50話目 始まりを告げる鳥
事務所の床に散らばる、蝶や鳥を模った形代は微動だにしない。完全に沈黙している。どうやら、追尾の効力を失っているようだ。探し出そうとした見藤の存在が、再び霧子によって隠されたためだろうか。
そんな事情など知る由もない久保と東雲。箒を手にした二人は、床に散らばっている形代を掃いて行く。床の一角に集められた形代は、猫宮の篝火によって燃やされた。
火の粉が室内で舞ったことに驚いた久保は、思わず声を上げた。
「うわ!? いきなり何するんだ!」
「んァ? これは、燃やした方がいいんだよ」
「……そうなのか?」
猫宮が辟易として答えたためか、久保は妙に納得したようだ。焦げて塵となった形代を、ちりとりに集めていく。すると、久保は容赦なくゴミ箱に捨ててしまった。
形代を捨て終えた久保は、嫌悪感を隠そうともせず悪態をつく。
「誰だよ、こんな悪戯するのは」
「ほんまにね」
「窓ガラスも割れたままだし」
些か憤慨している二人を目にした見藤は、少しだけ心が軽くなったようだ。ふっ、と目元を下げて二人の元へ歩み寄る。
「すまんな、俺の不在中……。掃除まで」
「いいってことですよ。僕らに出来ることは、これくらいですから」
見藤の口から出た言葉は、久保と東雲に謝意を示すものだった。だが、二人は当然のことをしたまでだと力強く頷いてみせた。
そんな二人を目にした見藤は、不意に一抹の不安を覚える。――あれは元々、自分を探し出そうとして仕掛けられた呪いだ。と言うことは繋がりのある存在に、その追尾範囲を広めるかもしれないと、見藤は考え至る。
――見藤の脳裏に、引き合いに出されていた大切な存在が浮かんだ。
見藤は柔らかだった表情を険しいものに変え、久保と東雲に確認する。
「二人とも、身代わり木札は肌身離さず、持っているな?」
「はい、勿論です」
「そうか、よかった」
久保の返答と、強く頷いて見せた東雲。二人の返答を得ると、見藤は安堵した表情を浮かべた。
見藤からの問いかけに久保は首を傾げると、その理由を尋ねる。
「どうしたんですか?」
「いや……。一応、話しておく。なにも、呪いを扱うのは俺だけじゃない。それこそ、斑鳩もそうだ」
申し訳なさそうに話す見藤に、久保は何かを察したようだ。ゴミ箱に捨てた塵を一瞥すると、迷惑だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「成る程。これは、その手の人達の仕業なんですね」
「……聡いのも、考えものだな。久保くんは」
そう言って肩を竦めた見藤は、大きく溜め息をつきながら事務机まで足を進めた。机の端にもたれかかり、体重を預ける。そして、久保と東雲を見やった。
見藤は語気を強め、真剣な表情で言葉を発する。
「木札を身に着けている限り、奴らは君たちに危害を加えることは出来ない。だから、必ず持っておくように」
見藤の眼差しは、ことの大きさを久保と東雲に伝えるには十分だったようだ。二人は首から下げている木札を服の上から握っていた。
それを目にした見藤は申し訳ないと言わんばかりに、眉を下げた。そして、心の内を吐露する。
「本当は、そんな心配……させたくないのが本音だが」
「大丈夫ですよ! 見藤さん!」
見藤の言葉に、東雲は心配いらないと元気よく答えた。終いには「やっつけてやる」と箒を振り回し始めたのだった。すかさず、久保が止めに入ったため、事務所の備品が壊されることはなかった。
そんな彼らを目に映す、見藤の紫黒色の瞳。――巻き込みたくない、と切に願う。
見藤は眉間を押さえ、大きく溜め息をつく。
