62話目 集いを終えたのちに
先日、持ち帰った呪物に触れ合いを邪魔され、霧子の機嫌を損ねてしまった見藤。早朝、事務所の日課を終えた後、ひと息つこうとソファーに腰掛けた。そこから見えるのは新しくなった霧子の神棚。
(どうやって機嫌を治してもらおうか……)
霧子の機嫌をとる案が何も思い浮かばず、見藤は大きな溜め息をつく。そして、思考の渦に身を投じた。
名家が集う会合を終えた今。見藤は新たな標にどう向き合うのか――、頭を悩ませていた。
そして、見藤の所在を追う見藤本家の動向も気掛かりだ。だからと言って、早急に解決できるような糸口もなく――。
そんな中、見藤が思い至ったのはキヨが統括している怪異の情報や、彼女が収集した呪物の後始末だった。もとより、見藤を後継に選んだ理由は代々受け継がれてきた呪物や、怪異・妖怪の情報を統括する後継問題だった。それならば、遺物となるべき物を失くしてしまえば良い、と考えたのだ。
(時間は掛かるだろうが、やらないよりはいいだろう)
見藤の思考は加速する。頬杖をつき、事務机に置かれたままの呪物である、いわくつきの品を見やった。
キヨの元から持ち帰ったのは、後始末の始まりにすぎない。これから、呪物の解呪を試みるのだ。
(取りあえず、課題だな。それらを全て片付けてしまえば――。俺の跡を、誰も継がなくてもいいはずだ)
そう結論付け、見藤は思考を止めた。すると、ガチャリと自室の扉が開く。
見藤が振り返ると、霧子の姿があった。彼女は例にもよって化粧着姿で、寝ぼけ眼を擦りながら欠伸をしている。
(霧子さん、昨日は機嫌が悪かったんじゃ――)
見藤は首を傾げた。霧子が機嫌を損ねた日には、彼女は社に還る。だが、今しかだ霧子は見藤の自室から姿を現したのだ。それは一体どういう風の吹き回しだろうか、と見藤は掛ける言葉を迷う。
霧子は見藤の姿を見るや否や、姿を霧に変えた。そして、ソファーに座る見藤の隣まで、瞬く間に移動する。未だ、彼女は寝ぼけているようだ。霧子は体を預けると見藤の首に手を回し、そこに存在を確かめるように頬を擦り寄せる。
「ん」
「…………」
霧子の口から僅かに漏れた出た声。その声を耳にした見藤はじっ、と霧子を凝視する。だが、見藤から見えるのは霧子の形のいい耳だけだ。彼女の行動に理解が追いつかず、言葉が出てこない。見藤が首に回された霧子の腕にそっと触れると、更に抱き締められた。
それどころか、霧子は見藤の膝へよじ登る。互いに向かい合うような体勢で、霧子は見藤に抱きついたまま、体を屈ませて彼の首筋に顔を埋めている。見藤はなす術なく、霧子にされるがままだった。
見藤はどう声を掛けたものかと思い悩むこと数分。ようやく、意を決したように目を閉じた。そして、瞼を震わせ、霧子の背中を優しく叩くと、そっと声を掛ける。
「あの、霧子さん……? ……おはよう」
「………………はっ!?」
そこでようやく霧子の意識が覚醒したようだ。埋めていた首筋から勢いよく顔を上げ、見藤から離れようと体を起こす。
人の姿を模っているとは言え、霧子の体は人のそれと比べると長身だ。自重で後ろへ倒れそうになった彼女を見藤は慌てて抱き締めて支える。霧子も床に倒れ込まないよう、咄嗟に見藤の腰に長い脚を回し、しがみついたのだった。――そうして、しばしの沈黙。
沈黙の後、先に口を開いたのは見藤だった。
「随分と素直だったが、どうし……う、ぐっ!!」
「違うのよ!? 寂しかっただなんて、違うから!」
「埋まって、首……!! もが、……し、締まってる!」
「あら、やだ」
見藤の言葉に霧子は動揺したのか、顔を真っ赤にして勢いよく言い放った。その際、霧子の怪異らしい力によって見藤は抵抗を受けたのだった。見藤があげた白旗に霧子は、はっとして首に回していた腕を解いた。
見藤が会合に赴き不在の間、どうやら霧子は気が気でなかったようだ。素直な気持ちを言葉にした霧子。そんな彼女に、見藤はこれでもかと目尻を下げた。
(……機嫌、治ったようだな。良かった……)
見藤が胸を撫で下ろしたのも束の間。霧子に見下ろされるかたちで、視線が合う。彼女は拗ねたように口を尖らせている。
「それで? どうして、いわくつきの物なんて持って帰って来たのよ? 依頼なの?」
「まぁ……、半分正解デス」
