番外編 桜咲く別れと餞別
麗かな風が頬を撫でる頃。
見藤と霧子は揃って出掛けていた。先の鬱屈した出来事より一先ず、二人は束の間の平穏を享受していた。
そこは二人の生活圏内だった。しかし、見藤が赴くには不釣り合いにも思える閑静な住宅街だ。そのうちの一軒家の前に二人は佇んでいる。
見藤の手には複数の荷物が下げられていた。そして、霧子は誰かを待っている素振りを見せ、時折玄関口を確認している。
すると、そこに現れたのは人の心を読む妖怪、覚である沙織だった。彼女はいつも身に着けていた制服ではなく、年相応の格好をしている。
沙織に気付いた霧子が、彼女に笑みを向けて軽く手を振った。それに沙織も気付き、元気よく手を振り返す。心なしか、彼女の表情は明るい。パタパタと小走りに、見藤と霧子の元まで走って来た沙織。
「霧子姉さん、お待たせ! おじさんも」
「いや、大丈夫だ」
沙織の言葉に、見藤は「気にするな」と軽く首を横に振った。ふと見れば、彼女の手荷物は鞄ひとつであることに気付く。
見藤は念のため、沙織に尋ねる。
「荷物は?」
「おじさんのと合わせて、これで全部。大体の物は寮へ届くように送ったから」
「そうか」
答えた沙織は、しっかりとした顔つきをしている。どうやら、独り立ちの時に向けて着々と準備していたようだ。
見藤と霧子は、そんな沙織を見送るために、今日はこの場所を訪れたのだった。
独り立ちと言っても、見藤にとって沙織はまだ保護者の庇護が必要な子ども、なのだ。忘れたことはないか、見藤は再三尋ね、彼の心配性が発揮されている。
――それもそのはず、養父である斎藤の姿はそこにはない。
すると、沙織は指を折る。どうやら、頭の中で思い返している様子だ。片手の指が全て折りたたまれると、沙織は首を横に振った。
それを目にした霧子は、景気よく声を上げる。
「それじゃ、行きましょ」
「うん!」
霧子の言葉に、沙織は元気よく返事をした。
◇
三人は電車に乗り込み、移動する。
霧子と沙織は腰掛け、二人で楽しそうに囁き合っている。一方の見藤は吊革に掴まり、そんな二人を微笑ましく眺めていた。
すると、見藤は目線を上げ、次駅を確認すると沙織に声を掛ける。
「少し寄る所がある。構わないか?」
「うん? 分かった。時間、沢山あるから」
「それは何より」
見藤の問いに、首を傾げながら答えた沙織。――今日は見藤と霧子に、残った荷物の運搬をお願いしていた。この後は、少し遠方にある寮まで届けてもらうだけ、のはずだった。
心を許せる人達と姉と慕う霧子との、ささやかな時間を過ごしたい。そんな願いを沙織は抱いていた。
見藤は目元を綻ばせたかと思うと、霧子に目くばせをした。霧子は頷き、席を立つ。その時、ちょうど駅に到着し、電車は停車した。
駅に降り立ち、改札を抜ける。すると、そこで待っていたのは賑やかな面子だった。
「あ! 来た来た!」
「沙織ちゃーん!」
久保の隣で、手を振っているのは東雲だ。二人は、見藤が沙織を連れてやって来るのを待っていた様子だ。
沙織は状況が呑み込めず、首を傾げている。だが、見藤と霧子の顔色を窺っても、何も分からず仕舞い。それどころか、二人は久保と東雲が沙織を待っていた理由を知っている素振りで微笑んでいる。
依然、戸惑う沙織に東雲は元気よく声を掛けた。
「ね、沙織ちゃん! 今日はうちらと一緒に、遊びに行こう! あ、もちろん入寮の時間までだけどね」
「え? いいの?」
東雲の言葉に、沙織は表情を明るくした。ここ最近は沙織自身、多忙ということもあり事務所へ顔を出す頻度も減っていた。もちろん、その間に起きた出来事も、彼女の足が遠ざかる要因となっていた。
嬉しさのあまり、照れくさそうにはにかんだ沙織。だが、はっと気付いたように眉を下げた。――そうだ、細々とした荷物を見藤に持たせたままだった、と。これで自分だけ遊びに出掛けるのは憚られる。
しかし、そんな彼女の心配事は久保にお見通しだったようだ。彼は優しく声を掛ける。
「荷物は見藤さんと霧子さんが預かっておいてくれるから、大丈夫だよ」
久保の言葉に、沙織は振り返る。そこには、満面の笑みを浮かべた霧子と、両手に荷物を持つ見藤。当然、二人は沙織を送り出すつもりであった。
「任せておきなさい!」
「気にせず、行って来るといい」
意気揚々として答えた霧子と、肩を竦めながらも笑みを浮かべる見藤を目にした沙織。
「うん!」
