60話目 労いの集い
見藤とキヨを乗せた車は雨の中を走る。雨が車窓を打ち、音を奏でる。
見藤が窓の外を見やれば、暗闇の中で視界の端を掠めていく街灯の残像。車窓を打つ雨音が心地良く、そっと目を閉じた。
しばらく雨音に耳を傾けていると、ゆったりとした睡魔がやってきた。会合を終えたと言っても、キヨが座る手前。居眠りをする訳にもいかない。慌てて首を振り、意識を保つ。
そんな見藤に、キヨはそっと声を掛けた。
「なに、斑鳩邸までは随分ある。一眠りした所で、誰も文句言わないさ」
「…………」
どうやら、返事をする余力も残っていなかったようだ。見藤はそのまま、意識を手放した――――。
* * *
停車した拍子に意識が一気に覚醒した。見藤は慌てて、崩れた姿勢を起こす。
窓の外を見やれば、そこは荘厳な屋敷の前。既に時刻は夜中も間近だと言うのに、屋敷は煌々と照らし出されていた。雨は降っておらず、移動の最中に雨雲の下を抜けたようだ。
そんな見藤に気付いたキヨは、声音柔らかに言葉を掛けた。
「お前さんもお世話様」
「い、え」
「ほほ、付き人の仕様が抜けていないよ」
ぎこちなく返事をした見藤に目を細めたキヨ。そんな彼女はこうしたふとした瞬間に、見藤を見る目が彼の少年であった時分に戻るのだ。そんな親心などつゆ知らず、見藤は欠伸を噛み殺した。
◇
下車すれば、キヨと共に見藤は斑鳩邸の内部へと案内される。すると、夜中だというのにも関わらず、廊下には使用人達が並び、三つ指を揃えて出迎えた。その圧巻たる光景に、見藤は思わず後退る。
斑鳩と学友であった時分、ここまで顕著に家格というものを感じたことはなかった。同時に、斑鳩は既に次期当主としての心積もりができているのだろうと、見藤はどこか他人事のように頭の片隅で考えていた。
そこへ、柔和な笑みを浮かべた壮年の使用人がキヨと見藤に声を掛ける。彼女はキヨの姿を目にした途端、薄っすらと目に涙を浮かべのだった。
「キヨさん、お久しぶりですね。会合、お疲れ様にございました」
「あぁ、久しいね。元気だったかい? 邪魔するよ」
「宴の用意は万全ですよ! こちらへどうぞ」
「ふふふ、それは楽しみだ」
壮年の使用人と親し気に会話を楽しむキヨ。どうやら、この使用人とキヨは顔見知りであり、旧知の仲のようだ。昔から斑鳩家との接点を持っていたキヨであれば当然のようにも思える。だが、それだけでは釈然としない何かを感じさせていた。
見藤が軽く会釈をすると、目尻にこれでもかと皺を蓄えた笑みを向けられた。――だが不意に感じる、背中を刺すような視線。
見藤は振り返ると、壮年の使用人と仲睦まじく話すキヨを睨み付ける老齢の使用人がいた。斑鳩家とキヨの関係は比較的良好である、それは使用人にも共通していると考えていたが、どうやら一部では違ったようだ。
(…………?)
見藤の視線に気付くと、その使用人は怯えるような表情に変え、俯いてしまった。どうやら、キヨもその視線には気付いていたようだ。じっ、と老齢の使用人の顔を注視していたが、すぐに興味をなくしたのか壮年の使用人の後に続いた。
見藤の先を行く、キヨと壮年の使用人。廊下を行きながら、彼女達は世間話に花を咲かせている。先を行く使用人は少しだけキヨを振り返ると、笑みを浮かべながら口を開く。
「きっかけはどうであれ、こうして奥様が斑鳩邸に戻られるなんて、嬉しくて――」
「やだね、随分昔の話じゃないか。それに奥様、なんて勘弁しておいで。見ただろう、今の視線を。未だに、跡継ぎを産まなかった私を目の敵にする者はいるんだよ」
「奥様は貴方しか認めておりませんので」
「……その頑固さは誰に似たんだい」
「ふふふ、御当主様でしょうね」
――なんとも耳を疑う話をしているものだと、見藤は彼女達の背中を見やる。
他家の当主から女傑とまで言わしめるキヨも、想像の域を出ない話ではあるが何かしら背負うものがあったのだろう。
(……とんでもない話を聞いた気がする)
先を行く彼女達の背を追いながら、見藤は聞き耳を立てるのはよそうと、思考を放棄した。
◇
そうして、案内された宴会場には既に斑鳩家当主と斑鳩の姿があった。ふたりは見藤とキヨの姿を目にすると、ほっとしたような表情を浮かべた。キヨも満更ではなさそうに目を細めている。
見藤が会場内を見渡すと、そこには斑鳩家の若い衆や相談役と思われる老齢の者まで幅広く集まっている。それほどまでに、今回の会合は斑鳩家にとって重要な意味を持っていたことが窺える。どうやら斑鳩家の思惑は「成功」し、この集まりが「宴」と称さるだけのことはあるようだ。
すると、壮年の使用人はキヨと見藤を席に案内する。二人はそれに倣い、座布団に腰を下ろした。
既に、目前には御膳台が並び、前菜となる料理が鎮座している。色とりどりの季節野菜をふんだんに使用した冷菜が目を楽しませる。これはキヨが宴を楽しみにする理由が分かった気がする、と見藤は深く頷いた。
二人が席に着いたと見るや否や、当主は豪快な声を会場内に響き渡らせる。
「此度の会合、よくやってくれた!大いに成功したと言えよう。儂の倅――大河も、警備にあたった者も、皆等しく功労者と言えるだろう。労いの場として、今宵の宴を楽しんでくれ!」
当主の言葉を合図に、歓喜に満ちた声が会場を満たす。そんな光景は、見藤にどこか別世界のような浮遊感を抱かせる。
乾杯の音頭、斑鳩家の若い衆の活気に満ちた掛け声、当主の豪快な笑い、斑鳩の絡み。そのどれもが、見藤の耳にはどこか遠い世界で起こったことのように届いていた。




