50話目 始まりを告げる鳥②
それから更に数日後のこと。
見藤は換気のために窓を解放した。吹き込む風は僅かに温かく、もう暫くすれば寒さが和らぐことを予見させる。日差しに目を細め、事務机に向かう。
すると、見藤は筆を止め、視線を神棚へと向けた。新たに設けられた神棚は、窓から差し込む暖かな日差しに照らされている。
(社の分霊も順調みたいだな……)
見藤が直感的に感じる、霧子の御霊分け。どうやら、見藤と霧子が本当の契りを交わしたことで、その繋がりはより強くなったようだ。
見藤は気を良くしたのか、珍しく鼻歌混じりに筆を動かした。
すると――、突如として事務所の扉が開かれる。そこから顔を覗かせたのは見藤がよく知る人物だった。
「よぉ、いるか? 見藤」
「斑鳩、お前……。暇なのか?」
事務机に向かっていた見藤は顔をあげ、斑鳩を見た。彼と対峙した怪異の一件から、そう時間は経っていないように感じられたのか。見藤は率直な言葉を溢す。
見藤の言葉に肩を竦めながら、斑鳩は招き入れられた訳でもなく。勝手にソファーへ腰を下ろした。
それを目にした見藤は、溜め息をつきながらも椅子から立ち上がる。そして、斑鳩の向かいに腰掛けたのだった。
――その身から犬神を落とした予後は順調らしい。と、ふと目元が緩んだ。
だが、次に抱く違和感。見藤が目にした斑鳩は、心なしか疲労の色が浮かんでいる。そして、どこか緊張感を感じさせる。
すると、見藤の軽口に眉を寄せた斑鳩は、訂正するように言い放つ。
「俺はこれでも忙しい」
「そうか」
「警備配置で……。って、聞いてないのか?」
斑鳩の言葉に、見藤は眉を顰めた。一体、警備配置とは何を指しているのだろう、と首を軽く傾げる。それに加え、まるで、必要な情報を与えられていないかのような口ぶり。
見藤は斑鳩を睨み付けながら、口を開く。
「何を」
「会合だよ。名家が一堂に会する会合が、数年ぶりに開かれる。前回は確か……、芦屋のとこの当主が変わった時だ。まだ若かったが、今も上手くやってるみたいだな」
斑鳩の言葉を聞いた見藤は、更に眉を寄せた。――会合。その言葉が意味することを、見藤は嫌でも知っている。知ってはいるものの、席に顔を列ねたことはない。
キヨが養子に迎えた見藤の存在を公にしていなかったこともある。そして、見藤自身も己の存在を、他の呪い師にわざわざ知らせるようなことはしない。
特に、没落寸前とは言え、見藤家に知られてしまえば、連れ戻されることなど想像に容易い。不安要素は排斥するべきだと少年の頃、既に考え至っていたのだ。そのまま、歳を重ねた。
見藤の口から出た言葉は、そんな事情を示すには十分だった。
「……俺には関係ない」
「あるだろ、お前。見藤を名乗っちゃいるが一応、あの婆さんのとこの養子だろ」
「絶対に行かん。面倒事は懲りごりだ」
斑鳩の言葉に、見藤は間髪入れず答えた。
斑鳩からその話を聞いた時点で、面倒事に足を突っ込んでいるのだろう。だが、わざわざこちらから面倒事に突き進む必要もない。回避するだけだと、見藤は鼻を鳴らす。
斑鳩は見藤の返答に、微塵も理解を示さず言葉を続ける。それ程までに、今回の会合は重要だとでも言うようだ。
「当主が変わった」
「待て、これ以上俺に話をするなっ――」
咄嗟に見藤が言葉を遮ろうとするが、斑鳩は止まらない。
「見藤家だ。関係、大有りだろ?」
「……、この野郎」
「おぉ、怖ぁーい」
わざとらしく肩を竦めた斑鳩を睨みつける見藤。大きく溜め息をつき、天を仰いだ。そして、斑鳩に向き直ると鋭い視線はそのままに。心情を吐露する。
「はぁ……、俺は分家から養子に出された。もう、あの家は関係ない。…………関わりたくもない」
――養子に出された。それは真っ赤な嘘だ。
少年の時分、キヨが見藤に進言したのだ。もし、他家の者から尋ねられた際には、そう答えるようにと。
澱みに呑まれた生まれ故郷から、その身ひとつで脱した彼を慮ったものだったのだろう。それは少年であった見藤の、身の安全にも繋がっていた。
今になって、その言葉を口にするとは思っても見なかった。見藤の眉間には深い皺が刻まれている。
キヨの進言。それは、他者に余計な詮索をさせない。だが、しっかりとした訳があり、疑念を抱かない程度の理由。――没落寸前の見藤家、養子に出された分家の子ども。何も、おかしな事はないのだ。
斑鳩は見藤の言葉を受け、訝しげに眉を寄せた。しかし、仕切り直しとでも言うように話を続ける。
「まぁ、会合は春先だ。余り時間がない」
「考えるまでもないだろう。俺は行かない」
「キヨさんが、どうするかだなぁ」
「……」
斑鳩がキヨの名を口にすると、見藤はぴたりと動きを止めた。