彼女は元気よく、二人の言葉に応えた。そうして、再び久保と東雲へ向き直る。うずうずと好奇心に身を任せて、沙織は東雲に今日の予定を尋ねる。
「どこに行くの?」
「ふふん! ゲーセン!! あと、その他諸々!」
東雲の言葉に、沙織は目を輝かせたのだった。
――人の社会に馴染めない。そんな相談を見藤と出会った当初にしたものだ、と沙織は思い返す。
見藤とその助手達は、女子中学生としての沙織を慮ったのだ。
爪弾きにされていた中学生時代、友人関係とも呼べるものはなく、ひとりでいる時間が多かったと彼女の口から聞き及んでいた。そんな過去の苦い記憶を払拭し、この春から新たな時間を過ごして欲しいという、要は「中学生らしい思い出作り」というやつだ。――もちろん、提案者は東雲だ。
しかし、久保と東雲はその計画内容まで、見藤には報告していなかったようだ。
人が多く集まる場所へ遊びに行くというのは、心をよむ覚である沙織の心労を増やすのでないか――、それに娯楽施設と聞くと、少なからず大人は心配になるものだ。
見藤はそんな心情を隠せなかったのだろう。険しい表情をしながら、眉を顰めている。
「…………」
「あ、やば。見藤さんには内緒だったのに……」
見藤の反応を目にした久保は思わず、苦い顔をした。そして、小さく呟かれた久保の言葉。
だが、見藤は若人達に野暮なことは言うまいと、咳払いをひとつ。
「久保くん」
「……はい」
「監督不行き届きにならないように」
「わ、分カリマシタ」
見藤の言葉を重く受け止めた久保であった。
◇
そうして、楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り――。
一足先に久保と東雲と別れた沙織。彼女は入寮を目前に、見藤と霧子の付き添いのもと、手続きを済ましたのだった。
無事に手続きを終え、明日から寮生活が始まる。沙織は、寮近辺を散策すると言い、見藤と霧子を連れ出していた。
そこでふと、見藤は思い至ったかのように沙織へ声を掛ける。
「楽しかったか?」
「うん、とっても」
「そうか。それは良かった」
「すまんな、この程度しか手伝ってやれなくて」
「ううん、大丈夫。おじさんと霧子姉さんも、大変だったみたいだし」
「…………」
「あははっ、大丈夫。そこまで覗かないよ」
「……そうしてくれ」
気まずそうに顔を顰めた見藤を目にした沙織は、声を上げて笑った。彼女は出会った当初よりも、表情豊かになったものだと見藤はその表情を変え、目を細める。そんな見藤を、霧子は慈しみの眼差しで見つめていた。
すると、霧子は沙織の前に封筒と小包を差し出した。その封筒は可愛らしい絵柄が散りばめられ、小包には筆記用具のイラストが描かれている。――差出人は誰か。その答えは霧子の口から告げられた。
「これ、久保君と東雲ちゃんからよ」
「……! 霧子姉さん、ありがとう」
「ふふ、二人とも直接渡すと泣いちゃうからって」
沙織は助手達のささやかなプレゼントを受け取る。そして、封筒の中には二人からの手紙が入っていた。
助手達が妹分として可愛がっていた沙織が入寮すれば、今の様に自由な外出が減るのは想像がつく。そして、何より沙織は学業に励む。一方で、久保と東雲は春から大学のインターンシップが始まると話していた。よって、必然的に会える日は少なくなってくる。
沙織はほんのり抱いた寂しさから、目を伏せた。そんな彼女を気遣うように見藤はそっと声を掛ける。
「困ったことがあれば、すぐに連絡を寄越すといい」
「うん、分かった」
見藤の言葉に、沙織はしっかりと目を見据えて答えた。そして、彼の心の不安を僅かに読み取った。
「おじさん」
「ん?どうした」
沙織からの呼びかけに、見藤は首を傾げる。
「大丈夫、きっと」
「…………」
沙織の言葉の真意を汲み取ったのか、見藤は何も言葉を発しなかった。
「子どもに心配されるようじゃ、俺も駄目だな」
「ふふ、そういうこと」
気恥ずかしそうに肩を竦めた見藤に向けて、沙織は悪戯な笑みを浮かべた。
別れ際、沙織がふと見た桜の木。枝の先にある蕾は膨らみ、もう暫くの眠りの後、爛漫に咲き誇る準備をしていた。
人の世で生きる選択をした、幼い妖怪。彼女はこうして見藤と霧子に見送られ、旅立った。
ちゃんと沙織を見送ってなかったなぁ、と思い番外編にしました。
丁度、物語も春先だったのでね。無事、進学出来ました。
久保と東雲の助手二名もインターンシップでそろそろ、アルバイトお休みする時期だなぁ…。




