62話目 集いを終えたのちに②
◇
見藤が名家呪い師たちの会合を終えた後。それから季節は少し移り変わり、新緑の木々が青々とする頃になった。――そうすれば、彼らの待ち望んだ大型連休がやって来る。
久保と東雲は見藤の事務所へ向かう道すがら、近況を語り合っていた。
「見藤さんの所に行くの、久しぶりになっちゃったな」
「せやね。どうしても、インターンがあるとなぁ」
「東雲の方は?」
「うーん、現場実習も兼ねてるからなんとも。お局怖いし……」
「……相変わらずのようで、安心するよ」
「それはどうも」
「褒めてない」
そんな軽口を叩きながら、歩みを進める二人。
久保と東雲は各々、大学生活に追われていた。それもそのはず、気付けば学生生活はもう一年すれば終わりを迎える。そのため、二人は進路について悩んでいた。――はからずして、見藤と久保、東雲は似た悩みを抱えていたのだった。
久保はふと、思い至ることがあり歩みを止めた。東雲が数歩先を行くかたちとなり、歩みを止めた久保を怪訝に思ったのか振り返える。そして、東雲は久保に声を掛ける。
「どしたん?」
「なんか、やだな」
「ん?」
久保が何を言おうとしているのか東雲は分からず、首を傾げた。久保はひと呼吸おくと、首から下げている木札を服の上から握った。
「いやさ、こうして慣れ親しんだ日常から疎遠になって……、大人になっていくんだと思うと」
「まぁた、難しいこと考えてるわ。久保は……」
久保の言葉は流れる時間を憂いたものだった。だが、そんな久保の想いは杞憂だと言わんばかりに、東雲は鼻を鳴らした。
――東雲は知っている。不変なものなど、この世にはないのだと。それは東雲が経験した人との繋がりによって得た箴言だった。
離ればなれとなった両親、祖父の元を離れた東雲自身。更には見藤と霧子の縁切り祈願を行った友人、西方。そして、縁によって出会った見藤と霧子。いつか、そう遠くはない未来で二人とも離れる時が来るのだと、東雲は理解している。
心情を吐露した久保を複雑な眼差しで見据えていた東雲は、先へ進もうと足を進めた。だが、それを止めたのは久保だった。
「し、東雲!」
「ふぁい?」
東雲は後ろから手を引かれ、間の抜けた返事をした。久保を振り返り、少し恨めしそうに見やる。だが、久保の表情は何かに焦りを感じている様子で、軽口を叩くような雰囲気ではないと口を閉ざす。
久保の視線は道の先へ向けられている。東雲も、それに倣い視線を追う。そこに居たのは、人影。
久保が視線の先に捉えていたのは、容姿端麗な青年だった。青年の顔を目にした久保は、焦りを隠そうともせずに口を開いた。
「ちょっ、あの人……!?」
「誰?」
「煙谷さんからの依頼で、教会へ行ったときの――」
「はっ……!? って、いやうちは直接、話してないから知らへんよ?」
久保の言葉に便乗していた東雲は、はたと思い直した。口から出そうになった言葉を噤み、言い直す。すると、久保は首を傾げながらも、視線は青年から外さない。
「え、そうだっけ……」
「そう」
肯定する東雲は力強く頷いてみせる。東雲はちらりと、久保を見やった。すると、彼にしては珍しく人を警戒していることに気付いたのだった。
一方、久保の目に映る青年は教会で出会ったときと様相が様変わりしていた。彼は司祭服ではなく、年相応にお洒落な出で立ちでそこに佇んでいる。だが、視線は移ろい、何かを探しているように見受けられる。
(あの人、何でこんな所に……。もしかして、絵画の件。あの人が視える人だったのなら ――、僕たちが関与しているって、バレたのか?)
