59話目 画策する思惑③
◇
見藤は足早にキヨの姿を探す。――傷を残す片腕が熱を持ったように熱い。思わず、袖の上から掻き毟る。そうすれば、少しだけ気が紛れた。
玄関ホールまで戻り、しばらく周囲を見渡しているとキヨの姿を捉える。ほっと胸を撫で下ろせば、熱は消え去っていた。
見藤はキヨの元まで駆け寄り、声を掛ける。
「キヨさん」
「あぁ、いたかい。全く、どこへ行ったかと――」
「スミマセン……」
すると、会場の前に横付けされたのは斑鳩家の家紋が刻印された送迎車。会合前と同じように見藤は車のドアを開け、キヨが乗り込むまで周囲を警戒していた。何事も起こらないことを確信し、自身も車に乗り込んだ――。
そうして、車は発車する。後部座席に座るキヨと見藤。沈黙がしばらく続いたときだった。不意に、キヨが言葉を発したのだ。
「さて、言い掛けた話の続きをしようか――」
「…………」
キヨの言葉を皮切りに、運転手は気を利かせて運転席と後部座席を隔てる仕切りを稼働させた。これで、二人の会話を聞く者は誰もいないだろう。キヨはそれを確認すると、見藤を一瞥し、再び口を開く。
「私はお前さんの方が気がかりだ」
「……」
「どうして、あの時……。芦屋の坊ちゃんのときだ。あれ程までに取り乱したんだい?――らしくない」
「そ、れは」
思わぬキヨからの問い掛けに、見藤は言葉を詰まらせた。
キヨが言う「あの時」のことを思い出し、見藤は目を閉じ、再び沸き上がりそうになる怒りを抑える。芦屋家当主が余興の見世物として『枯れない牛鬼の手』を開示したときのことだ。
あの時――怒り、取り乱した見藤に活を入れたのはキヨだ。他家に悟られないよう言葉を交わすことはなかったが、キヨからしてみれば、怒りを露にした見藤の様子に疑問を抱くには十分だったのだ。
キヨの言葉は決して問い詰めるような声音ではなかった。ただ、純粋に見藤を心配した親心だ。
見藤自身もそれを理解している。それでも、取り乱した理由を尋ねられれば口が重く、言葉に詰まる。――長い沈黙の末、見藤はそっと言葉を溢す。
「――俺の、呪いの師は牛鬼だった」
それは二十年越しに打ち明けた、過去の一端――。
キヨは何も言わず、耳を傾けている。ただ、見藤を見つめる瞳はそっと細められ、心の底から彼を心配していると分かるものだった。
見藤はそんなキヨの視線に気付かない。ふっと、視線を手元に落とし、途切れながらもなんとか言葉を紡いでいた。
「なにも、師のものではないと、頭では分かっているんだ。だが、その……師の同胞だと思うと」
そこまで話すと見藤は口を噤んだ。――その先の言葉は喉がつかえて上手く話せなかった。
そこから先の言葉を繋いだのは、キヨだった。
「それは、また大層なことを隠していたもんだ」
「キヨさんには返しきれない大恩があるのに、俺は――」
キヨの言葉に見藤は伏せていた目を固く閉じた。
――澱みに呑まれた故郷を捨て去り、キヨの元を訪れたあの日。キヨの善意と厚意を受けた見藤は今もこうして、彼女の手となり足となり、怪異事件や事故における斡旋された依頼をこなしている。だが、それだけでは彼女から受けた恩を返せていないと考えている。
見藤の中で霧子と過ごす愛情に溢れた日々や、久保と東雲と和気あいあいと談笑する日常が至福となった今。キヨに明かしていない秘密が後ろめたさに繋がっているのだろう。それ故に、こうして思い詰めた表情を見せている。
目を固く閉じた見藤はじっと沈黙に耐える。――追及されるのだろうか、と一抹の不安がよぎる。
既に会合において、『大御神の落とし物』と名がつけられた深紫色の眼の存在はキヨに知られている。澱みによって、故郷から逃れた見藤家のうちのひとりが素性を隠して、キヨの元を訪れていたとしても何ら不思議なことはない。
――勘の鋭いキヨのことだ、もしかしたら答えに辿り着くかもしれない。
沈黙の末に、キヨが放った言葉は――。
「別に構わないさ。これ以上、野暮な詮索は必要ない」
「……」
見藤はその言葉にはっと目を見開く。閉じていた暗闇が明るくなった。ほんの僅かでもキヨを疑ってしまった己を恥じた。
そして、キヨは言葉を続ける。
「私も、お前さんの心持ちは理解できる」
「……榊木の角、か」
「そうだよ、全く。あの子ったら、本当に……」
挙がった榊木の名を聞いたキヨは呆れたように鼻を鳴らした。
見藤とキヨ、ふたりは怪異や妖怪の存在を身近なものとして捉えている。それ故に、見藤の心情に寄り添うキヨはどこまでも彼の理解者だった。――そんなキヨに対して、見藤が抱く感情は感謝だった。ただ、当主後継云々の話は頂けないが、今は忘れようと首を横に振った。
(……この人の元で過ごせて、俺は――)
そんな想いを胸に抱いた見藤。すると、辛気臭い雰囲気は終わりだと言わんばかりに、キヨは咳払いをした。
「さて、会合も終わった」
「は、い」
ぎこちない返事をした見藤に目を細めるキヨ。すると、車窓から覗く景色が出発時と異なることに気付いた見藤は首を傾げる。
キヨはそんな見藤の反応を見て、どことなく楽しそうに口を開く。
「さぁて、次に行こうか」
「……はい? キヨさん、店に帰るんじゃ――」
「なに馬鹿なことを言ってんだい? こうも心労を増やされちゃあ、寿命が縮むよ」
「……」
言いかけた見藤の言葉を遮り、愚痴を溢したキヨ。
――寿命が縮むどころか会合を経て、伸びたまであるのではないか、と思ったことは口にしない方がいいだろう。見藤は咄嗟に口を噤んだ。
そうして、キヨは車が向かう場所と目的を知らせた。
「これから、斑鳩の暴れん坊の所へ邪魔するよ」
「……はい?」
「宴だよ、宴。たんと労ってもらわないと、割に合わないだろう?」
「………………宴?」
「はぁあ……、疲れたよ全く。老体に長時間の会合は堪える」
見藤が聞き返すも、その返答は望めず。キヨは肩が凝ったと言わんばかり、首を伸ばしながら座席に深く座るよう姿勢を崩す。
すると、車窓を叩く軽快な音。それは徐々に数を増やし、車窓を濡らし始めた。見藤が外を見れば曇天は雨空となり、激しい雨を降らしていた。
「おや、ついに降ってきたねぇ。まぁ、雨は穢れを落とすとも言われるから――。ふふっ、丁度いいじゃないか」
笑みを溢しながら、窓の外を見やったキヨ。車窓に叩き付ける雨音が心地いいのだろうか――、そっと目を閉じた。
そんなキヨを目にした見藤はこれ以上、何も言えなくなるのであった。
(……これは、宴の席は荒れそうだな)
見藤はようやく肩の力を抜いた。これから起こるであろう宴での出来事を想像し、大きな溜め息をついた。