「はぁ……」
「有名だと、敵も多いですね」
「ん? 何の話だ?」
「え、てっきり見藤さんは、この手の界隈で有名な人なのかと。その、呪い師の」
「いや、俺はそんなんじゃ――。まぁ、いいか」
「……?」
久保の言葉に首を傾げた見藤。確かに、見藤の噂――、というよりも奇々怪々な事件や事象を解決する事務所の噂を聞きつけて、ここを訪ねてくる人がいる。
時に、呪い師や呪術師という者は人の噂を信じない。信じられるものは、己の腕だけだという考えの者が多い。それ故に、見藤の存在が風の噂になろうが彼らの耳に入らなかったのだろう。
見藤は溜め息をつくと、その次には呆れたように鼻を鳴らした。
(プライドだけは高い連中だ。人の噂なんぞ当てにしない。寧ろ、今までよく見つからなかったもんだ)
思考の渦に身を投じた見藤はじっと一点を見つめている。彼の意識を引き上げたのは、東雲の声だった。
「とにかく無事に戻って安心しました」
「そうだね。それじゃあ、見藤さん。僕たちはそろそろ帰りますね」
東雲の言葉に同意する久保。彼らは手にした箒を片付けると、ソファーに置いていた荷物を手にした。言葉通り、二人はこれから帰路に着くようだ。
「あぁ、気を付けてな」
そう言って、見藤は二人を送り出した。
久保と東雲が退室した後――。足元にいたはずの猫宮はソファーの上に飛び乗った。
すると、猫宮はしきりに鼻をひくつかせた後、にやついた表情を浮かべている。猫宮の表情を目にした見藤は眉を寄せ、彼が言い放ちそうな言葉を察した。
「見藤、お前。やっと、姐さんと番っ――、むぎゅう!!?」
「やかましい」
「はァ、お前の魂。姐さんの残滓がべったりだぞ」
猫宮が言わんとした言葉の先を、見藤は二又に裂けた尾を引っ掴んで遮った。もの言いたげな視線を送ると、猫宮はにんまりと口元を上げた。
どうやら、火車である猫宮は、見藤の魂の形が感じ取れるようだ。猫宮の言葉を聞いた見藤は、気恥ずかしさから首の後ろを掻いたのだった。
◇
それから数日後。低い朝日に照らさた事務所。
見藤はインスタントコーヒーを淹れるため、給湯スペースに佇んでいた。カチリ、と乾いた音を鳴らし、電気ポットが湯を沸いたことを知らせる。
すると、ドアノブが回され、小さな音が響く。音がした方を見やれば、そこには霧子の姿があった。見藤は彼女に朝の挨拶を投げかける。
「おはよう、霧子さん」
「ん、おはよう……」
見藤の自室から姿を現した霧子。彼女は寝ぼけ眼を擦り、欠伸をしている。霧子の格好は、例によって化粧着姿だ。
そんな霧子の姿に見藤は肩をすくめると、彼女が寒くないように、と足元に置いてあった暖房器具の設定温度を上げた。すると、霧子は何かに気付いたのか、寝ぼけ眼から打って変わって、しきりに瞬きをしている。
「あら……?」
「ん? あぁ、気付いた?」
霧子の反応を見た見藤は少年のように悪戯な笑みを浮かべた。給湯スペースから離れると、霧子の傍に赴いた。そっと、彼女の手を取り、背を振り返る。
霧子は見藤の視線を追うと、目を見開いた。彼女の視線の先にあったのは、真新しい神棚だった。
神棚には霧子が見慣れた、彩雲を呼び込む八咫烏を象った模様が彫られている。だが、以前の神棚と比べると、祀っている神具の種類が多い。それだけでなく、大きさも異なっていた。より荘厳に神々しくなった、霧子の社となる新たな神棚だ。
気恥ずかしくなったのか、見藤は首の後ろを掻いた。
「その、喜んでもらえると、嬉しい」
「ふふ、馬鹿ね」
そう答えた霧子の笑みは、愛しさに溢れていた。