一抹の不安が久保の脳裏をよぎった。――そもそも、絵画に封印された人の魂の回収などという、世の常識ではありえないことをしたのだ。人の法に触れるはずはないと高を括っていた。だが、もし彼が見藤と同じように視える人であり、東雲と同じように霊をその眼に映す人であれば、話は別だ。
久保の脳裏を駆け抜ける思考。――すると、彼はこちらを向いた。じっと注視していた久保と東雲の視線に気付いたのだ。
「あぁ、また会えましたね」
「……どうも」
駆け寄って来た青年――、あのとき彼は芦屋と名乗っていた、と久保は思い出す。芦屋は気さくに声を掛け、久保は訝しみながらもそれに答えた。一方の東雲は、珍しく人に対して警戒心を強めた久保を見やり、口を閉ざしている。
芦屋は東雲を見やると、美麗な笑みを浮かべて軽く会釈をした。東雲もそれに倣い、おずおずと会釈を返す。すると、芦屋は久保へ視線を戻し、口を開いた。
「せっかく会えたので世間話でも――、と言いたい所なのですが、今日は少し……時間がないのです」
「あぁ、いえ。お気になさらず」
「そう言ってもらえると、嬉しいですね」
――そこで何気ない会話は終わるはずだった。
芦屋は考えるような素振りを見せた後、久保に尋ねた。
「そうそう。君はこの辺りで、とある事務所の噂を耳にしたことはありませんか?」
「噂……?」
「そうです」
尋ねられた久保は一瞬、怪訝な顔をした。「とある事務所」という言葉が妙に引っかかったのだ。
芦屋は周囲を見渡しながら、何かを探している。そして、周囲一帯を見渡し終えたとき、そっと口を開いた。
「なんでも、奇々怪々な相談事を請け負っている――。そんな事務所です」
「………………」
芦屋からの問いかけに即時、久保は答えることができなかった。東雲の鋭い視線が、芦屋を射抜く。
久保の脳裏に思い出されるのは、事務所に送り込まれていた数々の式神。あれらは見藤を探していると、猫宮が話していた。
(この人、見藤さんを探している……? 知り合い、なのかな……? いや、知り合いなら事務所の場所くらい見当がつくはずだ)
久保が出した答えは――。
「すみません、聞いたことがないです」
「そうですか、戯言でしたね。聞いて下さって、ありがとうございました」
久保の答えに芦屋は納得したように頷き、更には礼まで述べた。しかし、彼に対する久保の疑念が晴れた訳ではなく、予防線を張るような返事をしたのだった。
「いえ、力になれず、すみません。最近オカルトが流行っていますし、ただの噂なんでしょうか」
「さぁ……、どうでしょうね」
久保の言葉に芦屋は意味深な返答をしたのだった。そして、久保の隣に佇む東雲を見やる。
「そちらのお嬢さんも、お待たせしてしまって申し訳ない」
「いえ、お気になさらず~」
東雲は余所行きの笑顔を貼り付け、上品に手を振ってみせた。――そうして、芦屋は会釈をすると、立ち去って行った。
その場に残った久保と東雲。芦屋の姿が完全に見えなくなるまで、その背を見送った後。久保はそっと言葉を溢した。
「東雲、あの態度は分かりやす過ぎるよ……」
「え」
「敵意丸出しだった」
「……面目ない」
どうやら、東雲も芦屋の目的は「見藤の所在」だと勘づいたようだ。ただ、東雲の分かりやすい態度は反対にこちらを警戒される、と久保は指摘したのだった。
珍しく反省の色を見せる東雲に、久保は大丈夫と声を掛けると、気を取り直したように足を進めた。
「まぁ、いいや。……早く、見藤さんの所へ行こう」
「せやね」
そうして、二人は足早に見藤の事務所へと向かった。
◇
見藤の事務所へ辿り着いた久保と東雲は、道すがら偶然に再会した芦屋という青年について早々に報告した。
「えぇと……。以前、僕と東雲が煙谷さんの依頼で教会にある絵画の魂を回収しに行ったときです」
「そいつの名前は――」
「芦屋さん、って自己紹介を受けましたけど」
「…………」
久保の言葉に見藤の眉がぴくりと動いた。そして、眉間に皺を寄せたのだ。久保は、「芦屋」と名乗った青年の外見的特徴やおおよその年齢などの特徴を見藤へ伝える。すると、更に眉間に皺が寄った。彼の反応を目にした久保は己の直感は正しかったのだと密かに胸を撫で下ろす。
「どこか、腹の底が見えない感じの人でした」
「……それには同意する」
見藤の相槌は久保が予想だにしないものだった。見藤の返答は芦屋のことを知っている口ぶりだ。久保は思わず目を見開き、慌てて見藤に尋ねる。
「え、見藤さんのお知り合いだったんですか?」
「少し、違う。知らせてくれて助かった」
見藤の言葉を聞いた久保は再び胸を撫で下ろしたのだった。
一方、久保から報告を聞いた見藤の中にあるのは芦屋への欺瞞だった。久保の話を聞くに、彼らに接触した「芦屋」という青年は、先の呪い師の会合に顔を列ねていた「芦屋家当主」だろう。だが、その目的や意図、何もかも不明だ。
見藤は俯き、思考を巡らせる。
(何故、久保くんに接触した? 本当に偶然か? 目的は何だ、見当がつかない……)
――どうやら、解決するべき課題は山積みのようだ。
見藤はひと際大きな溜め息をついたのだった。