「ちなみに、付き人同伴だぞ。キヨさんは独り身だろう?お前しかいない」
「……はぁ、そうなれば俺に拒否権はないな。くそ……」
悪態をつきながら、両手で顔を覆い隠して項垂れる見藤。
――合点が行った。キヨが上物のスーツを仕立てるよう、しつこく言っていたのは、会合の為なのではないのか。
見藤は今更、その答えに辿り着いたのだった。霧子とスーツを仕立てに行った、楽しくも気恥ずかしい記憶。それが突如として、泥にまみれたような感覚に陥る。
そして同時に、キヨの思惑に疑念が浮かぶ。
――今更なのだ。これまでに何度か、会合は開かれていたはず。その度、何もなかった。
キヨが付き人として見藤を同伴させることもなかった。
一方、項垂れている見藤を目にした斑鳩。訝しげに見藤を見やる。
――見藤が強く拒絶を示す理由に疑問を抱かずにはいられない。
栄華を誇った見藤家の没落については、幼少の時分には斑鳩家当主から聞き及んでいるものの。斑鳩からすれば、その経緯や要因については謎のままだった。
斑鳩は目を据えながら、尋ねる。
「昔から、不思議に思ってたんだがよ。見藤、お前……。どうして、そこまで家を嫌う?」
斑鳩の問いに、見藤が答えることはなかった。ただ、沈黙がその場を支配するだけだった。
見藤に話すつもりがないことを察した斑鳩は、諦めたように目を伏せ、そっと呟く。
「だんまりか。まぁ、これ以上は聞かねぇよ」
「そうしてくれ」
端的に答えた見藤の声音は冷え切っていた。
斑鳩は溜め息をつくと、ソファーからゆっくり立ち上がる。乱雑に首を掻きながら、見藤を見据えた。未だ、見藤の表情は険しい。
斑鳩は鼻を鳴らすと、別れの言葉を口にする。
「次は、会合で会おう」
「……あぁ」
そう答えた見藤は視線だけで斑鳩を見送った。
◇
斑鳩が事務所を後にしてから、しばらくの時間。見藤は両手で顔を覆い、天を仰いでいた。
そうして、ようやく見藤の口から発せられた言葉は真に迫るものだった。
「――最悪だ」
すると、不意に背後から掛けられた澄んだ声。
「…………行くの?」
「……霧子さん」
それは見藤を心配したものだった。霧子の手が見藤の肩に触れる。
そっと、肩に置かれた霧子の手を握り返しながら、見藤は目を伏せた。過去の悔恨を蒸し返すような知らせを受けたのだ。血の気が引き、呼吸は浅い。
霧子は眉を下げて、見藤の手を握り返した。
「仕方が、ない。それに断るにも必ず理由を聞かれる。……キヨさんに話せる訳がない。あんな――」
「慎」
霧子は力強く見藤の名を呼んだ。無理矢理、嫌な記憶を呼び起こす必要はない、と彼女は首を横に振る。ソファーに座る見藤を後ろから抱き締めた。
見藤は首元に寄せられた霧子に視線をやる。そっと、首に回された霧子の腕に手を添えた。
すると、霧子はそれに応えるように鼻先を首筋に寄せたのだった。
霧子からの思わぬ慰めに、見藤は一瞬、目を見開いた。だが、すぐにその目は伏せられ、計略を巡らせている表情をする。辿り着いた答えは、本家から逃れられない追尾を打開するには妙案とも呼べるものだった。
「いや……寧ろ、列席した方がいいかもしれない。居場所はともかく……既に、俺の生死は知られた。それなら、紛れた方が攪乱しやすい」
「木を隠すなら森の中ってことね」
「まぁ……、そういうことだ。それに、キヨさんのことも気掛かりだ」
そう言って見藤は眉を寄せた。懸念していること、そのひとつにキヨの身の安全がある。
キヨは少年であった見藤を保護した際、事情を察したのか深く追及せず、養子に迎えた。
多岐に渡る情報を扱う彼女のことだ。詳細とまではいかずとも、澱みによって山神が悪神と成り果てたこと。そして、見藤本家がその事象を引き起こしたことを知っているのだろう。だからこそ、見藤を本家に引き渡すようなことはしなかった。時に、分家の人間の扱いが人とも呼べぬものだと、キヨも知っている。
見藤は今更ながらに、キヨへの大恩を再確認したようだ。ただ、スーツの件は許し難いのか、渋い顔をしている。
「……本当に、どうして今更」
力なく溢した見藤の言葉は、霧子の胸に一抹の不安を抱かせた。
【小話】
題「始まりを告げる鳥」ですが、
前半→一線を越えた見藤と霧子の新たな始まり、ということで神棚に彫られた八咫烏
後半→斑鳩から知らされる会合(斑鳩という鳥モチーフ)
という感じで、結構お気に入りだったりします。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
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