霧子が尋ねたのは、見藤が持ち帰った呪物について。そもそも、機嫌を損ねたのはそれが原因だと言わんばかりに霧子は鼻を鳴らした。
見藤は申し訳なさそうに眉を下げると、そっと口を開く。
「キヨさんからの課題だな。まぁ、明日には終わると思うが」
「ふぅん……」
「俺も、身の振り方を考えようと――。今更ながら」
「むぅ。……なんだか、突然ね」
見藤の答えに霧子は小さく溜め息をついた。
元より、この事務所は見藤の意向で構えられた。人の世に迷う怪異の手助け――。それがキヨの元を離れ、見藤が事務所を構えた理由だった。キヨの手となり足となり、怪異事件・事故の調査解決の一端を担うのは二の次だ。もちろん、ついでと言わんばかりに奇々怪々な依頼を持ち込む煙谷もいる。
たが、次期当主に推されてしまった以上、この事務所をこのまま続けていくことは難しいだろう。故に、見藤は身の振り方を思案している。
霧子はそんな見藤の胸中を察したのか、慰めるように見藤の後ろ髪を撫でた。刈り上げられた短い髪の触り心地が堪らず、笑みを溢す。
そんな霧子を上目遣いで見やる見藤は、気恥ずかしくなり視線を逸らした。そして、ふと考えることがあった。会合に気を取られ、すっかり頭の隅に追いやっていたが――。見藤と霧子の縁を切った、神成る怪異について、だ。会合の中で出た論題と類似した点あったと、今更ながらに思い出す。
「会合で斑鳩が言っていた『異変』。それも気掛かりだ。俺が斑鳩へ報告に挙げた神の残滓――、豊玉姫。それに加え、俺と霧子さんの縁を切った神――、それも怪異だが。神の残滓と神成る怪異の異変、というのも野放しにはできない」
「……」
見藤の言葉に身を固めたのは霧子だ。見藤が視線を戻し、上目遣いに霧子を見やると決して視線を合わせようとしない。そんな霧子の様子を見逃す見藤ではない。
見藤は少し問い詰めるような声音で霧子の名を呼んだ。
「ん? 霧子さん」
「な、何でもないわよ!?」
「…………」
訝しげに首を傾げた見藤と、慌てふためく霧子。――答えは明白だ。怪異は嘘をつけない。そうなれば、見藤が霧子の様子から事実を察するのは簡単だった。
「霧子さん、もしかして――」
「ち、違うのよ!?」
「俺はまだ何も言ってないが……」
「うっ……、あの、その……」
あからさまに言い淀む霧子。――そうして霧子は、縁を切った神成る怪異の顛末を伝えた。もちろん事実だけを大雑把に、端的に。
霧子の口から紡がれた事実に、見藤は眉間を押さながら、大きな溜め息をつく。
「…………はぁ、霧子さんに何も影響がなくて良かった」
「うぅ」
「今後は俺にひと言でもいい。言って欲しい」
見藤からどのような叱りを受けるのか、内心冷や冷やしていた霧子。だが、見藤の口から出た言葉はどこまでも霧子の身を案じたものだった。霧子は何も言い返せず、俯いた。
見藤は霧子を強く抱き締める。霧子の低い体温が、体温を奪っていく。その感覚が堪らず、腰に回していた片方の手は霧子の手を握った。上目遣いに、彼女を見やる。視界いっぱいに映るのは、霧子の得も言われぬ表情。
霧子は拗ねるように口を尖らせながらも、その眉は下がり花紺青色の瞳は不安げに揺れている。
(……そんな顔をしなくても、俺は――)
その表情を目にした見藤は、昔「嫌われたくない」と不安げに吐露した霧子を思い出した。怪異であり、深紫色の瞳――、『大御神の落とし物』の力を得た霧子であれば見藤の機嫌を窺う必要はないと言うのに、彼女はどこまでも見藤を想う。見藤はそれが嬉しくもあり、彼女への愛欲を強く抱く。
見藤は霧子の不安を払拭させるかのように、握った霧子の手の甲へそっと頬をすり寄せる。
「でも、怒ってくれたんだな……」
「と、当然でしょ! あんたは私のものなんだから!!」
「ふっ……、そうだな」
笑みを溢した見藤の柔らかい視線を受けた霧子は羞恥心に耐え切れず、そっぽを向く。だが、手の甲に感じる見藤の体温が心地よく、きゅっと少しだけ力を込めた。
そんな霧子の様子に見藤はさらに目を細める。
(その怒りが嬉しい、なんて……不謹慎だな)
束の間の霧子との会話が、見藤の心を満たしていく。このひと時だけは、見藤を巡る難事を忘れさせた。
7章始まりました!よろしくお願いいたします。
(6章で見藤と霧子のイチャイチャがほぼなかったのでその反動ですね、後悔はしていない)




