60話目 労いの集い③
「……なんだ、この光景は」
見藤が宴会場に戻ると、そこで目にした光景は死屍累々だった。斑鳩は酒瓶片手に畳の上で大の字になり、寝転がっている。
一方の当主は使用人に介抱されている様子だ。その他、斑鳩の若い衆も似たような状況。そんな中、平然と酒をあおっているのは――。
「全く、情けないねぇ」
キヨただひとりだった。彼女は顔色ひとつ変えず今も尚、酒をあおり続けている。――恐らく、相手をしていた当主も、斑鳩もキヨに酔い潰されたのだ。斑鳩の場合は、見藤が酒を回していたことも要因だろうが、素知らぬ顔をするに限る、と視線を逸らした。
すると、見藤の姿を目にしたキヨはぴたりと酒をあおる手を止めた。それに肩をびくつかせたのは見藤だった。そんな見藤を他所に、キヨはにんまりとした笑みを浮かべ声を掛ける。
「おや、戻ったのかい?」
「うげ……」
「なんだい、その反応は」
「何でもないデス」
これは些かまずい状況だと、言わんばかりに悪態をついた見藤。そんな彼を窘めるような視線で見やるキヨ。しばらくの沈黙が重く感じられたのは気のせいではないだろう。
次に酔い潰されるのは自分だと見藤は悟り、冷汗を背中をつたう。最後の悪足掻きと言わんばかりに、斑鳩を見やるが――。
「い、斑鳩……! 駄目か」
斑鳩はうんともすんとも言わず、寝息を立てていた。じっ、と恨めしそうに斑鳩を見やっていた見藤だが、ついに観念したように肩を落とした。ぽつりと溢した言葉は見藤最後の命乞い。
「勘弁して下さい……」
「ふふふ、容赦しないよ」
ここに座れと言わんばかりに、キヨは座布団を叩いて見せた。見藤は言われるがまま、そこに腰を降ろした。そして、有無を言わせずグラスを持たされ、酒が注がれる。すると、キヨはそっと、口を開く。
「まぁ、お前さんもお世話様だったね」
「い、え……」
「狡い親心を、許しとくれ」
「…………」
キヨの口から出た言葉に、見藤は目を見開いた。
――それは、キヨの本心だろう。酒の力を借りてまで、吐露した心情。それは、見藤に何を感じさせたのか。
見藤はじっと、グラスを満たしていく酒を眺めていた。
そうして、宴もたけなわ。元より、酒に弱い見藤が音を上げるのは早かった。
「うぅ」
「全く、情けないねぇ」
見藤は回る視界に耐えきれず、顔を両手で覆い天を仰いだ。胡座をかいているが、体はふらふらと定まらない。終いには、斑鳩と同じように畳の上に倒れ込んだ。
キヨの微かに笑いを含んだ悪態が耳を拾うが、少しずつ遠のいていく――。
◇
見藤が次に目を覚ましたのは、翌日も昼間だった。慌てて体を起こすと、視界に入ったのは綺麗に並んだ布団の数々。
昨晩、この場所は宴会場であり、ここで皆、飲み食いをしていたはずだ。だが、すっかり様変わりしている。どうやら酔い潰れた男衆は皆、平等に雑魚寝となったらしい。
見藤の隣には斑鳩が寝相悪く転がっている。ただ、皆は浴衣姿で、壁にはクリーニングに出されたと思しきスーツがハンガーに掛けられている。斑鳩家の使用人には頭が上がらない、と見藤は眉を下げた。
すると、廊下からどたばたと数人の足音が聞こえて来た。その足音は心なしか力強く、意気込みを感じさせるものだった。ぴたり、と宴会場の襖の前で足音が止まる。
「さぁさ、起きなさい! 未だ寝ている者は叩き起こして構わないよ!」
「「はい!!」」
快活な掛け声に、見藤は思わず肩が跳ねた。そして、後から襲ってくる頭痛に眉を顰める。
そうしている間にも、宴会場には続々と使用人達が入って来た。未だ布団に包まっている斑鳩家の若い衆から、容赦なく布団を引き剥がしている。それは徐々に、見藤と斑鳩が居座る布団を目掛け、距離を詰めている。このままでは布団を引き剥がされ、畳に転がされる運命が見える。
見藤は慌てて、斑鳩を起こそうと体を揺すった。
「おい、斑鳩……。起きろ」
「あぁ、大丈夫です。この人、こうなると中々起きないのですよ」
「…………」
