59話目 画策する思惑②
そうして、再び当主達が一堂に集い、また別の会場へと足を運ぶようだ。
付き人の役割を担う見藤は最初に案内された立食会場でキヨの帰りを待っていた。――どういう訳か、そこに斑鳩の姿はない。
(……待ちぼうけを食らう羽目になるなんてな)
見藤はただひとり、会場を眺めていた。――すると、人の流れが変わった。
どうやら、会合の終わりを示す締めの儀を終えたようだと見藤は思い至る。キヨの姿を探しに会場を出ようとした、その時だった。
「こちらにいましたか。少し、探しました」
「……」
不意に掛けられた声。見藤が振り返ると、そこに佇んでいたのは――。
(芦屋家当主……。一体、俺に何の用が……)
彼は美麗な顔に笑みを浮かべながら、見藤を視界に捉えていた。
芦屋家当主がこの場にいるということは、締めの儀は滞りなく終えたのだろう。まもなく、会合が終わりを迎える時分となり、人の往来がせわしないにも関わらず、見藤と芦屋家当主の周囲だけは閑散としている。
その光景に疑問を抱いた見藤は訝しげに芦屋家当主を見やる。すると、そんな見藤の考えを察したのか。芦屋家当主は警戒するな、と言わんばかりに両手を掲げて見せた。
「少しばかり、貴方にお聞きしたいことがありまして」
やけに強調して名指しされた見藤。さらに眉間の皺が深くなる。ただ、見藤は黙って彼の次の言葉を待った。
「『枯れない牛鬼の手』……。あの手を真っ先に本物だと見抜いていたのは貴方でしたね」
「…………」
「道満家の衆からは散々、紛い物だと揶揄されましたが……。貴方だけは纏う雰囲気が……、変わったような気がしまして」
芦屋家当主の言葉に、見藤はぐっと唇を噛んだ。
――そう、なにも芦屋家当主は明確な悪意を持っている訳ではない。ただ、先祖代々に渡り保管してきた珍妙な品物、妖怪の体の一部を披露したにすぎない。
それが名家に保管されてきた時の流れで、ひとりでに動くような呪物と成ったのであれば――、見藤は手の出しようがない。
例えそれが妖怪の体であったとしても、人の世で言う所有権は芦屋家にある。
見藤は理性ではそう考えているのだが、気持ちは別のところにある。その折り合いが着かず、また当主という立場の人間から突如として声を掛けられた手前。言葉を返す訳にもいかず、ただ彼の言葉を黙って聞いていた。
先程からひと言も言葉を発しない見藤を不思議に思ったのか、首を傾げだ芦屋家当主。すると、その理由に辿り着いたのかぱっと顔を明るくした。
「そうでした、非公式の場であっても他家の当主と言葉を交わすことは憚られるのでしたね。うーん、掟やしきたりと言うのは面倒なものです」
時折、茶目っ気を感じさせる仕草をしながら、芦屋家当主は独り言のように呟いた。そうして、彼は掲げていた手を降ろし、そっと見藤の方へ差し出した。
「では、許します。どうか、仰って下さい」
言葉の丁寧さは、彼本来の性分によるものなのか。はたまた、相手を油断させる意図を持つものなのか――。判断しかねた見藤は、慎重に言葉を選んだ。
「……先程のご質問に関して、私には分かりかねます」
「答えるつもりはない、ということですね?」
少し残念そうに肩を落とした芦屋家当主。会合の席と比べると、些か感情豊かな振る舞いを見せる彼の姿に、見藤は更に懐疑的な感情を抱いた。
だが、そんな見藤の胸中など知る由もない芦屋家当主はさらに、言葉を続ける。
「仕方がありませんね。では、次にお聞きしたいことですが――」
もったいぶった様子で、言葉を切る。そして、その次には先程まで身に纏っていた穏やかな雰囲気は跡形もなく消え去った。残ったのは、鋭く射抜く視線。
「貴方は?」
勘繰るような視線と言葉。だが、見藤にとっては寧ろ、そちらの方が対処しやすいものだ。彼の言葉に対し、こともなげに答える。
「小野の付き人にございます」
「そういった意味ではないのですが……、まぁいいでしょう」
その返答に肩を落とした芦屋家当主。どうやら、彼が望む答えではなかったようだと、わざとらしく肩を竦ませたのは見藤だ。
すると、閑散としていた往来が喧騒を取り戻し始めた。そして、老齢の付き人が芦屋家当主を呼ぶ声がする。
「お話、楽しかったですよ。また、お会いできるのを楽しみにしています」
「…………」
その声を合図に、芦屋家当主の追及は免れたようだ。最後、意味深に掛けられた言葉に疑問を抱きつつ、見藤はただ黙って彼の背を見送っていた。
(どこかで聞いたような台詞だな……。それに、この香の匂いは……)
彼の去り際、見藤の鼻を掠めた香の匂い。それは、記憶の片隅にある香りだった。ただ、それをどこで嗅いだのかまでは思い出せなかった。
◇
見藤は芦屋家当主の追及から逃れ、キヨの姿を探していた。すると、遠目からでも分かる特徴的な髪色をした大柄な人物を見つけた。――斑鳩の姿だ。
