情は怪異である霧子へ一心に寄せられている。――そこまでは、構わないだろう。ただ、怪異に心を寄せる余り、人としての何かを失ってしまわないだろうか、と時折考えるようになったのだ。
久保が知りたいと望んだはずの奇絶怪絶な世界。いつしかそれは日常となり、人を惑わせるのだろうか、と久保は目を伏せる。見藤からもらい受けた木札をぎゅっと握った。