背後から唐突に掛けられた声に、見藤は身を固めた。そっと声がした方を振り返れば、陽に照られた銀髪が眩しい女性がそこに佇んでいた。注視すれば、毛先は黒と紫というなんとも特徴的な色を持っていた。そして、特徴的な髪色と口調は見藤に先の会合で出会った彼を思い起こさせる。
(あぁ、そう言えば……。斑鳩の奥さんは芦屋の出だったか。それにしても、似てるな――芦屋家当主に)
見藤がそんなことを考えている間に。未だ目を覚まさない斑鳩は布団を剥ぎ取られ、畳の上に転がされていた。体格のいい斑鳩をなんなく転がした彼女を目にした見藤は、彼ら夫婦の力関係を垣間見たような気がした。
そうして、見藤は野暮なことを言うまい、とそそくさと身支度を終えたのであった。
◇
宴会場は昨晩と同じように御膳台が運び込まれ、これまた豪勢な朝食が鎮座した。――と言っても、時刻は既に昼頃だ。
昨晩、キヨに酔い潰されたはずの当主は、こともなげな様子で豪快に笑いながら皆の前に姿を現した。それには流石の斑鳩も驚きを隠せない様子だった。
そうして、見藤とキヨ、出立のとき――。斑鳩邸の門前、ふたりを見送るために当主、斑鳩。そして――、斑鳩を布団から引きはがした銀髪の女性の姿があった。
当主から彼女の紹介を受けた見藤とキヨは軽く会釈を交わす。すると、彼女は唐突に、深々と頭を下げたのだった。
「ご挨拶が遅れました。斑鳩大河の妻にございます。恩人に対してこのような場でのご挨拶となり、申し訳ございません」
「あ、の……そう畏まらないで頂けると……。どうにも、不慣れなもので」
幾重にも丁寧な言葉を重ねる彼女に見藤は慌てふためき、上手い言葉が出ない。そんなやり取りを眺めていた斑鳩は、思わず吹き出した。
「ぶっ……!」
「斑鳩……っ! お前、笑うな」
咎める見藤だが、斑鳩の笑いは収まらない。そんな斑鳩などお構いなしに、彼女は見藤に謝意を述べる。
「うちの人のこと、恩に着ます。可能な限りではありますが――、芦屋にも口添えを致しましょう」
「はい……? あの、いえ……そんな、困ります」
見藤は咄嗟にそう答えていた。眉を下げ困った表情そのままに、視線で斑鳩に助けを求める。
――斑鳩から落した、呪物とも呼ぶべき妖怪、犬神。その件を彼女は言っているのだろう。だが、見藤からしてみれば恩人などと呼ばれるつもりは毛頭なく、ただの友人のお節介だった。それが、会合において功を奏しただけなのだ。
再三、見藤はその旨を伝えるが、彼女は頑なに首を横に振るだけだった。見藤に助けを求められた斑鳩だったが――。
「無駄だ、諦めろ。見藤、融通が利く相手は多い方がいいぞ?」
「恩人と言うなら、お前は俺の味方なはずだろう?…………お前はどっちの味方なんだ」
「嫁さん」
即答した斑鳩をじっとりと睨みつけた見藤。実のところ、彼女はそうでなくとも芦屋家当主、彼は敵なのか味方なのか――、見藤の中では判断しかねているのだ。それ故に、二つ返事で善意を受け取る訳にはいかなかった。
そんなとき、キヨから助け舟が出された。
「それじゃあ、私達は帰るとするよ」
「がっはっは!! いつでも歓迎しよう」
「馬鹿言うんじゃないよ。いろいろ思い出しちまうからね、宴でもなければ願い下げだ」
「そう言うな」
どこか意味深に言葉を交わすキヨと当主。別れの挨拶を済ませたふたりは各々の息子達を見やる。
「「…………」」
視線を受けた見藤と斑鳩は何も言わなかった。ただ、斑鳩は見藤を激励するかのように景気良く肩を叩く。
「まぁ……、お前も上手くやれよ」
「はぁ……。善処する」
溜め息をつきながら、見藤は肩を竦ませた。そうして、キヨと見藤は送迎車に乗り込んだのだった。不意にバックミラー越しに見えた、当主と斑鳩、そして彼女の姿。彼らの仲睦まじい様子は、見藤に温かい感情を抱かせた。
斑鳩家一同は見藤とキヨを乗せた車が見えなくなるまで、見送っていた。
【小話】
お見合い婚だった斑鳩。実のところ、夫婦仲はとても良好。三人の子の父です。そんなお嫁さんは芦屋家の出。姉さん女房。斑鳩本人は見合い婚だと思っているけど、彼に惚れ込んでいた彼女は裏で画策し、見合い婚までこぎ着けました。拙作の恋する女性はみんな強いです。
ガチガチに結託していますね。