斑鳩が共にいるのは当然、斑鳩家当主。そして、その隣にはキヨの姿があった。
彼らの元へ近付いて行くと、見知らぬ顔が複数あることに見藤は気付く。ちらり、と見やれば胸元を彩る家紋のネクタイピン。それは斑鳩家でなければ、当然小野家でもない。
「では、またの機会に」
斑鳩が場を締める言葉を口にしたかと思えば、彼らは足早にその場を去っていった。その後ろ姿を見送りながら、見藤は怪訝な顔をする。
すると、そんな見藤を目にしたキヨは笑みを浮かべながら口を開いた。
「おや、言ってなかったかい? 協力者は多い方に越したことはない」
「協力者……」
「あぁ、そうだ。今の若い者は聡い。どの波に乗るのが利になるのか――よく、考えている」
キヨの言葉から察するに、どうやら彼らは他家の者でありキヨの協力者――、さしずめ諜者と言ったところか。長年、情報屋として他家に劣らず地位を守ってきた彼女の手腕を垣間見た。
(本当にこの婆さん、底知れないな……)
そんな心の内の呟きも、見藤の大きな溜め息と共に消えていく。すると、斑鳩とキヨは会話を終えたようだ。
「それでは、キヨさん。また」
「あぁ、楽しみにしているよ」
そう言って、斑鳩とキヨは各々帰路に着くようだ。見藤もそれに続こうとキヨを追う。すると、会場内には各名家当主の姿。
当主を筆頭に、各々家の者が集っている光景が目に入った。それは荘厳でもあり、いずれは見藤が対峙しなければならない光景だと言わんばかりだった。
「それでは、此度の会合。これにて閉幕とさせて頂きます。御当主様方、お疲れ様でございました」
案内役の言葉と共に、会合は終わりを迎えた。
そうすると、迎えの車が到着した家の者から次々に玄関ホールへ移動し始める。斑鳩やキヨも例外ではなく、人混みを嫌う見藤は後から追いつこうと少しの時間、その場に留まっていた。――それがいけなかった。
「そこの君」
不意に掛けられた声。聞き覚えのある声に、見藤は大きく息を吸い込み酸素を肺で留める。そうしなければ、思わず素が出てしまう所だったと冷や汗が滲む。
(……しまった)
声がした方を振り返れば、そこにいたのは――。見藤家当主だった。
「悪いね、付き人が席を外していてな。少しだけ介助を申し出たいのだが」
「……畏まりました」
ことを荒立てないためには、見藤の選択肢は決められていた。
そうして、当主の車椅子を押す見藤は玄関ホール手前まで足を運んでいた。すると、車椅子を押されながら見藤を振り返った当主。
「あぁ、ここで構わないよ。後はうちの者が引き継ぐ」
「畏まりました」
「ところで――」
意味深に言葉を切った当主に見藤は眉を寄せる。周囲の喧騒の中、声が聞き取れないと当主に近付いた時だ。
「君はどちらか一方の腕に、古傷があったりするかね?」
「……どうして、そのようなことをお聞きになるのですか」
「いや、少し似ているだけか。――その、反抗的な態度が」
当主は語気を強めた次の瞬間――。
言葉の意味を理解するよりも早く、見藤は腕を掴まれた。体格、力の差から見藤が力で押し負けることはない。
だが、記憶の奥底にあるのは今と同じ状況だ。その事実に見藤の体は強張り、一気に血の気が引いた。スーツの下に隠れている古傷がじん、と熱をもったような錯覚に陥る。
「……っ」
刹那、見藤は周囲の気温が急降下するのを肌で感じた。そして、鼻を掠めるのは澄み切った香りだ。――それは霧子の存在を知らせるには十分だった。見藤の心臓が飛び跳ねる。
(まずい、まずい、まずい……! 霧子さん! 今、ここに出て来るなよ……頼むからっ……!!)
焦りを気取られないよう、唇を噛み締めることで精一杯だった。
――何があっても出て来るな。
会合が始まる前、霧子にそう警告したのだ。しかし、見藤に害を及ぼす者が、過去の因習と因縁に関係する人間だとすれば霧子の逆鱗に触れることは必然。
深紫色の眼の力を譲り受けた怪異。そんな稀有な存在が見藤本家に知られてしまえば――、次に狙われる可能性があるのは霧子だ。なにも、目がいいのは見藤だけだはない。霧子の強さの秘密を見通す者がいてもおかしくはないのだ。
見藤は必死に平静を保とうとする。そうすれば、本来の契りを交わした霧子であれば見藤の心の波を感じ取り、優先して言いつけを守ろうとするはずだ。そう思い至り、掴まれた腕に力を入れ、手の平をぐっと握った。
すると、当主は何かに気付いたのか、不意に視線を外した。見藤がその視線を追うと、そこにあるのは小野家の家紋をあしらったネクタイピン。
「おっと、これは小野家の。女傑の所の者に手を出したと知られでもしたら、後が面倒だな。……それも、次期当主にと名指しされた者だったか、失礼した」
「…………」
当主は何事もなかったかのように見藤の腕を解放した。鼻につく言葉を並べる彼に、見藤は無言を貫いた。
「私はこれで失礼します」
見藤は吐き捨てるように言い放つと、その場を足早に去った。




